創作 参

□今はただ、あなたに在りたいと願う
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ひらり、ひらりと。

音もなく舞ったひとひらの桜の花片が、静穏な水面に波紋を生んだ。

そんな様を縁に腰掛け見遣るのは、寝衣に羽織を纏った雪女のつらら。

開かれた眼瞼は胸の内を明かすことなくただ真っ直ぐに前だけを見つめ、その表情が醸す憂いを窺い知ることができなかった。


「つらら」

「ッ、・・・リクオ様」


別段気を遣ったわけではなかったが、微かに揺れたつららの肩口に床を鳴らし進むリクオは首を竦めた。


「驚かせたか?」

「いえ・・・少し考え事をしていたもので―――」


言うと、つららは視線を避けるように身体を傾ける。

そこでまた、縁が軋った。


「・・・親父のことか?」


リクオは苦笑するように問い聞くと、静かにつららの隣へと腰を下ろす。

湯浴みを終えた彼もまた寝衣に羽織と軽い身形で、一瞬それを見たつららの唇が開きかけたが終始言葉を紡ぐことはなかった。

時折、冬場の冷たい風が二人の髪を攫う。


「・・・考え事、ではありませんね」

「・・・つらら」


彼女の表情は穏やかだった。

声音も迷うものではなく、はっきりとした口調。

それでもその瞳だけは大きく揺らぎ、触れ合う距離のリクオの羽織に細い指先だけがそっと寄り添うのだった。


「リクオ様」






あの日を想う―――。

そんな追慕さえ遠い昔の起こりとなるのなら、今この瞬間さえ疎ましいと思うべきなのか・・・。


“山吹”

“鯉伴様”


あの時、彼女はどんな思いで己の最期を―――枯れるように消えたと、説いたのか。

追憶を巡らせれば巡らせるほど自問の波が押し寄せて、つららはやり場の無い感情に長く息を吐いた。

それでも違えた未来への想起は今を否定する。

現実は人間の娘との間に子を儲け、彼―――己の主―――が生まれた。


“山吹”

“あなた”


追懐も憚られるあの日の彼女は、いったい誰の記憶に在るのか。

誰の記憶に在りたいと願うのか―――。


「つらら・・・」


知らず頬を伝っていた涙を、リクオの指先が静かに拭った。


「ッ、・・・」


嗚咽が吐息に消える。

それでも浮かんだ謝罪の言葉を、つららは無理矢理に噛み殺した。

自分自身何に向けたそれなのか、答えが見つからなかったからだ。

きっと二人の未来はあの日に二人だけの世界で終わりを迎え、二人きりの世界へと終結した。

今更どんな形でその姿を追おうときっと変わらない。

変えられない。

奴良鯉伴が愛し、共に生きることを願った山吹乙女との―――二人の未来は―――。


「リクオ、様ッ・・・」

「・・・」


きつく抱きしめた腕の中で、微かな嗚咽だけが響く。






幸せだったと彼女は言った。

これ以上はないと思えるくらいだった、と―――。






“淋しい思い、させちまったな・・・山吹”

“・・・いいえ。だってあなたは‘ぬらりひょんの子’ですもの”


淡い笑みを浮かべる彼の側で、彼女は心の底から安堵したように微笑んだ。






だから、今はただ―――

あなたに在りたいと、願う・・・。









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