ニートと警察官

□恋に落ちて、愛に溺れる
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「突然外に出たくなってしまった」

朝目が覚めて、例の組織の関係か何かで早々に家から出ていってしまった降谷を見送った後の話である。駒鳥は、ぼんやりとリビングのソファーに寝転がり、窓から射し込む太陽の光を浴びていた。そうしていたら、ふと思ったのだ。外に出たい、と。思い立ったが吉日。駒鳥は数年ぶりに外出することを決めたのである。

眼鏡は邪魔であるからワンデイコンタクトを付け、軽く化粧を施す。いつも黒ゴムでひとつに束ねてしまっている髪も、今日はほどいてしまう。さらさらと、生糸のような黒くて長い髪が背中を覆った。そして初代駒鳥に買ってもらった紺色のワンピースを着れば、美しい女性の出来上がりである。

「...降谷くんに、外出すること言っといた方がいいかな...」

元々駒鳥は、例の組織関連で降谷に匿ってもらっている。事情を全て知る降谷からは、1年くらい前からそろそろ外出をしても大丈夫だろうと言われてはいた。しかし、いざ出ようと思うと降谷の顔が脳裏にちらついてしまう。それもこれも、今日朝出ていく時の降谷が随分と険しい顔をしていたことも理由の1つとしてあげられるだろう。眉間に皺を寄せて、言葉少なく早くに出ていってしまった。いったい何をしに行くのかなんて、教えてくれたことが無かったため敢えて駒鳥は聞かなかったが...。

「メールだけしておこうかな」

使うことがないため、駒鳥は携帯電話というものを持っていない。そのためいつも持ち運んでいるノートパソコンからメールをたちあげ、今まで教えて貰ってはいたものの使うことがなかった降谷のスマホのメールアドレスへと簡単な文章を送った。

「『 ちょっとだけ外出するね』...よし。どこに行こうかな」

ノートパソコンを閉じて、ピンクベージュ色の小さなカバンを手に取る。何かあったとき用にと、これまた降谷が用意してくれていたものであった。中には財布と、とりあえず1万円札が1枚。至れり尽せりであるが、これも用意されてから初めて使うものである。

玄関へと向かい、駒鳥は靴箱にしまい込んでいたパンプスを手に取った。ヒールの部分が地面に当たり、カコン、と軽い音がする。久しぶりに履いて少し窮屈な気もするが、履き慣れた靴だ。マンションはオートロックのため、鍵を持ったことを確認して玄関を開けた。晴天である。

「どこがいいかな...人が多い所がいいな...ここから近くて私でも行けるのは...米花百貨店、かな」
行き先が決まった瞬間であった。


***


「いやー、我ながら本当に物欲が無いねえ」

米花百貨店、7階。スポーツ用品売場に駒鳥はいた。特に欲しいものがある訳では無いため、最上階から順番にフロアを見て回っているのである。

「昔はテニスとかやってたけど、今はめっきりだしねえ。そういや降谷くんもテニスできるって言ってたっけ...どれだけイケメン要素を持てば気が済むのかな...」

早々に飽きてしまった駒鳥は、下のフロアに向かうべくエレベーターへと向かった。すぐ下のフロアは何を取り扱っているフロアか考えるが、思い出せない。百貨店に入る前にひと通りフロアマップに目を通したが、特に気になるものが無かったから余計にだろう。

今回が珍しいだけで、家から出ることもほとんど無いであろうから服も特別必要ない。今のワンピースと家にあるジャージで十分であるし、カバンや靴もそれは一緒である。可愛いもの、例えば小物やぬいぐるみも好きではあるが、購入してまで欲しいとは思えない。

駒鳥は首を傾げた。はて、自分はここまで無欲であったか、と。逆になくて困るものは何だと聞かれれば、やはりパソコンだ。駒鳥はハッキング専門の情報屋であるが、そもそも彼女はハッキング自体が趣味なのである。趣味を滞りなく行うためには、やはりパソコンは必需品だ。

「...あ、でも」

もうひとつ、なくては困る...というほどでは無いが、できればずっとあって欲しいものがあることに気がついた。

「降谷くんのご飯...」

そう、降谷の作る食事だった。今まで、そこまで食に対して関心があったわけではない。嫌いなものは多いが、食べられないものは少ないため何でも口にした。しかし、食事をリクエストするのは降谷が作った料理が初めてだった。なくて困るものというよりは、手放し難いといった方が正しいだろう。

「んー...、んふふ」

降谷の料理を思い出すと、自然と笑みが零れてくる。そのままエレベーターで下の階に行こうとした駒鳥だったが、エレベーターの前にひとだかりが出来ていることに気がついた。

「...?」

何事かと思いエレベーターに近づこうとした瞬間。人混みの中から出てきた男とぶつかり、駒鳥の軽い体は簡単に突き飛ばされる形となったのである。どすり、と尻餅をついてしまい、パンプスは片方だけ脱げてしまった。腰を擦りながら「いたた...」と呻く。ぶつかってきた男はそれは紳士的に駒鳥のパンプスを拾い上げ、そっと彼女の足へと戻してやった。まるでどこぞの異国の夢物語のようなシチュエーションに、駒鳥は少々痒い気持ちになったが...男の顔を見て目を剥くこととなる。

「...えっ...、シルバーブレット...?」

顔に大きな火傷の跡があるが、その顔を見間違える筈がない。降谷の他に、初代駒鳥の居住を知っていたFBI捜査官。『駒鳥』の得意先の1人でもあるその男。フルネームは『赤井秀一』。愛想という言葉を知らないような男ではあるが、FBIきっての切れ者でライフルの名手である。しかし赤井秀一は死んだはずだ。例の組織とのやり取りで来葉峠で殺されたのだという情報を駒鳥は持っていた。そのためこんな場所に、この男がいるはずない。いるはずが無い、のであるがー...。

「シルバーブレット、なんでしょ?ねえ、ちょっ、」

手を伸ばすも、あと少しのところで男には届かなかった。駒鳥の声にも答えず、赤井と思しき男は駒鳥の前から消えていった。残された駒鳥はただただ困惑するしかない。

「…どう、いうことなの…シルバーブレットは死んだはず…だってFBI内でも死んだって…」

本当に?駒鳥は頭の中で疑問符を浮かべた。本当に、赤井秀一は死んだのか。FBI内の報告書によると、来葉峠にて赤井秀一はキールこと水無怜奈に射殺されたのち車が爆発・炎上。彼の車から引っ張り出された死体の指紋が赤井秀一のものと一致したため、その黒焦げの死体は赤井秀一だと立証された。

「…けど…指紋を使ってのトリックは、ミステリの中でも基本中の基本だよね」

指紋による偽造工作なんて、なんとでもできる。いやしかし。駒鳥は、ふるりと頭を1度振った。1人でそこまでできるだろうか。あの赤井秀一とはいえ、指紋の偽造から自分の代わりとなる死体の準備と全てできるであろうか。協力者がいればまた違うかもしれないが、FBI内では赤井秀一は死んだと正式に発表まであった。報告書もあがっている。FBIは完全に赤井が死んだものとした対応を取っているのだ。そこは、間違いない。
では仮に、本当に赤井秀一が死んでいたとしたならば。

「…他人の空似、って感じでもなかった」

先程見た男はいったい誰なのか。

「……私には関係ないけど…」

関係はないが…興味は、ある。ぞわりと、駒鳥は一瞬で鳥肌がたったことを嬉しく思った。久しぶりの高揚感である。知りたい、という欲を持つことが駒鳥は好きなのだ。どこから調べ直そうか。駒鳥は今まで調べてきたことを順序よく、頭の中で並べ直す。あの火傷の男の個人情報か、それともFBIが発表した赤井秀一死亡に関することからか。自然と持ち上がる唇の端を、駒鳥は抑えることなく更には小さく周りに聞こえない程度に笑い声も漏らす。そんなとき。

「大丈夫ですか?」

完全に怪しい人間と化してしまった彼女の思考を停止させるかの如く、涼やかな声と共に駒鳥の目の前に大きな手が差し出された。視線を上げると、メガネをかけた細目の男が立っていた。

「男性にぶつかられてからずっと動かれなかったので、足でも挫いてしまったのではと思って」

男の言葉に、駒鳥は床に座りっぱなしであったことに気づいた。

「いえ、ちょっと考え事をしていて。ありがとう」

男の手に手を重ねれば、男はぐっと力を入れて駒鳥を立たせてくれた。やや細身であるが、思ったより力強い。男を見て、駒鳥はふと既視感を覚えた。この男とどこかであったことがあるような気がするのだ。しかしどこで。駒鳥の不躾な視線に気づいたのか、男は少しだけ困ったように頬をかいた。

「…あの、なにか?」
「うーん…あなた…私と会ったことありませんか?どこかで見たことがあるような…」
「……いえ、初対面だと思いますが」
「そう…うん、そうよね…。ごめんなさい。気のせいね」

男の言葉に、駒鳥はそれもそうかと1人納得した。外に出ることがない駒鳥に、知り合いはいないに等しい。少ない知り合いの顔を思い浮かべても、この男の顔と合致する人物はいなかった。なぜ会ったことがあるように思えたのかは分からないが、恐らく気のせいだろうと結論づけた。

「いいえ、お気になさらず。そういえば、貴女はエレベーターの方に向かってたみたいですけど今は爆弾があるとか何とかで近づかない方がいいですよ」
「爆弾?どうしてまた」
「詳細は知らないんですけれどね。今はあの有名な毛利探偵が推理しているらしいですよ」
「ふーん…面白そう。見学しちゃおっかな。ありがとね、おにーさん。それじゃ」

ひらりとスカートの裾を翻させ、駒鳥は野次馬の中へと進んでいった。それを男は彼女の姿が見えなくなるまで見送り、そしてふっと笑って小さく呟く。

「…相変わらず、妙なところで鼻が利くお嬢ちゃんだ」

男がゆっくりと瞼を持ち上げれば、若葉色の瞳がキラリと顔を覗かせたのだった。


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