創作 参

□ディベルティメント
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遠野の山―――奥深い場所に、二人の姿はあった。


「それじゃあ、行ってくるわね」

「・・・あぁ、気をつけて」


爽やかな青空の下、男は柔らかく相好を崩しゆっくりと微笑む。

が・・・。


「ふふっ。なんて顔してるのよ」

「・・・え?」


口では軽快に見送る素振りを見せても、その表情には確かに暗雲が立ち込めている。

妻はそんな夫の様子を見逃さなかった。


「・・・私って、そんなに信用がないかしら」

「な、違ッ―――、雪麗ッ!」

「ふふっ、冗談よ冗談」


雪麗と呼ばれた女は必死に弁解をする夫を軽く笑うと、ひらひらと手を振った。


「ちょっと顔を見せに行くだけよ、暫く挨拶していなかったから・・・。それに―――」


言って、彼女は自分の腕の中へと視線を落とす。

すやすやと、安らかな寝息をたてている小さな小さな赤子へと・・・。


「この子も、行く行くは・・・ね」

「雪麗・・・」

「だからそんな顔をしないで。私の家はここよ、すぐ戻るわ」


淡い竜胆色の着物は彼女によく似合った。

流れるような黒髪は風に揺れ、透き通るような肌は彼女の魅力を一層引き立てている。

いってきます、と桜色の口唇で孤を描き屋敷に背を向けた妻を、男はただ静かに見送っていた。






「雪女!?」

「おい!雪女が来たぞ!!」


雪麗が門扉を叩くや否や、妖怪任侠一家奴良組の本家は騒々しいくらいの喧騒に包まれた。

ドタバタと、けたたましく鳴る足音に懐かしさを覚えながら雪麗は見慣れた門を潜る。


「・・・久しぶりだな、雪麗」

「―――木魚達磨、・・・牛鬼、・・・久しぶりね」


屋敷を出て数年。

記憶と変わらぬ顔触れに、雪麗はじわりと胸が暖かくなるのを感じた。


「久方ぶりだな」

「そうね・・・、かれこれもう五年くらいは経つかしら」

「あぁ、そうだな」

「早いものだ・・・」


通された客間で三人、それぞれ感慨深げに頷き合う。

追憶と一寸狂わぬ仲間との再会は、喧騒と隣り合わせのそこにゆっくりと穏やかな時を残した。


「・・・雪女、その赤子は―――」

「私の娘よ」


達磨の声に、雪麗は淡い笑顔で頷いた。

やんわりと、柔らかな髪を梳く。


「生まれておったのか」

「えぇ。ただ色々とあってね、ちょうどこっちも例の件で立て込んでいたみたいだったから・・・敢えて連絡しなかったのよ」

「幾つになる?」

「えっと・・・あと三月で一年、ね」


綿の包みに包まれた赤ん坊は、眠りに就きながらも抱き抱える母親の指先を小さな小さな手できつく握り締めていた。


「名は―――」

「つらら。―――“氷”に、私から“麗”を取って“氷麗”」

「つらら、か・・・」

「・・・よい、名前だな」


繰り返し呟き反芻する達磨。

瞳を伏せ、頷く牛鬼。


「雪女。まだ先の話だとは思うが―――」

「・・・考えてはいるわ、・・・いずれはね。ただ、この子のことはこの子自身に決めてもらいたいのよ、・・・側近だった母親っていう理由じゃなくて、きちんと自分で選んだ道を歩んでもらいたいの」


雪麗は静かにそう言った。

その瞳はまだ幼く、無垢で何も知らぬ愛娘だけを見つめている。


「雪麗さん!?」

「―――あら、毛倡妓じゃない。首無も」

「お久しぶりです!」


長い別れの末の再会は、歓喜の声を屋敷の外まで漏らした。






「あら、起きたの?」


一人になった客間で、いつの間にか目を覚ました娘に雪麗は微笑んだ。

下女達の計らいによって用意された柔らかな寝具の上で身体を転がす。


「ふふっ。珍しいわね?」


普段ならば寝起きは僅かにぐずる様を見せるのだが、今日は機嫌が良いようだ。

雪麗はそんな娘をそっと抱き上げた。

そして揺籃のように緩やかに腕を揺らせば、赤子はきゃっきゃと甲高い声をあげ嬉しそうに宙へ手を伸ばす。


「なに?どうしたの―――あぁ、蝶・・・」


心地好い風と共に、開け放った窓は色鮮やかな一匹の蝶を迎え入れたらしい。


「綺麗ね・・・」


美しい羽で描く螺旋の舞を披露するかのように、蝶は二人の周りを優雅に飛び回る。

誘われるように庭に降りた雪麗と、嬉しそうに短く声を漏らす娘のつらら。

そこへ―――。


「―――雪麗・・・、か?」


声は、確かに二人へと届く。


「あっ、」


短く漏らしたのはつらら。

雪麗はゆっくりと振り返る。

所用で近所へ出ていたらしい彼。

思えば幾年。


「ぬらりひょん―――」


二人を繋ぐ、言葉は何か。






果てしなく、幾久しい安穏を―――。








 

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