長編

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それから凡そ一年後、通り魔事件の犯人は未だに捕まっていない。警察の事情は全く知らないが、水戸の所に刑事が訪ねて来たのも、事件当時だけだったらしい。これは本人から聞いた話だ。水戸は今日もまだ、三井の隣で歩いていた。この日も街中を歩く最中、必ずどこかが触れ合っていた。学生時代から、ずっと変わらない。東京に来てから、八年も経っていた。また夏が来る。日中の蒸し暑さに三井は、蝉の声を思い出した。見上げると、太陽が高かった。眩しくて目を細めていると、目の前がくらりと揺れる。ちかちかと真っ白になり、瞬きを何度かした。夏の前の特徴だと、三井は思う。水戸が近付くと、その温度は顕著に感じる。手の甲が触れると、それなりに温もりがある。水戸はまだ、生きている。
「お前、水戸じゃねえ?水戸だろ」
前方から、着崩したシャツと明るい髪が特徴的な、見た目からして柄の悪い青年が立っている。三井が水戸を見ると、思わず息を飲んだ。見据えられた青年は何故今も尚へらへらと笑えているのか分からない。三井は思わず、顎を引いて半歩下がった。こめかみが痒い。汗は流れていないのに。纏う空気が違う。この一角だけ、気圧が低くなったように重い。
「工藤か……」
「覚えてたんだな」
「忘れねえよ、お前だけは」
「誰その、隣のヤツ。背ぇ高えなー、かっこいいね、お兄さん。名前何ていうの?」
オレ?三井は工藤と呼ばれた男を見る。
「あ、どうも。みつ……」
「喋るな!」
遮る水戸の声に、三井はぎょっとした。目の色が違う表情が違う血の付いた指先を見た子供の頃の顔が三井の脳裏に浮かぶ。殺すか、そう言って異物を見たあの日。水戸は父親を見据えたあの日と、同じ目をしている。
「行くよ」
手首を引っ張られ、三井はつんのめりそうになりながら歩いた。工藤を横切る瞬間、彼は水戸の後ろ姿を見ていた。三井など、まるで眼中に無い。眉を顰めた表情、鋭い眼光。明らかな敵意。それを見た。工藤と距離が離れた時、水戸は三井の手を離した。水戸、呼ぶと彼は、三井を見上げる。
「誰?あいつ」
「俺が父親の次に殺したいと思った人」
そう言った水戸は、どこを見ているのか何を考えているのか、それとも今も尚殺意を抱いているのか、三井には見当も付かなかった。捉えている目線の先も掴めず、この目に何が宿っているのか分からない。
三井は気付いた。何故彼の犯行が足を掴めないのかが。報道では大概、後ろから刃渡り十五センチ程度の刃物で差し、凶器はそのままにして去っているらしい。死因は出血死。本人からは聞いたことがない。水戸自身も、殺人行為については一切語らない。だが三井は知った。この男が殺意を持つ瞬間、きっと何も考えていない。無心だ。後ろから近付き、出血量が多い箇所を狙い、刺す。一瞬の行為を行い、何事も無かったように去る。実際何事も無いのだろう。彼にとって。気配も感情も残さない。それが追う人間の視線を逸らす。
三井は彼の目を見て、その動向を想像し、足元が冷えて行くのを感じた。




10へ続く


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