ニートと警察官

□確証のない真実
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「あーいーちゃんっ」
「あら、また来たの?」
「んふふ、また来ちゃった!」

土曜日。阿笠邸へとやってきた悠里はニコニコと笑いながら、ソファーでファッション誌を読む灰原に声をかけた。悠里が来たことでふわり、と部屋中に甘い匂いが広がる。匂いの元は、悠里が手にしている皿からのようで、見ればそれはドーナツだった。灰原は手に持っていたファッション誌を横に置き、じっとドーナツを見つめた。

「この前のような、ヘルシーなおやつシリーズかしら」
「うん、おからで作ったやつだから普通のよりカロリー低いよ。だから博士にも…って思ったけど、居ないの?」
「ええ、ちょうど買い物に出ていったばかりよ。…せっかくだから、博士用に残しておいてもいいかしら?」
「いいよいいよ。2人で食べきれる量じゃないしね」

台所借りるね、と悠里は一言断りを入れて湯を沸かし始めた。灰原はソファーから離れてマグカップを用意する。

「…あなたもマメね。子どもたちがポアロに行ってるとき、こうやっていつも甘いものを持って私を訪ねに来てくれる。気を遣わせてしまっているのかしら」

マグカップをシンクに置き、灰原は言った。灰原の言う通り、いつも悠里はポアロに行こうという少年探偵団の誘いを断る灰原に対して甘いものを持って来ては時間を共にしていた。最初は甘いケーキやクッキーが多かったが、それでは灰原の目が光り阿笠博士が食べられないと知り段々とヘルシーなお菓子へと変わっていったのだ。

「そんなことないよ。私もポアロには行けないし、行けないもの同士仲良くしたいんだよ。それに、お菓子を作るのも意外と楽しくて」
「ふうん。家庭的なのね」
「そうでもないよ。ここに来る前はほとんど料理というか、家事というか、そういうのしなかったし」

ポットとカップに湯を注ぎ、しっかりあたためてやりながら悠里は笑いながら言った。灰原は意外だとばかりに目を丸める。悠里の料理の腕はなかなかのものだ。てっきり家事全般は悠里がこなしていたのだとばかり思っていたのだが、それは勘違いだったらしい。

「意外だわ。あなたの同居人だった人は世話焼きだったの?」
「うーん、多分」
「多分?」

曖昧な答えに、灰原は首を傾げた。

「夕飯だけでも作るよ、って言ったことあるんだけど、自分が作った料理を私が食べるところを見るのが好きだから何もしなくていいって言われてさ。変わってるよね」
「……………そうね」

その元同居人の言葉の意図を上手く汲み取れていない悠里に、灰原はたっぷりと時間を空けて返事をした。悠里はコナンにはあまり話さないらしいが、灰原にはよく元同居人の話をする。人物の特定ができない当たり障りの無い話だけではあるが、それでも元同居人が彼女に好意を持っていることは聞いているだけでも充分理解出来た。だというのに悠里は微塵も気づいていないのだ。灰原は会ったことも見たこともない悠里の同居人に、ひっそりと同情するのだった。

「あなたの元同居人が世話焼きなのは分かったわ。で、あなたは時間がある限りずっとハッキングをしてたわけね。飽きないの?」
「飽きないよお。常にアップデートされてるゲームみたいなもんなんだよ?しかも難易度はどんどん上がるタイプの」
「…本当にすごいのね。未だに信じられないわ。あなたがあの組織のデータベースに入り込んだなんて」

灰原の言葉に、悠里は少しだけ柳眉を下げて微笑んだ。その表情を見て、灰原は思い出したのだ。その組織のデータベースに入ってしまったせいで悠里の師である人間が死んでしまったことを。灰原はそっと目を伏せた。

「…軽率なことを言ったわ。ごめんなさい」
「ううん、気にしないで。ほら、紅茶も入ったことだし、私特製のドーナツ食べようよ」
「………ええ、いただくわ」

マグカップを2つ机に置いて、2人はドーナツに手を伸ばした。…隣の住人に先程の会話を聞かれていたなど少しも気づくことなどなく、悠里は少しだけ目元を緩ませてドーナツを食べる灰原に微笑んだのだった。

***

「ただいまー、ってうわビックリした!どうしたの沖矢昴。玄関で仁王立ちしちゃってさ」

灰原と一通り談笑をし終えた悠里は、機嫌よく工藤邸へと戻ってきた。すると玄関を開ければそこには沖矢が腕を組んで仁王立ちをしていたのだ。驚きもするだろう。靴を脱いで沖矢の横を通り抜けようとした悠里だったが、沖矢に手首を掴まれ行く手を阻まれた。

「…沖矢昴?」
「お嬢ちゃん、俺に隠していることがあるな」

沖矢は…、赤井は目を細めて悠里を見た。悠里はゆっくりと唇の端を持ち上げ、ふっと息を吐いて笑う。今更すぎる言葉がなんとも滑稽に思えた。

「隠し事?そんなの山ほどあるに決まってるじゃん」
「いや、隠し事じゃあないな。俺に嘘を吐いているな」
「嘘も山ほど吐いてるねえ」

ぬらりくらりと躱していく悠里に、赤井は眉を顰めた。別段仲がいいわけでも悪いわけでもない関係でも、このように躱されるのは少々苛立ちが募るのだろう。悠里の手首を握る手に力が入り、痛みの伴うそれに悠里は非難の声を上げようとした。

「俺は、お嬢ちゃんがあの組織のデータベースに入り込んだなんて話を一言も聞いていないんだが」
「……………は?」

しかし赤井の言った言葉に出そうと思った言葉は出てこず、悠里は固まった。赤井が何を言っているのか、すぐに頭が処理しなかったのはもちろんのこと。赤井が知らないはずのことを口に出して、動揺したのもあるだろう。

悠里の決して回転の速い訳では無い脳みそが、ぱちりぱちりとピースを揃え始めた。この話が出てくるタイミングと、宮野志保と赤井秀一。そしてこの2人の関係性。導き出された答えに、悠里は赤井の手を振り払ってわなわなと震えた。

「なっ、も、もしかして、シルバーブレット…!あんた阿笠博士の家を盗聴…!」
「…………阿笠博士の許可は取ってある」
「やっぱり!阿笠博士の許可『は』取ってるんでしょ!?志保ちゃんは知らないんでしょ!?」
「知っていたら盗聴器は全て彼女の手で剥ぎ取られた後、壊されるだろうな」
「当たり前だよ!?犯罪っ!」
「お嬢ちゃんに言われたくない上に盗聴は犯罪にはならんぞ」

しれっと悪びれる様子もなく語る赤井に、悠里はさらに震えた。…赤井の行動は分からなくもない。己がいない間に恋人が殺されたのであるから、その恋人の妹を守ろうと必死なのは分かる。しかも相手が相手であるのだから、生半可なやり方では守りきることができないというのも分かる。だが彼女にそれを知られたときは、激怒されるだろうことは想像に難くない。この様子でいくと、盗聴器をしかけて長いのだろう。変なことを口にしていなくて良かったと、悠里は心底ホッとするのであった。

「とにかく、そのことについての非難は後で聞こう。今はお嬢ちゃんのことだ」
「ふんだ。聞かれてたのなら今更隠す必要もないし、仕方ないわね。シルバーブレットが聞いてた内容が真実だよ」
「開き直ったな。…どうして俺の間違った認識を訂正しなかった」

赤井の言葉に、悠里は「別になんだっていーじゃん」と言いながら彼から目をそらした。赤井は仕方がないなと言わんばかりに、小さく溜息をついた。

「お嬢ちゃん、とにかくだ。そうなってくると話がだいぶ変わってくる」
「……なによ改まって。何かあったの?」
「バーボンが悠里さんのことを気にしてるんだよ」
「コナンくん」

リビングの扉が開き、顔を出したのはコナンだった。先程の会話を聞いていたのだろう。苦笑しているコナンに、盗聴器の類は彼も1枚噛んでいるのだろうと悠里は思った。悠里は自分に近づいてくるコナンに、膝を折って話を聞く体制になる。俺の時とは随分と態度が違うんじゃないか…、とぼやく赤井を無視して悠里は首を傾げた。

「さっきポアロで光彦達が悠里さんのことを安室さんに話したんだ。そしたら安室さん、かなり興味を持ったみたいで…」
「だろうね。彼、沖矢昴のことをシルバーブレットだって疑ってるんでしょう?なら私のことはおおかたFBIの仲間だと思うんじゃないかな。そう思われるの想定内だよ」

そう言えば、コナンは困ったように眉を下げた。

「それだけならいいけど、あの人沖矢さんのことを探るために定期的にここら辺まで出歩いたりするんだ。悠里さんは暫く本当に家から出ない方がいいと思う」
「というわけだ、お嬢ちゃん。部屋のカーテンは常に閉めていろ。窓にも近づくな。彼は…バーボンは大丈夫だと思いたいが、確証がないからな…」
「…シルバーブレット、それどういう意味?」

ぴくりと片眉を上げ、悠里は赤井を見据えた。先程とは違い、目を逸らすことなく真っ直ぐと。今度は赤井が目をそらす番だった。

「…今のは忘れてくれ。確証が持てたらまた話そう」
「ボク達ちょっとだけこれからのことを相談するけど、悠里さんは気にしなくていいからね」

そう言って、コナンと赤井は再びリビングへと入っていった。これは本当に暫くは阿笠博士の家へと出向くのも自粛した方がいいなと悠里は困った笑みを浮かべる。沖矢昴と同居する因幡悠里という人間の存在を知り、疑うまでは想定内のことだった。しかしまさか降谷が沖矢昴を探るためによくここら辺を出歩くのは全く知らなかったのだ。

「それにしても、シルバーブレットのさっきの言葉…。まさか降谷くんのことをー…」

先程の赤井の言葉の意味を頭の中で反芻させながら、悠里は部屋へと続く階段をゆっくりと上がるのだった。







確証のない真実
2018/06/06


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