創作 参

□終、徒桜となりて散りぬ
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ぐるぐると思惑が濁流のように渦巻く。

堰き止められ一向に澄む気配のないそれは、雪麗の脳裏を完全に支配し身体髪膚の動きを止めた。


「雪麗?」

「・・・」

「・・・おい、雪麗」

「・・・」

「雪―――」

「雪女!」

「―――え?な、なに!?」


彼女にしては珍しく、肩をびくりと震わせ視線を忙しなく巡らせた。

その様に、見兼ねたカラス天狗が溜息を吐く。


「総大将がお呼びだ」

「え?」


見れば、ぬらりひょんは厳しい表情を浮かべるカラス天狗に苦笑しながら不思議そうに雪麗を見遣っていた。


「珍しいな」

「そう?」


深く考え込んでいたようだ、とぬらりひょんが言えば肩を震わせていた彼女はどこへやら、飄々と言ってのける。


「何か心配事か?」

「・・・別に。なんでもないわ」


箸が氷塊を纏った米粒を摘む。

それは紅を引かずとも、女性らしい赤みを帯びる雪麗の唇へと吸い込まれていった。


「ご馳走様」

「なんじゃ、もう食わんのか?」


彼女の膳には、まだ米の残った茶碗がある。


「ちょっとね。悪いけど先に休ませてもらうわ、・・・風邪気味なの。支度は他に任せてあるから」


夜半の寄合への準備や主の寝床の繕いなど、側近である雪麗にはやるべきことが山ほどある。

だが今日はそれらを他に任せ、彼女は早々に自室へと切り上げた。

脳裏を支配する厄介事の所為で、正直手が回らない。


「さて・・・」


彼女が手にしているのは一枚の紙切れ―――と呼ぶにはあまりに不躾で、それは可愛らしい小花が描かれた小洒落た便箋だった。

そして流れるような綺麗な、文字はもう何度読み返したか知れない。

その度に、その文字は雪麗から深い溜息を誘うのだ。

簡潔に言えば求婚。

相手は雪麗もよく知る奴良組傘下の組頭だった。

翼下の中でも一際広大なシマを持つ組であり、他からの信頼も厚い。

奴良組の名を持つ場であれば、側近として本家へ入った雪麗にしても申し分ない話であった。

それでも彼女がこれほどまでに頭を悩ませる理由は、他にある。


「潮時かしらね・・・」


雪麗はぽつりと呟いた。

いつからだろう。

きっと昔なら、最後の文字を読み終えた瞬間にもう永劫開くことのないそれを記憶の底から消し去っていた。

だが今はどうだ。

読み返しては答えの出ない自問と自答を繰り返す。

断定が正しいのか分からなかった。

ここで切ったら先はないのではないかと、今になって知った邪念が次々と浮かぶ。

いっそ、これを好機と受け入れたほうが自分のため―――楽になれるのではないかと思うのだ。


「・・・」


雪麗はゆっくりと卓上に手を伸ばす。

いつもこうして、唇を噛んできた。

けれど今日は違う。

強い力で筆と硯、そして墨を手に取った。






雪麗の知る限り、今のところ彼に女を娶る気配はない。

とは言っても、自分を共に付けぬ酒の席では酒興の流れでそういった遊興に走っていることは知っていた。

彼も男だ、至極当然の運びで、自然の道理だろう。


「雪麗」

「―――ッ、!!?」


あぁ、どうしてこうも正確なのだと。

問い詰めたくなる。

問い質したくなる。

きっとそれは節穴のようでいて、そして誰よりも鋭い。

雪麗は着物の袖で濡れた頬を拭った。


「ちょっと待って」


パンッ、と両手で頬を叩く。

側近、と自身に暗示をかけた。


「なあに?」

「・・・散歩に行こうと思うんだが、行かぬか?」

「・・・」


体調不調を訴える相手に無理強いするような奴じゃないことを、私が一番よく知っている。

だからそんなことを言われたら断れない私だってことも、自分が一番よく知ってた。

呆れるくらいに馬鹿げていると。

その言葉一つで、何日もかけて積み上げた決意がこんなにも呆気なく崩れ去るのだから・・・。


「・・・仕方ないわね。あんた一人で行かせると、どこに行かれるか分からないからついていってあげる」


素直じゃないことも、分かっているでしょう?

グシャッと、背中に隠した紙が無機質な音をたてた。






忘れようと決めた想いは、終に儚く散ってゆく。

それはまるで、徒桜のように・・・。








 

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