創作 参
□桜色追想譚
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頃は江戸。
幕府による国の統治も基となり、行楽や歌舞伎、落語といった華やかな娯楽が人々の生活と密接に関わりつつあるその時世。
飛び交うのは絶えることのない笑声。
時にこれはそんな日本の行政首都、江戸の町。
小さな小さな城下町の、とある一齣である―――。
「じゃあ、これなんかどうだい?この刺繍の辺りなんか特にさ、藍染めの良さが出てるだろう?」
「ほほう、確かに。そいつはなかなかの代物だ―――って、おいおい・・・その指のところ、上手い具合に隠れている数はなんだい?」
髭を生やした男が言えば、対する女の眉がぴくりと釣り上がった。
「まったく・・・、けちけちするんじゃないよ。手塩に掛けた愛娘の嫁入りだろう?一生に一度の晴れ舞台なんだから大金散蒔くくらいの気持ちでいないでどうするんだい」
女は呆れたように首を振る。
「馬鹿言え。金は全部うちのやつが握ってんだ、今日だって仕方ねぇから鳥居んとこで世話になったばかりさ」
男は頭を掻きながら、苦虫を噛み潰したように言った。
その様に、雪麗はあからさまな溜息を吐く。
「あんたって奴は・・・また付けかい。いい加減改心しないと、そろそろ鳥居に寝首掻かかれるよ?あそこだって嫁さんの親が入ってから色々とごたごたしてるんだ」
「それは分かってらぁ。ただな、鳥居が良い奴なのがいけねぇ」
「なんだい、困ったら今度は人の所為?あんたって奴は本当に―――あぁ、いらっしゃい。つらら〜?ちょっと出てくれる〜?」
「はぁい!」
女―――呉服屋の店主、雪麗が談笑を止め店の奥を覗けば、即座に元気な声が返ってきた。
「ちょっと待っててよ?お兄さん」
戸口に立つ背の高い客にそう声をかけると、雪麗はまた客人に向き直る。
「なんだ、今日は珍しくつららちゃんがいるのか。どうだい?お前んとこの娘とうちの息子―――」
「冗談。それより買う気がないなら出ていってよ、私だって暇であんたの相手してるんじゃないんだから」
男の言葉を雪麗がばさりと両断した。
するとそうこうしている間に、遠くの方からパタパタと足音が聞こえてくる。
「いらっしゃいませ!」
呉服屋“及川”の一人娘、つららだ。
そんな彼女の今日の身形は長春色の着物に赤白橡の帯といった春らしい色合いで、合わせた小花の留飾りがよく似合っていた。
「お待たせしました、今日は何かご所望で?」
長い髪をふわりと揺らし、つららはなぜか品物を見ることもなく戸の近くに突っ立たままでいる男にそう問い聞く。
「・・・反物が欲しい」
「反物ですね。ご用途は?」
「・・・着物を、仕立てる」
「然様ですか」
ぶっきらぼうな男の言葉を聞いたつららはそれでも笑顔を崩さず頷いた。
そして手近にあった織物を数本、酷く丁寧な手つきで卓の上へと並べる。
藤紫に花緑青、萱草と視覚で見る者を楽しませる鮮やかな色合いに、つらら自身が柔らかな笑みを浮かべた。
「色合いはどうされますか?」
「色、か・・・」
「えぇ。・・・失礼ですが、贈り物か何かに?」
「・・・あぁ」
つららの問いかけに、男は銀鼠の髪を微かに揺らして頷く。
そこでつららは相好を崩した。
「気に入りの意匠やお持ちでない色合いを選ばれると、喜ばれますよ」
「気に入り・・・」
男がそう呟いた丁度その頃。
駿府から移った遊女屋が立ち並ぶ日本橋の町で、大層な着物を纏ったの女が悲しげに溜息を漏らした。
「旦那様・・・」
「失礼します。黒田様がお見えです」
振袖新造の娘が慇懃にそう伝えれば、部屋の中の女は途端に訝しげな表情を浮かべた。
「・・・旦那様は?」
「はい?」
「旦那様はどこへ行ったの!?最近―――いいえ、ここ数日お姿を見ていないわ。・・・ッ、まさか本当なのッ!?私達を捨てて、この吉原を出ていくって―――」
「やめな」
その時。
襖がぴしゃりと開いて、鋭い眼光が二人を射抜いた。
「太夫!!」
「ッ、」
その姿を認識するか否か、新造の娘はすぐさま頭を垂れる。
やがて睨みを続けていた女も、終いには渋々と外方を向いた。
「あんたはもういいよ、積んできてるから登楼のほうをお願い」
「はい」
娘はしっかりと頷くと、部屋に残った二人に頭を下げて階段を降りていった。
「・・・根も葉も無い噂を信じるなんて、あんたらしくないじゃないか―――カナ」
「旦那様のことですッ!!私には旦那様が全て・・・あの方無しの世界なんて考えられない!!」
「・・・」
二人の視線は絡まない。
暫くの沈黙の後に、太夫の女が溜息を吐いた。
「行きな」
「ッ、・・・」
「・・・教えたはずだよ。あたし達花魁に客は選べない」
下から聞こえる聞き慣れた笑い声に、耳を塞ぎたくなった。