忘れる瞬間を

□震える声で
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助けて。そう震える声で言った君に僕は手を離してしまったんだ。握っていなければいけなかったその手を、誰よりも強く、握っていたその手を。誰よりも早く、酷く、醜く、離してしまった。
助けて欲しい。心の奥底に本心がある。心臓を掴んで、潰して欲しいと。けれど、そう簡単に消えることは出来ない。虚しくて辛い。悲しくて痛い。この痛みはなんだろう。問いかけに答えてくれる君はもういない。月子の隣にいた君はもういない。僕の愛しい人、僕は禁忌を犯し、君を突き落としてしまった。


震える声で



「お前、月子のなんなんだよ?」


屋上で独り、ぽつりと座っていたら声をかけられた。二年生の不良だ。月子からのメールと写真で知ってる。七海哉太だ。


「何、とは?」
「月子泣かせた事、忘れてねえよな?」


挑発的な笑みで僕を見下ろす七海から視線を外す。月子に目を冷やせと言えなかった事を今更ながら思い出す。あのまま、食堂に戻ったのか…。と、天然な友人を頭に思い浮かべながら、再び七海と目を合わせる。

「…っ。」

七海の目は真剣だった。本気だった。僕の侵入を防ぐ猛犬だ。月子から僕を守る騎士だ。そう思わずにはいられないその姿に心臓が酷く痛い。
悪いのも僕で、彼女を手放したのも僕で、月子を傷つけたのも僕だ。けれど、その度に逃げようとする僕を心臓は苦しめる。まるで僕に苦しみながら息耐えろ、というように。

「…悪かったと、思ってる。」

―ボコッ。

刹那、何が起こったかもわからないくらいの衝撃が頬を襲った。頬が痛い。じわり、と伝わる熱がその動作をフラッシュバックさせる。切れた口内の血をペッ、吐きだした。気持ちの悪い感覚だ、二度と味わいたくない。

「二度と軽い気持ちで月子に関わるな!」

キッと目を吊り上げた七海に、僕も手を抑えた。今ここで殴ったらまた月子は悲しむんだろう。けれど、優しいから、僕を責めないんだろう。
それでいいわけない。だから手は出したくない。でも、心は抑えきれない。何故だ、あんなに痛感したのに…。


「軽い気持ちで、月子に関わってると思うか。」


月子は僕の大切な友人であり、彼女の親友だから。

低い声と強い口調。それとは裏腹に僕の顔は苦かっただろう。相手を睨みもしない。目を合わせもしない。苦し紛れについた嘘にしか聞こえない。それでも僕は後悔したくなかった。

上手く言えない。どうすればいいかわからない。


「僕は、月子が――…。」






















七海は硬直していた。綺麗な顔の美男子を殴ったせいもあるが、そいつは大胆にも告白してきたのである。頬を紅潮させることもなく、痛々しく血を垂らしながらも、苦い顔で言ったそいつの顔は悲痛に満ちていた。
奴は本気だったのか。そう七海は思うようになった。

では何故月子は泣いていたのか。

屋上を出ていたったそいつの顔を見てふと考える。つい最近転校してきた奴だ。奴が月子を知っているはずは…なくもない。反対に月子が奴を知っていることは…なくもない。だが、考えられるとするならば、奴が告白して、月子が断って、嫌がらせをされて、泣いた。


月子は優しい。だから、奴の気持ちも考えて何も言わなかったんだろうか。奴も、苦い顔をして想いを告げたんだろうか。


「悪かったと思ってる」この言葉の意味は?


七海は考える事を放棄した。



 

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