創作 参

□待ち侘びた受難
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それは、あっと言う間の出来事だった。

否、正確には驚きのあまり言葉は一瞬にして喉奥に消えてしまっていた。


「す、すみませんッ!!」


バタンッ!と車の扉を開き、血相を変えて飛んできたのは若い風貌の男。


「大丈夫ですか!?」


顔面を蒼白にし、彼は地面に膝を突いたつららの肩を揺さぶった。


「あ、はい・・・」

「すみません、お怪我は―――」

「だ、大丈夫です・・・」


つららは頬にかかった髪を払いながら、道の脇に転がった買物袋を拾う。

ふと視線を投げれば脛に小さな掠り傷があったが、幸い軽いもののようでうっすらと血が滲む程度だった。

つららは男の目から隠すように僅かに身体を傾けると、そこに軽く手を翳す。

そして何事もなかったかのようににっこりと微笑んだ。


「気にしないでください、私も余所見をしていましたから」


白い着物は所々薄く汚れている。

が、幸い深めの手入れを必要とするものではなさそうだった。


「すみません、クリーニング代を―――」

「え?あぁ、気にしないでください」


男が胸の隠しに手を突っ込み財布を取り出すから、つららは慌ててそれを制した。

確かに洗濯屋で行う和服の手入れは自宅での手入れよりも結構なものであるが、つららの住まう本家では江戸やそれ以前から生きる知恵者も多く、そういった術はつららのような若年の者も教授という形で継がれていた。


「本当に、私の不注意もありましたから」


言ってつららは立ち上がる。


「ですが着物が・・・」

「本当に―――」

「ならせめて、ご自宅まで送らせてください!」

「・・・え?」

「怪我をされていたでしょう」

「あ、」


見られていたのかと心中、後悔する。

傷は今、もうないのだ。


「それじゃあ、お言葉に甘えて・・・」

「はい。さあ、どうぞ」


妖の、人に比べて遥かに高い治癒力を思い、つららは小さく頭を下げながら男に招かれるまま車へと乗り込んだ。

なにやら面倒なことになってしまったと、一人こそりと溜息を吐きながら・・・。






然して車が向かう先、奴良組本家の屋敷では側近の帰りを待つ三代目が忙しなく庭先を行ったり来たりしている。


「あの・・・リクオ様?心配なのは分かりますが、少し落ち着かれては―――」

「オレは落ち着いてるぜ、首無」


声でそう返事するも一向に止むことのない彼の挙動は、側に控えた首無の心中から舌打ちを誘い出した。


(いったい何をやっているんだ、つららはッ・・・)






と、その頃・・・。


「ここ・・・ですか?」

「え、えぇ・・・」


怪我をさせた詫びだとつららを自宅まで送り届けたはいいが、運転席を降りたまま助手席の扉を開くことも忘れ、男は高くに構える門扉に開いた口を閉じられずにいた。


「ここ、は・・・」


ブラウン管の中でしか見たことのない世界に、今度はただただ閉口する。

視線の先、いくら目を凝らしても石垣の塀に終わりは見えない。


「あの・・・ありがとうございました」


対して車から降りたつららは立ち尽くす男にぺこりと頭を下げると、そそくさと屋敷に足を向けた。

余計なことを問われる前に、逃げるが勝ちと考えたのだ。

・・・だが。


「あ、待ってください!」

「・・・はい?」


男は慌てたようにつららの背を追う。


「これ、私の連絡先です。怪我や治療費のことで何かありましたらここに―――」

「・・・つらら?」


あぁなんて律儀な男だ、と感心する間もなく。

刹那、どすの利いた声が二人の耳朶に響いた。


「リ、リクオ様ッ!?」


振り返れば見慣れた銀鼠。

突然の主の現れに、驚いた声をあげるつらら。

そしてそんなリクオの背後で一人頭を抱える首無の姿は、誰の目にも留まることはなかった。


「・・・誰だい、そいつは」

「あ、あのッ、帰り道に助けていただいて―――」


礼儀のへったくれもないリクオの態度に、つららは慌てて返す。


「申し訳ありません!私の不注意で、彼女に怪我をさせてしまったんです!」

「・・・怪我?」


だが正直な男の言葉により一層、リクオの眼光が鋭くなった。

無理もない。

なかなか帰らぬ彼女のことが気掛かりで何も手に付かず、らしくなく右往左往していれば漸く姿を見せた彼女は見知らぬ男を連れて帰ったのだ。

挙げ句の果てにその男は、自分の大切な彼女に怪我をさせたと言っている。

客人を持て成すように笑顔で居ろというほうが無理な話だ。


「リクオ様、私は大丈夫ですから・・・」

「どこだ?」

「はい?」

「どこを怪我した?」

「・・・へ?―――ハゥウッ!!リ、リクオ様ッ!!?」


ぐいっとつららの身体を抱き寄せ、リクオは触れ合うほどの至近距離でその金色の瞳に問い聞いた。


「どこをどう怪我した?」

「ど、どうって・・・あ、あのッ、えっと・・・ッ、!!」

「・・・」


頬を、首筋を、腕を、腰を、手首を。

確かめるように触れるリクオの手つきに、つららは丸い瞳をぐるぐると回す。


「あ、の・・・」

「・・・答えられらないなら、直接確かめるしかないな」

「へッ!!?」


すると男への牽制も忘れ、狼狽えて取り乱すつららの身体を抱き抱えたリクオは、スタスタと屋敷に向かって歩き出した。

そんな様子を放心状態で見つめる男の肩を、溜息を吐いた首無が軽く揺さ振る。

主とその側近の、時や場所を考えない―――人前だろうと何だろうと構わず二人だけの世界を作り出す―――あの奇行だけは、切実にやめてほしいと願う彼なのだった・・・。








 

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