長編
□儚−5−
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コンッコンッ。
紗月の部屋の扉がノックされた。
「はい?どうぞ?」
いつも紗月の身の回りのことをしてくれるニンフかと思い、紗月は入ってくる許可をした。
扉が開き現れたのは黒き影。
「お邪魔する」
入ってきた影に紗月は驚いた。
「ハーデス叔父様?どうなさいましたか?」
部屋にある椅子を勧めながら、紅茶でも入れようと立ち上がった紗月を「いい、少し話があるだけだ。」と留めたハーデスは紗月が座ったことを確認して口を開いた。
「明日、そなたの異母兄弟であるヘルメスが迎えに来るから、それで天界へ帰るといい。」
「え…」
紗月の戸惑いの声を聞き流し、ハーデスは目も合わせずに言い募る。
「デメテルがそなたを返せとゼウスに訴えたそうだ。…これでもう、そなたも泣かなくてすむ。」
知られていたことを紗月は初めて知った。
ハーデスは立ち上がり、話はこれだけだと扉に向かい歩みだした。
「すまなかったな。今までありがとう。幸せになってくれ」
パタン。
扉の閉まる音と共に紗月は泣いた。胸の苦しみを抱いて。
(私は、貴方にとってどんな存在でしたか?母に会えずとも、貴方に想われてなくとも、貴方の優しさに惹かれていました。貴方の付けてくれたペルセフォネの名、貴方の妃としての名をついに貴方は呼んで下さらなかった。それでも私は、貴方を悲しき瞳を持つ優しき孤独の王を、ハーデス様を、愛しています。)
春の女神の慟哭は静かな世界に響いた。