創作 肆

□夢すらも、見られないことを知る
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そっと、折れそうに細い手首を取って、月明かりを映す唐紙に酷く重い影をつくった。


「つらら・・・」


指先から伝わる体温は、想い描くには遠く、それでも必死に刻みつけたいつもの冷たさで。

震えていない、

力が籠もっていない、と。

溜息さえ漏れそうになる口唇を必死にきつく結び付け、無理矢理に目の前の彼女へと笑顔をつくった。


「・・・ずっと触れたかった、ずっとこうして・・・キミに触れたかった」


寝間着から覗く、鎖骨の浮いた首筋。

微かに開いた袖口の柔らかな腕。

畳の上に無防備に投げ出された真白い足首。

どれもこれも、己の視界の隅を掠めては、握る指の先に触れた愛しい体温を知らしめる。


「・・・」

「ッ、ごめん、・・・困らせたい、わけじゃないんだ・・・」


眉ねを寄せて、それでも努めて見せた笑顔は儚く揺らいでいて、僕は必死に取り繕って見せた。

困らせたいわけじゃない、なんて笑わせる。


「でも、ずっとこうして・・・」

「・・・」


探るように言葉を発して、指先の微動、衣擦れの音に意識を向けた。

顔は───、見られなかった。

歪んだ顔なんて見られない。

振り解く力なんて感じられない。

翻る着物の音なんて聞こえない。

否───。

見たくない、感じたくない、聞きたくない。


「ずっとこうしたかった」


濡羽の髪を一房掬った。

そこに唇を寄せ、小さく息を落とす。


「ッ、」


くすぐったそうに身を捩る仕草を無視して、今度はその濡羽の戻った先───項にゆっくりと唇を寄せた。


「・・・ッ、」


知った香り。

微かに染まる頬。

反射的に反らした首筋が視界に大きく広がれば、耳朶の下、無防備なそこに舌を這わせた。

握った手首を手荒く掴んで頭上で組み合わせる。

カン、と障子が無機質な音を立てたが気にせず口腔から生まれた熱い温度を肌へと戻す。


「・・・ッ、」

「つらら」


鼻先から抜ける吐息。

引き結んだ唇から漏れる微かな声音。

結んだ手首を捕まえる、指先に返った冷たい力に縋るように求められれば歯止めなど利かなかった。





「───首無!!」


開いた視界に飛び込む眩しい朝日。

一番始めに見えたものは、天井高くに大きく掲げられた己の腕だった。


「首無?・・・開けるわよ?」


力無く下ろした腕が布団に落ちた瞬間と、白い着物が風に揺れたのはほぼ同時。


「首無?」


冷たい───だろう指先で手早く着物の裾を捌いて、横に膝を追った彼女は不思議そうな顔で覗き込んだ。


「具合でも悪いの?なかなか起きてこないから心配して───って・・・ちょっとッ、酷い汗じゃない!」


時計を見渡す気力も無くて、ただ呆然と天を仰ぎ見た端で、大きく見開かれた瞳と定まらない意識を揺らす声。


「首無・・・?」

「・・・」

「首無ッ、」

「・・・あぁ、」

「・・・寝過ごすなんて貴方らしくないじゃない。本当に大丈夫?」

「・・・」

「───首、」

「・・・大丈、夫、だよ」

「・・・本当に?」

「・・・あぁ」

「なら良いけど・・・。皆心配しているわよ?首無らしくないって」


思えば。

確かに“らしくなかった”と今更ながらに気付いた。


「さぁ、汗を拭いて!今日も朝から寄合の準備で大忙しよ!」


差し出された綿を、考え無く受け取る。

目の前で見るキミは、触れずにその冷気を感じられる程こんなにも近い。


「皆、待ってるわよ!」


躊躇いも無く、これ程までに近くで笑って、寄り添って───言葉を発して。


「ハ、ハハッ・・・」


居なくなった独りの部屋で渇いた笑い声を上げた。

現実は、こんなにも近い。


「ッ、」


頬を、一筋の涙が伝った。





近い、と素直に喜べない自分が憎い。

当たり前のように話して、触れて、笑うキミが───今も何より遠い。





一言も言葉を発さなかったあの時の彼女が自分の中での幻想だと気付いた瞬間に、それを静かに悟った。



自分は。

望んだ夢さえも、見られないのだと───。








 

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