main-連載
□恋する狂犬U3
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「兄ィーチャン!あーそーぼー!!」
ランドセルを背負ったままハルは毎日欠かさず郷田邸を訪れた。小学生と中学生では下校時刻が多少ずれる。部活などやっていないにしろそれでも龍司のほうが帰宅が遅いのは当然のこと。
勝手に離れの彼の部屋に上がり込んで宿題をしながら帰りを待つのがハルの日課だった。
ハルの存在がバレてしまったのは何度目かの風呂上がり。あれから毎回一緒に風呂に入る度、将軍様に手を合わせる彼女をどうにかしなければと龍司が悩んでいた頃だったか。
先に上がったハルは自分で体を拭きながら部屋へと続く廊下をペタリペタリと歩いていた。
「兄チャンの服とー、ハルのぶんとー。」
クローゼットから二枚Tシャツを引っ張り出すと一枚はベッドの上へ、もう一枚は自らの腕を通す。
大きすぎるそれは彼女の足首さえも隠しとても歩きづらそうだったが、本人はお姫様みたいと随分と気に入っていた。
なにも映っていないテレビの黒い液晶に自分の姿をうつし、満足げに笑みを浮かべていたその時だった。
「あれまぁ!可愛らしい!」
突如、龍司ではない声がハルの耳に飛び込んだ。
慌てて振り向くと其処にはひとりの年を重ねた女性が立っていた。
兄チャンにちゃんとドアは閉めろっていわれてたのに……ハルは閉め忘れたドアを見て困った顔をした。
「坊ちゃんのお友達かいな?」
「………………。」
母親においていかれてから龍司としか会話をしていないし顔も合わせていない彼女はどうすればいいものかわからず、みるみるうちに目に涙が溜まっていく。
「お名前は?おばあちゃんにゆうてごらん。」
「……ハル……。」
「ハルちゃん言うの?カルピス飲むか?」
女性は後ろ手に持っていたカルピスの入ったグラスを差し出す。風呂上がりで渇いた喉にカルピスはさぞかし旨いだろう。けれど彼女はなかなか受け取ろうとしない。
「ハルのこと、つれていく?」
「そんなことせぇへんよ、あたしは龍司坊ちゃんのお母さんみたいなもんやから安心しぃ。」
「兄チャンのおかあさん…??」
母親だと聞かされ一気に警戒心が解けたのか、ハルの顔色が変わった。さらにグラスを近づけてみるさと小さな手を伸ばそうか悩んでいる。
「飲んでええよ?兄チャンもええって言うてたし。」
ホント?兄チャンおこらない?、そう何度も聞いてから、ハルはグラスを両手で受け取り女性が頷いたのを合図に美味しそうに一気に飲み干した。
「おいしかった!ごちそうさま!!」
「そりゃよかった。なぁなんでここのお家に来たんや?」
すっかり気を許したハルは彼女なりの言葉で龍司との馴れ初めを説明していく。
身内でもないのに簡単に屋敷に出入りし龍司の部屋でさえも行き気するこの女性は、代々この郷田家で仕えている使用人。
この広い屋敷をたった一人で掃除や洗濯、時には食事の用意すらこなし日々忙しく暮らしてきた独身の彼女。そんな彼女に身振り手振りで話すハルの姿は、生涯独りで生きていくと誓った心にあたたかさを与えていった。
一方ハルを先に上がらせてゆっくり湯船に浸かり、鼻歌混じりに廊下に出た龍司は、自室から聞こえる話し声にあっという間に温まった体が冷えていくのを感じていた。
「お前っ!!なに勝手に人の部屋入って…」
「坊ちゃん。あんたいつからこない小さい子囲うようになりましたんや…?」
怒鳴り散らす勢いを酷く冷たい口調で押さえ込まれ、龍司は拳を握り締めた。よりにもよって一番厄介な人物に見つかってしまった、唇を噛みながらどう言い訳をしようか頭を回転させつつハルを見ると、なんとも嬉しそうな顔で駆け寄ってきた。
「あのね兄チャン、このおばあちゃんにカルピスもらったの!おいしかった!」
こっちの気持ちを察しもせずにこにこと話すハルに、つい苛立った矛先が自然と向いてしまう。
「お前ドアちゃんと閉めへんかったんやろ!?ゆうこときかんのやったらまたあの家の押し入れに入れてもええんやで!!」
「ひっ……!!」
そんな強い口調で言われたのは初めてでハルの顔は一気に歪んでしまう。
「兄チャ……ごめんなさ…」
「謝って済む状況とちゃうんや!!はよ服着い!今すぐ連れて行ったるわ!!!」
そんな血が昇った彼を奈落の底へ突き落したのが使用人の言葉だった。
「…こんな小さい子に将軍様ゆうて教えた変態のくせになに偉そうに言うてますのん?」
将軍様……………変態………………
龍司に言い返す言葉は残っていなかった。自分がつい出来心でハルに言ってしまっや事を激しく後悔する。穴があったら入りたいとはまさにこの事だろう。
「ふ…ふえっ……」
「あーあー泣かんでええ。今から三人でちゃーんとお話しよね?ええね、ぼっちゃん?」
ハルが家に独りぼっちだということ、なぜか放っておけなかったということを龍司はぼそぼそと話した。ハルの母親のことはやんわりとしか言えなかったが彼女にはニュアンスで伝わっていることだろう。
しかしハルの存在がばれた以上このままここには置いてやれないだろう。良くて施設、悪ければ父親である郷田仁のもとへ連れて行かれるかもしれない。自分があの時連れて来なければこんなことにはなからかったのに。
龍司はしゅんとしているハルの顔を見た。
「ハル、兄チャンとおわかれ?」
小さな手が不安げに龍司の腕を掴む。
子供ゆえに、難しい言葉がわからないかわりに空気を読む能力が長けているのか。彼女は龍司が考えていたことをいとも簡単に察しているようだった。
すまん
その一言を言ってしまえば小さなこの手を離すことになる。そんな簡単に言えるわけがない。
「……わかりました。私が引き取りましょ、ええね?坊ちゃん。」
「え…………」
「なあハルちゃん、今日からおばあちゃんと一緒に暮らそ?」
「でもっ……」
腕を掴んでいた手を女性に取られ、ハルは2人を交互に見比べていた。彼女が返事に悩み助けを求めていることが龍司にはわかる。
「そうし。毎日遊びにきたらええ。帰る家が変わるだけや、それ以外なんも変わらん。」
ぐりぐりと頭を撫でてやると、ゆっくりとハルの不安げな顔から笑顔が覗いた。
「わかった。ハルおばあちゃんとこいく。でもおふろは兄チャンとはいる。」
「「アカンッ!!!!」」
2人が声を揃えて否定した理由がわかるのは一体何年先のことだろう。