長編

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「私が知っているのはここまでです。でもね、時々連絡をくれたんです。元気ですか?と。顔を見せに来てくれたこともありました。その時はお菓子をたくさん持って、子供達に食べさせて欲しいって。優しい子です。ずっと変わらない」
北村はただ、麻生が告白した昔話を噛み砕いていた。感情をひた隠し、咀嚼した。そして納得したのだった。だがそれでも、当時世間を賑わせた水戸涼子が自分の夫を殺害した事件を思い出したのだ。その頃北村は刑事で、他人事ながらにもあの少年は一体どうなるのかと一瞬だけ考えた。そう、一瞬だけだ、ほんの一瞬。北村は仕事に忙殺された日々を過ごし、そんな一瞬のことを忘れて生きてきた。思わず額を抑え、深く息を吐いた。
「どうされたんですか?」
「……いえ、こういう話を聞く時はなるべく感情移入するのは避けているんですが、駄目ですね」
顔を上げると、彼女は柔く微笑んでいる。北村はもう一度息を吐き、そしてソファに座り直した。
「麻生施設長、文通の相手は三井寿さんではないですか?」
「あら、ご存知だったんですか?」
「はい、まあ」
あいつがオレの体で知らない部分はない。三井が言った言葉を北村は反芻する。要はそういうことだ。かといって幼少時代からとは考え難い。北村は、一度頭を掻いた。その部分も、納得はいっていた。ただ未だに上手く纏まらない。
「俺も彼に、ああ水戸さんに、拘置所で三井寿さんのことを深く聞いて返り討ちにあったクチなんです」
「そうですか」
彼女は横目にし、窓を見詰める。その向こう側には、幼い子達が園庭で遊んでいるのが見えた。ブランコや滑り台、砂場もある。目を凝らすと、それは遊んでいる訳ではなく、一人きりで居たのだ。職員に時々声を掛けられ、一人きりで。
「私ね、昔洋平くんに聞いたことがあったんです。一度だけ。文通相手が三井寿くんだけで、お母さんには一度も手紙を出さなかった。刑務所から送られて来ることもないの。だから彼に、お母さんには書かないの?と聞きました。でも洋平くんは、俺の手紙は要らないと思うって言ったんです。言葉に詰まってしまってね、だけど彼は全然寂しそうじゃなかった。寿くんが居るからいいんだって言うの。その時の笑顔も可愛くてね、大切な友達なのねって言うとね、うんって笑ってました。子供ってね、母親が全ての筈なんです。家庭に問題がある子供は、例えばDVだったり、言葉の暴力も含めね。母親を守ろうとして家から出ないんです。自分が守らなければって子供ながらに思うのよ。でも彼はね、学校から帰宅しても両親から追い出されたこともしょっ中あって、寿くんとずっと遊んでいたと言っていた。だから平気だったんだって。今自分はここに居てあいつは死んだしあの人は居ない、だからあの二人と一緒に居なくて済むんだと」
そして寿くんが痛い思いをしなくて済む、彼はそう言いました。最後彼女は呟くように言った。北村は麻生施設長を見た。彼女は未だに、窓の外を眺めている。
「何て返したらいいのか分からなくてね、この言葉はどういう意味なのか、ただ子供だから純粋に考えているのか、私は無力な自分が嫌になったんですよ。その時。そして伸夫くんとのこともあってね、あの時は本当に、自分の仕事の何が彼を救えるのか分からなかったわ」
北村は目を伏せ、彼女の話を聞くしか出来なかった。
「北村さん、あの事件の日、寿くんも洋平くんと一緒に居たんだそうです。私はそれを、家庭相談員から聞きました」
そう言って彼女は、北村を見る。北村は唾を飲んだ。異様に喉が渇き、目の前にある日本茶に初めて手を付ける。温くなってしまったそれは、味も香りもしなかった。ただ心臓が鳴っていた。まさか、と思った。が、頭の中でかぶりを振る。淹れ直しましょうか?どこかからぼんやりと声がする。それは麻生施設長だった。が、北村はそれを制し、また飲んだ。未だに喉は渇いている。落ち着け、ゆっくり呼吸をし、北村は湯呑みを茶托に置いた。かちゃりと擦れる音が、室内に静かに響く。
「……それは、つまり」
彼女はかぶりを振った。分かりません、そう言った。
「水戸涼子さんは今どこに?会って話がしたい」
「無理だと思います」
「え?」
「彼女は刑務所に居る間に、精神を崩しました。病院で刑期を終え、今もY市の病院で入院中です。とても話せる状態じゃない」
北村はまた、頭を掻いた。小さく舌を打った。そしてまた、北村の想像が膨らむ。だがあの時、水戸は十歳の子供だった筈だ。北村が考える想像は妄想にしかならない。考え難いと、否定するしかなかった。
「洋平くんが見せた殺意は、あの一瞬だけでした。彼はずっと優しかったもの。よく手伝ってくれたし、子供達の面倒も見てくれて。幼い子はお兄ちゃんお兄ちゃんって慕ってたの。二面性なんかじゃなくて両方があの子で、私はその殺意を見ても、彼を見捨てようとも見放そうとも思わなかった。分かりますか?本当に優しかったんです。手紙が来たと私が教えた時見せた笑顔は偽物じゃないの」
そうですか、北村は小さく言った。とにかく今は、頭の中が纏まらなかった。もう一度整理しなければ追い付かない。
「洋平くんは今、どんな様子ですか?」
「そうですね、俺は昔の彼を知らないから、何とも言えません。でも普通に会話をしてくれて、穏やかで。もしも街で出会って話す間柄だったらきっと、俺は彼を嫌いじゃない。だから尚更思います。この青年が何故と」
「そうですか」
「ここに来たら彼の思っていた何かが分かるのかもしれないと信じていました。でも難しい。ちょっとまだ、追い付くだけで精一杯です」
麻生施設長は頷き、俯いて何度か瞬きをしたように見える。そして、顔を上げた。
「北村さん」
「はい」
「必ず真実を書いてください。私はその為に、あなたと会ったんです」
その言葉を受け、北村は深々と頭を下げた。何の為に、何故。それを知るのはやはり、三井寿しか居ない。




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