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□桜が魅せた、淡い想い
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いつだったか。
岩下明美がこんな話を新堂にしたことがあった。“旧校舎の裏にある桜の木は、生贄を求める”のだと。

「生贄、ってどうやって生贄にするんだよ」
「ふふ、さあ。私は見たことが無いから分からないわ」
「はぁ?なんだそりゃ」

そんな会話をしたのはまだ記憶に新しい。いったい何が生贄か。何の根拠もなく話すんじゃねぇよ。あの時の岩下の顔を思い出したのか、新堂は少々イラつきながら右手に持っていたサバイバルナイフを弄んだ。

今日はどうも気が乗らない。このナイフで人間を切りたいとも、その相手が絶望と恐怖とで染まる顔を見たいとも思わない。そういう日もあるものなのか。新堂は欠伸を1つして、旧校舎を見た。昼間でも薄暗い旧校舎は、日が落ちかけている今、さらに禍々しい建物であるかのようにそびえたっている。そう…それは、ほんの気まぐれ。今日はクラブ活動をする気になれないため、岩下の言った桜の木を拝んでやろうじゃないか。そんな軽い気持ちだけが新堂を動かしていた。

とはいえ、初夏に差し掛かったこの季節。桜の花なんて全て散ってしまい、今は青々とした葉っぱしか見ることができないだろう。花に詳しくない自分に、葉っぱしかついていない桜の木なんて桜だと分かるだろうか。普通の木と見分けがつかないのではないだろうか。

「…ありえる」

十分ありえる可能性に、なんとも言えない気持ちになった。

「まあ、ガラじゃねーし、」

逆に、花に詳しい自分なぞ想像すらできやしない。気持ち悪い。今のままでいいじゃないかと思いなおし、旧校舎の横を通り裏手へと出た瞬間…新堂は言葉を失った。葉っぱで覆われているはずの桜の木に、見事な桜色の花が付いていたからだ。


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