創作 参

□レガート
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―――あぁ、貴方はなんて罪作りなお方。






ゴンッ!と重く堅い鈍器で殴られたような、そんなくらくらと目眩さえ起こす脳中の起因はきっと、目の前で繰り広げられている光景。


「家、長・・・」


散歩に出た主の帰りを今か今かと待ち倦み、ついに我慢の限界を迎え本家を飛び出したつららが見たものは、あまりに無情なものだった。


「あ、あのッ・・・あ、ありがとうございます!」

「・・・気をつけな」

「は、はい!」


頭を下げる見慣れた人間の娘に、微かな笑みを向ける彼。


「・・・」


視界の端を、はらはらと氷塊が舞った。

呼吸によって唇に触れるのは、零度の気体元素。

握り締めた指先が凍るような冷たさを覚える度、それが逆に彼女の胸に微かな安堵を齎した。


「リクオ様・・・」


滾ればこの身体は安易く溶け出す。

晒せば安易く好転する。

だがそんなことは、させない―――。


「主様」


“ぬしさま”と、彼女は感情の篭らぬ声で囁いた。


「あ、」


けれど人間の少女が驚きに瞬きを繰り返す頃には既に、雪の精は二人を隔てるように妖艶な笑みを浮かべながら男の腕にそっと手を添える。


「なかなか戻られず心配しておりました」


ふと伏せた瞳が、透き通るような肌に長い睫毛の影を落とした。

月影が揺らめき、それは憂いを帯びる。


「あなたは―――」

「さあ、屋敷に戻りましょう?」


だが少女の呟きには一切の反応を示さず、雪女は乞うように男を見上げた。

視線が絡めば、腕に這わせた指先に微かな力を込める。


「カナちゃん」

「・・・は、はい!」

「悪いが・・・一人で帰れるかい?」

「え?・・・あ、・・・は、い・・・」


手に取るように分かる少女の落胆した様にも、雪女は顔色一つ変えなかった。

ただ寄り添う男の身体に、ぴたりとその肌を


「あ、あのッ・・・・さようなら!」






「らしくねぇな、つらら」

「・・・あのような場を見せられて、らしくあれと言うほうが酷な話ではありませんか?」

「いつものお前なら、造作も無いだろう?」

「・・・私は奴良組三代目の側近。あの時の私は、彼女の知る“及川氷麗”ではありませんから」


偽りの姿ならば心を殺す。

彼がそれを望むのならば―――。


「ややこしいな」


そう言って、リクオはふと笑った。

だがその言葉と、月を眺めながら手酌する様が厭に目について、つららはあからさまに溜息を吐く。


「あなたがそのように、のらりくらりと奔放であられるからですよ。あの娘の気を知っていながら要らぬ喜悦を抱かせて・・・過度な期待は今に痛みを生みますから」

「大した自信だな」


けれども間髪を入れずニヤリと笑みを浮かべながらの言葉にも、つららは眉間の皺を増やすだけだった。


「・・・今日のリクオ様は一段と意地が悪くあられますね」

「そうかい?」

「・・・私の機嫌を損ねることがお望みとあらば、それはとうの昔に叶っておりますよ?」


そう言って一瞬の隙を突きリクオの手から猪口を奪うと、つららは徳利の乗った盆を掻っ攫って障子を開く。


「待て」

「まだ何か?」

「退りを許した覚えはないぜ」


咎めるようなリクオの言葉に、つららは渋々歩を止めた。

格子を掴んだ指先に、熱を帯びた手指が絡まる。


「・・・このような時ばかり、主でいらっしゃる」

「オレはいつだってお前の主だ―――だからこの命令も絶対だ」

「ッ、」


横暴と、息を詰まらせることさえ彼の頬を緩ませる原因となるのだと、分かっていながら避けきれない自分自身に、つららは深々と溜息を漏らした。


「久しぶりだな」

「・・・毎夜、遊歩に出られているからでしょう」


軽々と盆を奪われ、腰に回された手で身体を反転させられる。

近づく吐息からわざと視線を逸らそうと首を傾げれば、顎先を捕えられ逃げ道を失った。


「淋しかったか?」

「・・・何を―――んッ、!」

「ここは世辞でも、そうだと頷いておくもんだぜ?つらら」

「そのようなッ、」

「なんだい?」

「・・・いえ。重厚さを失った主を正すことも、側近の役目と心得ておりますから」

「・・・ハッ。いつまで持つか、見物だな」

「み、見世物ではッ―――!」

「お前の言う“主従”は、こういうことはしないだろう?」

「ッ、!!」


狡い、と吐き出した言葉は重なった口唇に消える。

衣を掻き分けた先、素肌に感じる体温。

畳に落ちた着物を視界の端に捉えながら、結局は逃れられないのだと、薄れゆく意識の中で雪女は笑うのだった。








 

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