創作 参
□まだ、今は近く
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笑っていいよ。
それでもまだ、私はあなたの近くにいたいと思うから―――。
「及川さん」
「―――家長さん?」
「あのね、今週の日曜日って何か予定ある?」
「え?」
「ほら、この間雑誌に載ってたアクセ、可愛いって言ってたじゃない?駅の近くに新しいアクセサリーのお店が出来たから、一緒にどうかなって・・・」
その言葉に、きょとんとする及川さん。
そんな彼女の陰で、私はぎゅっとスカートの裾を握る。
「日曜日・・・?」
「うん」
「日曜日は―――」
“奴良組”と呼ばれる任侠一家で、“側近頭”という役目に就いている彼女。
休みの日も―――本来ならば学業が副業だが―――色々予定もあるのだろう。
月、火、水・・・と指折り数え、明後日を見遣る彼女は、何か深く考え込んでいるようだった。
けれどもやがて、その首は縦に振られることになる。
「えぇ。日曜日なら特に予定もないし・・・でも、いいの?」
遠慮がちに首を傾げる様は、私の都合を伺っているようだった。
「私なら大丈夫!撮影もないから」
「そうなの?」
「うん。じゃあ決まりね!何時頃にする?」
声は跳ね、胸は歓喜に溢れる。
「楽しみだね、及川さん!」
えぇ、と頷く及川さんに、私も目一杯の笑顔を返した。
待ち合わせは午後の2時。
知っていた。
今日の予報は―――夕立だっていうこと。
「雨、降りそうね・・・」
駅に隣接する建物を出た瞬間、雨雲に包まれた空を見上げた及川さんがぽつりと呟いた。
「本当だ・・・急がなくちゃ」
言った私の鞄の中で、ひっそりと息を潜めているお気に入りの折り畳み傘。
そして、漸く見慣れた景色が私達の目の前に広がり始めた頃―――。
その時は訪れた。
「どうにか持ちそうだね、天気」
「そうね、よかった」
それまで酷く不安そうに、低く垂れ込める暗灰色の雲を追いかけていた及川さんは、残り僅かになった家路に安心したのか私の言葉に大きく頷いた。
刹那―――。
「つらら―――」
知っていたの。
雨の午後は、番傘を差した彼が彼女を迎えに来る―――。
「リクオ様!?・・・どうしてここへ―――」
「散歩がてらに、な」
「あ、あのッ・・・こんにちは!」
「・・・久しぶりだな、カナちゃん」
“カナちゃん”
本当に、長く長く待ち侘びたその口調は、あれから何度も何度も思い返したあなたのそれと何等変わらなくて。
込み上げた感情に鼻の奥がツンとした。
「・・・降ってきたな」
「え?」
そう言った彼の言葉に空を見上げれば、ポツリポツリと落ちてきた小さな雨粒が私の頬を濡らした。
「若、風邪をひかれてはなりません。急ぎましょう」
「あぁ、そうだな」
「家長さん、傘は・・・」
「ッ、大丈夫!私の家、すぐそこだから―――え・・・?」
及川さんの問い掛けに笑って手を振った私に、差し出された一つの傘。
「これ、使って」
にっこりと、優しく笑う及川さんは可愛らしい小花柄の折り畳み傘を私に向けた。
「及川さん、これ・・・」
「モデルの仕事は体力勝負だって言っていたでしょう?風邪をひくといけないわ」
「でも・・・」
言いかけた私はそこで言葉を切った。
目の前の彼女に差した影。
それは彼が持つ、番傘が産んだ温もり―――。
「ありがとうございます、リクオ様」
「気をつけて帰れよ、カナちゃん」
「え・・・あ、はいッ!」
私は慌てて返事をした。
「また明日ね、家長さん」
「うん。ありがとう、及川さん」
それに―――。
「リクオくんもッ、また明日ね!」
「・・・あぁ」
ゆっくりと振り返った彼は、半ば叫ぶような私の声に淡く微笑んだ。
雨が濡らす細道に、並ぶ二つの影法師。
笑っていいよ。
それでもまだ、私はあなたの近くにいたいと思うから―――。
了