ニートと警察官

□許されざる罪の追憶
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雨が降る中、止まることを知らない赤い血が、とめどなく流れている。それは次第に彼女の方まで流れていき、男が彼女に買ってやった、紺色のワンピースを汚していった。ただただ目の前の光景が信じられなくて、男が何故倒れているのか理解が出来なくて、何をするでもなく彼女は男の前に座っていた。誰かに見られては不味いその光景に、俺は彼女を抱き上げその場から離れようとしたその瞬間。今まで聞いたことのないような大声を、彼女は上げたのである。声は雨の音でかき消されてしまったけれど、俺の耳には充分届いていた。涙も雨が隠してしまっていたが、彼女がー...駒鳥さんが泣いたのはあの日が最初で最後だった。

***

前髪をヘアピンで上げて、後髪は黒ゴムで無造作に束ねている。厚い瓶底眼鏡をかけて、黒いジャージを四六時中着た妙齢の女。このような格好をしていなければたいへん美しい女性であるのだが...相変わらず、外に出る気が全くない格好である。ごろりとソファーに寝転がり、ノートパソコンのキーボードを叩いていた。ただ、いつもよりその眼差しは真剣である。

「今日はどちらをハッキングで?」
「ん?…やだなあ、降谷くん。私がいつもハッキングしてると思ったら大間違いだよ」
「へえ。じゃあ何をしているんですか」

降谷が駒鳥のパソコンを覗き込もうとすると、駒鳥はパソコンを閉じ「えっち」と言いながら唇を尖らせた。その所作に降谷は言葉を詰まらせるが、頭を軽く振って駒鳥の瓶底眼鏡を取り、オレンジがかったその瞳を覗き込む。駒鳥の瞳の色は、よくよく見ると少しだけオレンジがかっている。近い距離でしっかり見ないと分からないくらいの色合いだが、降谷はこの色を見る度に、近い距離感を許されているという優越感に浸れるのだ。

「...駒鳥さん、あなたまさか危ないことに手を出していませんよね。例えば組織について、とか」
「えー...と、危ないことには手を出していないから安心してよ」
「...なんですか、今の微妙な間は。それに危ないことに『 は』って、まさか本当に...」
「だ、大丈夫だって!」

降谷の言葉が続くのを遮るように、駒鳥は大丈夫だと言い張った。瓶底眼鏡を降谷の手から取り返し、そのまま装着しようとする。しかし再び眼鏡をかけることは叶わず、顔を包まれるように、降谷のその大きな手が駒鳥の白く滑らかな頬に触れたのだ。彼の人の方を見てみればいつになく真剣な顔で、駒鳥は思わず息を呑んだ。

「...駒鳥さん、冗談とかそういうのではなく本当に組織について調べていませんよね」
「……組織の中には入ってないもん」
「駒鳥さん」
「.........降谷くんは、忘れたの?私が『駒鳥』を殺してしまった原因を」
駒鳥の言葉に、降谷は顔を歪めた。
「あれは...」
「私のせいじゃない、なんて言わないでよ」

少しだけ口元を歪ませ、駒鳥は自嘲的な笑みを浮かべた。駒鳥...初代駒鳥の死因は、目の前にいる駒鳥がまだ雀と呼ばれていた時分、彼女が例の組織のデータベースの中枢に足を踏み入れてしまったことが原因だった。初代駒鳥はその事に気づき、雀を守るべく雀に関することだけ全て情報を消し去った後、組織の人間に射殺されたのだ。嫌がる雀を降谷に預けた初代駒鳥は、最後に雀の頭をひと撫でして、笑って去って行ったのである。

そういった経緯があるために、降谷は駒鳥を匿っている。そうしておけば、組織内で駒鳥の話題が上がった時にいち早く行動に移せるからだ。駒鳥は死んだ。だが死んだ駒鳥が別の駒鳥であったならば、組織は再び『駒鳥』を殺そうとするだろう。駒鳥が生きていること、彼女が駒鳥であること、それは決して組織に気づかれてはいけないのだ。

「だからといって彼の仇をとるだなんて思わないでくださいよ。あなたも分かったはずだ。組織がいかに危険な場所か」
「...それでも私は、私を含めて駒鳥を殺したやつを許さないよ。絶対に」

眉間に皺を寄せる駒鳥に、降谷は小さく溜息をついた。駒鳥の聞き分けのなさは今に始まったことではない。始まったことではないが、あまり駒鳥を甘やかしすぎるのも駒鳥自身にとってもあまりよくないと降谷は最近思うのである。そう、少しは脅しを入れないと...、と。

「...駒鳥さん...あまり聞き分けが無いと、縛って動けないようにしてしまいますよ」
「………降谷くんが言うと冗談に聞こえないよ」
「冗談なもんか」

降谷に即答され、駒鳥は小さく「ひぇっ...」と呟いた。降谷は真面目で国のことを思う公安の模範生のようなものであるが、それと同時に国を守るために手段を選ばない冷徹な面も見せる。それを重々知っている駒鳥は、降谷の先ほどの言葉が冗談ではなく本気であることを感じ取った。

「えっと…無茶はしないから...」
「無茶とかの話ではなく、そもそも詮索をやめろと言っているんです。だいたいあなた、いつも僕に隠れて組織のことを嗅ぎ回っているというのに、今は余裕なさげにしているじゃないですか。そういうときに足元を掬われる
んです。今はとにかく、やめてください」
「けど、」
「やめてください」
「…………分かった」

渋々といった風ではあるが、とりあえず了解はしてくれた。駒鳥は嘘を平気でつくが、真面目で素直なところもあるためこのように言質をとっておけば暫くは大人しくしている。とはいえずっと大人しくしている訳では無いため、油断禁物ではあるが。降谷は名残惜しげに駒鳥の頬から手を離すと、彼女はホッとしたように眼鏡をかけ直した。

「で、何をお調べになってたんですか」
「そこ聞くんだ」
「………」
「…FBIの報告書」

降谷が無言でにっこりと笑えば、駒鳥は苦虫を噛み潰したような顔をして、口を尖らせながら答えた。今日の降谷にはあまり逆らえないことが悔しいのだろう。降谷はFBI≠フ単語を聞いて、片眉を上げた。彼にとってあまり好ましくない単語だ。

「それで成果は?」
「FBIの敏腕狙撃手がジンに弾丸を一発お見舞いしたって話。ジンが狙ってたのは毛利探偵で…って、降谷くんはそれくらい知ってるでしょ。私は今一度情報の洗い直しをしてただけ」
「なるほど。ではどうして洗い直そうと思ったんですか?なにかきっかけがあったんでしょう?」
「…むう…、そこから先はいくら降谷くんでも言えないな」

FBIの敏腕狙撃手。つまり赤井秀一のことである。降谷が彼を好ましく思っていないことは、駒鳥も承知していたため、あえて名前を出すのを避けたのだ。

また情報を洗い直した理由も降谷には言い難い。それは降谷が駒鳥のノートパソコンに入っているデータをハッキングしようとしたからである。駒鳥はハッキングに対して怒ってなどはいない。ただ、しかけたタイミングが気になったのだ。降谷がしかけたのは駒鳥が数年ぶりに外に出て、赤井秀一と思しき男と出会ったその日の夜中である。なぜ彼が唐突に駒鳥にハッキングをしかけたのか。降谷がなりふり構っていられない情報を駒鳥が入手していないか≠確認しようとしたのではと駒鳥は予想している。降谷とて駒鳥から情報を抜き取れるなんて本当は思っていなかったはずだ。それでも降谷は情報を抜き取ろうとした。無理だと分かってはいても、試さずにはいられなかったのだろう。

つまり降谷は、赤井秀一が生きているという情報が欲しいのだ。おそらく降谷も赤井秀一が死んだと思っていない。あの赤井秀一に酷似した男も降谷の変装だろうと駒鳥は予想をつけていた。FBIに赤井秀一の姿で現れ揺さぶりをかけているといったところか。最近よくベルモットと会っているのも変装を手伝ってもらうためだろう。駒鳥に推理力という大層なものなど備わっていない。しかし常人より得られる情報は多い。その情報を集めて並べ替えて、1つの道にすることはできる。

降谷という男は完璧だ。世間知らずな駒鳥でも充分理解出来るくらい。そんな降谷の唯一の弱点が赤井秀一なのだ。降谷は赤井のことになると、すぐに我を忘れて冷静を欠いてしまうところがある。今赤井秀一が生きているかどうかに通ずる情報を降谷に渡すわけにはいかなかった。

「では、質問を変えましょう。あなたの部屋にはもっとスペックの高いパソコンがあるでしょう?なぜそちらで作業をしないんですか。それともFBIへの侵入はノートパソコンで充分ということですか?」
「やだなあ、FBIをそんなに甘く見ちゃいないよ。…だってそっちで作業してたら、ここで作業できないじゃない」
「?ここでないとダメだったんですか?」
「うん、降谷くんが近くに居てくれた方が落ち着くもの」

少し照れた風に言った駒鳥を見た瞬間。降谷は壁に近づき思い切りその壁に自ら頭を打ち付けた。

「!?ふ、降谷くん!?なにごと!?」
「……いえ、今一瞬意識が飛びかけたので」
「疲れてるんじゃないの…?大丈夫…?」
「ええ、大丈夫です。目が覚めました」

若干引き気味に降谷のことを心配する駒鳥に、降谷はいやにキリリとした表情で受け答える。意識が飛びかけたのは本当だ。駒鳥にあんな風にあんな事を言われて思わず緩んでしまいそうになる己の顔を自身で呼び戻したのだ。

駒鳥の照れた顔が分厚い瓶底メガネで少々隠れてしまっていたのは残念であるが、逆に直視していたら本気で膝から崩れ落ちていたかもしれない。正直めちゃくちゃ可愛いと思ってしまった。降谷は咳払いを1つして、平静を装う。

「それでは駒鳥さん、僕はそろそろ仕事に行きますから」
「前々から言ってたやつ?」
「ええ、ウェイターとして潜入する予定なので」
「さっきみたいに意識飛びかけたからって、壁に頭打ち付けちゃダメだよ」
「勿論ですとも」

僕がこんな風に喜びで取り乱すのはあなたに対してだけなのだから。その言葉を呑み込んで、不思議そうな心配そうな顔をする駒鳥に降谷は微笑むのだった。






許されざる罪の追憶
2017/04/22


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