+++百鬼夜行二次

□探偵助手の憂鬱
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「先生なら部屋に篭ってるよ」

自称探偵秘書の安和 寅吉、彼の言う先生曰く和寅は何も珍しく無い、と言った様子でそう素っ気なく言いながら台所に積もった洗い物を片付けながら「喉、渇いた?」と聞いた。

「あ、すいません」
てっきり出して貰えると思ってそう言ったんだけど
「じゃあ、そこに用意してあるから…」

どうも和寅さんには…いや、にも僕は余り助手として認められていない様であからさまに扱いが雑だ。

僕は仄かに憮然としながらも喉の渇きに耐えかねて自分で盆に用意された急須に茶の葉を入れ、しゅんしゅんと音を立て沸騰する薬缶を持ち、ゆっくりとお湯を注いだ。

良い香りだ。

「和寅さん、この茶の香りが溜まりませんね」
「それは益田くん専用の安い茶葉ですや。お気に召して頂けて良かったですよ」

彼はからかう様にそう言うと笑った。
改めて茶葉の入っていた箪笥を見るともう一つ包みが入っていて開けてみると比べ物にならない位の深みの在る緑の香りが鼻腔を擽った。

「冗談です、そっちは古くなってしまった奴でね、そいつで一つ
床でも掃除しようと思ってたんで…」
「僕は掃除用の茶を喜んでたと言う事か…」

そう落ち込む僕の肩を優しく叩き、秘書はこう言った。

「物の価値が分からなくて底辺を楽しめるならその方が幸せだと僕は思うけど…」

…慰めになっていないし、きっと慰める気も無いのだろう。

「僕は物の価値が分からない底辺の幸せ者なのでとりあえずこれを頂きます」
厭味で言った気だったのだが効かなかった様で彼は笑って「そうそう」と同意した。

本来なら依頼人が座る筈である空席の向かいのソファーに座り僕は深呼吸をしてお茶を飲んだ。

悲しい哉、古いと分かっていながらもお茶は美味かった。しみじみと僕は底辺で在る事を思い知らされた様で…

「涙が出そうです…」
「悲しい時は大いに泣くと良い」

陶器の音で騒がしく室内を彩りながら彼は笑った。もう良いや、と言う気になった。

「ところで益田君は今まで何を…?」
片付けが終わったのか僕の隣に座りながら彼は問いかけてきた。
「いや、日銭を稼がないと喰っていけないもんで…」

――少し…不倫調査を…と僕はなるだけ小声で肩を竦ませて言った。

「あらあら…」と和寅は眉をしかめ僕を哀れむ様な顔をした。
「…気持ちは分かるけど…先生に怒られますよ?」
「あの人は僕をいたぶって楽しんでるだけじゃないか…」
「違いない」

否定は頂けなかった。

「きっと何をしても怒られる様な気がするよ…」そう頭を深くうなだれると
「…違いない」

またもや否定は頂けなかった。
気分はどんどん沈んで行きそうなので僕は気を取り直す事にした。

「その仕事も一区切り付いたので僕は自分の所属する…」
「公認では無いですがね」
「…所属する、探偵事務所の様子を伺いに来た訳何だけど…」
「悲しい位に何も変化はありませんねぇ」

先程までしゅんしゅんと音を立てていたと思う薬缶はもう音を立てていなかった。
和寅のお茶が先程香った深みの在るお茶の匂いを室内に広げた。

僕は彼の湯のみを覗き込むと彼は「益田君は卑しいなぁ」と笑い
「次のは古くないのを入れてあげますよ」と珍しく優しい言葉を言ったので
それはそれで居心地が悪くて僕は苦笑した。

「…で、今回はどんな流れだったんで…?」
「いやいや、良く在る話なんですがね…」

和寅は探偵の助手、いや、俗に言う探偵と言う職業の助手…自称秘書、か。
とりあえず探偵を支えると言う役割には持ってこいな聞き上手だった。
僕は彼の促すまま事の成り行きと顛末を話した。
***

「へぇ、苦労したんだねぇ、益田君…」
「分かってくれますかぁ?和寅さん…」

恥かしくも僕は涙ぐんでしまった。
警察時代からそうだったので慣れては居るものの、
自分の分を稼いでいるだけだから褒められるべく事でも無いのだけれど
それでも誰にも評価されずに細々とやるのは寂しいと思うもので…

「僕はこんなに努力していると言うのにきっと僕は怒られるんだ」
「先生は特殊ですからね…」

確かにこの探偵事務所の顔である榎木津は何もかもが特殊で
警察だった僕は驚いたけど、彼が特殊だからこそ僕は今、此処に居るのだと思う。

警察と言う縛りには沢山の矛盾があって、理屈ばかりで
正義が如何とかが分からなくなっていた僕に榎木津は理屈を通り越して
その正義と言うものを定義して見せた。

暗闇の中に光を見出した様な、そんな気分だった。
だから僕は押しかけて助手になった(自称でもなんでも)んだけど
彼の僕に対してのぞんざいな扱いは時に悲しくなる程だった。

…不思議な事に特にそれが心底辛いとは思わないのだが
その埋められない心の隙間が不意に埋まったとなれば
大の大人でも涙ぐむのは仕方の無い事だろう、と自分で言い訳をした。

「しかし先生の益田君を罵る語彙がどんどん豊富になって行くから
僕は次、どんな言葉が出てくるのか毎回楽しみにして…」
「しないで下さい!そんなの…」
「でも先生は誰にだってああだけど益田君を罵る時は
特別語彙が豊富になる様な気がするなぁ」


――少し、いや大分、嬉しいと思った自分が嫌だ。


「…罵りやすいんでしょうねぇ」
「…嬉しく無いです」

不意に噂の主である榎木津が扉を豪快に開けて入ってくるから
僕達は訳も無く慌てた。まるで予期せぬ夕立の様な人間だ。

「ああ、寝すぎた。気持ちが悪いと思って起きたら男が二人
椅子でこそこそと話して…独りでも気持ちが悪いのに二人だと
尚更だ。竈馬なら失神ものだ。寝てた方がまた気分が良かった」

憮然として寝癖も直さずに首をしきりに撫ぜながら噂の主は
逢うなり罵声を浴びせてきた。

僕達の視線や意見など何処吹く風と言わんばかりに
寝すぎで節々が痛いのか体を伸ばす様に動かし始めた。

「探偵助手は探偵の傍に控えるものですから、何も無くても居ますよ」
榎木津は僕の頭上を半目にし始めたのでとっさに僕は体を大きく反らせた。

「馬鹿だ馬鹿だと思っては居たが本当に馬鹿だったのだな。避けて
見えないとでも思ったのか!このカマで間抜けで抜けオロカ!
節々が痛い。人の下半身事情など伺う暇が在るなら相手しろ!」

榎木津は腰を低く下ろすと訳の分かって居ない僕の体に突進してきて
ズボンを持ち上げ僕を投げ飛ばした。

机の上に在った湯のみが派手な音を立てて割れる。
投げ出された自分の肢体のあちこちに痛みが走る。

「勘弁して下さいよぉ」
「前髪など伸ばしてるからそんなに弱いのだ、鍛えてやる!」
「ちょっと!…あ、ちょっと待って…!」

逃げ回る僕に追いかける探偵、僕は助手であって犯人では無いのに…

「先生!物が壊れてしょうがないから外でやって下さい!」
「和寅さん、止めてくださいよぅ!」
「外か、散歩がてら出るか、外。そして投げる」
「誰か助け…」


こうして探偵(自称)助手の憂鬱なのか愉快なのか
分からない一日はふけていくのであった。



【終わり】

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