長編

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翌日、北村は拘置所の前に立っていた。面会受付が始まった直後の時間だ。昨夜は遅くまで仕事をしていたから、頭が少しだけ重い。自然と出て来る欠伸に、逆らうことをしなかった。大きく口を開けて、閉じると同時に息を吐き出した。首をぐるりと回してから、よし、と小さく言った。拘置所に入ると、既に後輩の澤田は、受付に座っていた。彼は目線だけを寄越し、おはようございます、と愛想無く言った。
「水戸洋平に面会」
「何か掴めましたか?」
「さあな。相手の出方次第だ」
「まあ頑張ってください。おねーちゃんの店、忘れないでくださいね」
「わーかってるよ!」
差し出されたロッカーの鍵を多少乱暴に受け取り、北村は歩き出した。いつもと同じようにロッカーに手荷物を預け、鍵だけを持って面会室に向かった。
面会室には勿論、北村しか居なかった。いつも通り脇に置いてあるメモ用紙とペンを手に取り、アクリル板の向こう側をじっと見据える。音が無く酷く静かで、自分の呼吸音だけがクリアに聞こえた。時間はいつも通り長く見積もって三十分弱、その間にどこまで踏み込むか。考えてみるものの、まどろっこしいやり方は不得手な方だった。水戸は特に、北村に対して不快感を露わにはしていなかった。だから大丈夫だ。鼻から大きく、ゆっくり息を吸った。その時だった。がちゃりと音を立て、面会室の扉が開いた。刑務官の後ろに、やはり上下グレーのスウェットを着た水戸が続いて現れる。彼は今日、北村に対して驚いた様子は見せず、軽く会釈をした。そして、アクリル板の前に座る。
「おはようございます」
「どうも」
また水戸は、会釈をした。
「今日も来ちゃいました」
「そうですね」
水戸は軽く目を伏せ、口元を少しだけ緩めた。
「水戸さん、今日はちょっと踏み込みます」
「答えられることなら」
北村が水戸を見据えるも、彼は表情を変えることはしなかった。動揺した様子もまるで見せず、酷く冷静に見える。あの時のように、隙を見せることはしなかった。
「俺ね、あなたが起こした事件全部、洗ってみたんです。関係者で聞ける人達には昨日、話を聞きに行きました」
水戸はまだ、表情は変えなかった。当然なのかもしれない。何しろ彼は、もう刑が確定している。その上北村は、ただのジャーナリストだ。今は刑事でも何でもない。
「一人目の被害者、上田建設の社員浜野祐一さん。この方は昔、あなたと一緒に働いていましたね?」
「そうです。俺はあれから、しばらく経ってから辞めましたけど」
北村はただ、頷いた。
「上田建設の社長の話によると、浜野さんとあなたは、よくお話されていたと。休憩中もよく」
「そうだったかもしれません。よく喋る人でした」
「二人目の被害者の工藤伸夫さん。彼とはもしかして、児童養護施設が一緒だったんじゃないですか?K県には昨日は行けませんでしたが、そうじゃないかと」
「そうです」
それ以上、水戸は語らなかった。ただ、質問には答えている。北村が知りたいのは、この先だ。少しだけ目を閉じ、息を吸った。吐くと同時に、ゆっくりと吐いた。
「そして三人目の被害者、田中健太さん。四人目の被害者、冴島修さん。その二人は、あなたの関係者じゃない」
水戸の目の動きに多少動きが見える。北村は目を逸らさず、彼を見据え続けた。
「三井寿さん、ご存知ですね?」
「はい。同郷の友人なんです」
「彼の関係者だ」
水戸は未だに、動きを見せない。目の動きもない。ただ、じっと北村から目を逸らさない。かといって、睨むとは異なっているように見える。
「そうです。それが何か」
「水戸さん俺はね、あなたが言った目の前の蠅を払ったっていうのが忘れられないんですよ。人の殺意には必ず理由があるんです。怨恨や執念、快楽志向、そういう理由でも必ず。でもあなたは違った。初めてでした。目の前の蠅を払う為に殺人を犯す、目障りだから蚊を叩くようなもんですよね?初めて聞きました。でもそれにも理由があるはずなんだ。目障りと感じるまでの理由が。だからね、考えたんです。被害者周辺を洗ったって分かる筈がない。それならもう、一課がどうにかしてるんです。だから違う」
北村は思い出したのだ。何故水戸と三井に関係性を感じたのか。それは、互いに互いのことを第三者から聞いた時、隙を見せたことだ。それが要因となった。あの隙を見せなければ、子供のように滲ませるようなことをしなければ、北村はきっと気付かなかった。
「目障りと感じたのは、三井寿に関わることではないですか?あなたの目の前の蠅は、そいつが作ってる。違いますか?」
そう言った直後、北村は瞬時に椅子を引いた。床と金属の擦れる音が、面会室に響き渡る。その大きな音に驚いたのか、同席していた刑務官が北村を見遣った。が、北村はそれを、何ともないと手で示して制した。ぶわりと汗が、背筋を通った。知らぬ間に拳を握って下の辺りで力を込めていた。握っている筈なのに指先が一瞬にして冷え、何度も握り直した。それでも治らない。目線を少しだけ下げると、握った拳が震えている。恐怖だ、北村は恐怖を感じていた。
目の色が違う、目付きが違う、かといって表情が変わった訳ではないのに、水戸の目には篭る何かが見える。今まで凶悪犯など何人も見て来た、それなのに。
「どうしようかな」
「……何、が」
かろうじて出た声は掠れていた。
「ここからあなたをどうやって殺すか、今その方法を考えています」
北村は唾を飲んだ。酷く喉が渇いた。感じているのは、圧倒的な殺意だ。アクリル板を通し、拘置所に居る中で、彼が北村を殺すことは不可能だ。それなのに北村は、水戸に今ここで急所を一突きされるのではないかと、そんな突飛なことを考えた。不可能だ。有り得ない。それでも尚、北村の恐怖は消えない。
「北村さん」
「……はい」
「あの人に会ったら、俺は今日も生きてると伝えてください」
まただ、北村はそう思った。また隙を見せている、と。だから思わず目を見開き、え?と聞いた。
「もういいですか?」
終わりました。水戸は立ち上がり、刑務官に伝えた。前回同様、また北村に軽く会釈をし、面会室を出ようとする。
「水戸さん!また来ます」
慌てて立ち上がり言うと、水戸は軽く口元を緩ませる。はあ、と息を吐いた頃には、水戸はもう面会室を出た後だった。脱力したのか、そのままパイプ椅子に座った。大きく擦れる音が聞こえ、ゆっくりと溜息を吐く。
「なんつーガキだ……」




拘置所の外に出ると、前方から足音がする。見上げるとそこには、やはり見栄えの良い男が立っていた。三井だった。彼を前にすると北村はいつも、湿気を帯びた風を感じる。生温い、肌に纏わり付く嫌な湿度を帯びていた。春の甘い、妙な香りが過ぎる。どうも、と言うと三井は、あからさまに溜息を吐いた。
「またあんたですか」
「水戸さんからの伝言です」
そう言うと三井の表情が一変する。彼もまた、水戸洋平の名前を出すと隙を見せる。
「今日も生きてるんだそうです」
「……そうですか」
「残念ながら面会は一日一人ですよ?」
「知ってます。この間あんたが来たから」
はっ、と北村は、息を吐くように笑った。
「三井さん、俺はあんたにも取材したいんですよ」
「お断りします」
「水戸さんね、あんたの名前出したら急に表情が変わったんだ。凄い殺気。死ぬかと思ったよ」
自嘲気味に笑うと、三井はそれを超えて嫌味なほど不敵に笑った。だがそこで、怯む北村ではなかった。水戸に比べたら三井は、子供のように見える。
「あんたと水戸さんは、どういう関係ですか?」
「それを聞いてどうしますか?記事にしますか?」
「そりゃするでしょ。こっちはそれが仕事だ」
拍子抜けするほど、彼は的外れな質問をする。妙な香りを振りかざした反対側で、水戸の話をすると子供のような反応を見せる。だがそれは、水戸も同様だ。思えばあの殺意も隙も、小さな子供のように単純だった。
「北村さん、でしたっけ」
「はい」
「水戸はオレの名前を出されたら、そんなに殺気立ってたんですか?」
質問の意味がよく分からなかった。北村は首を傾げ、まあそうです、と言った。すると三井は、目を伏せて緩慢に笑う。口元を緩め、目を上げると拘置所を見る。いや、もっともっと、ずっと遠くを見ているようだった。口元がまた動いた。何かを呟いたようだった。小さく小さく、北村には聞こえない声で、ただそれでも顎の傷が酷く目に入ることは分かった。何かを呟いた後、三井は口を噤んだ。そして、目を凝らすようにして、拘置所を臨んだ。
「三井さん、あんた……」
北村は口を噤んだ。これじゃただの逢瀬じゃないか、そう思ったからだった。だがこれで、あの隙も遠くを見詰める目も殺気も、全て納得もいった。ただ、上手く咀嚼出来ないことも確かだった。当然だ。簡単に理解など出来ない。
「何ですか?」
「あ、いや」
三井は多少目を歪めながら、北村を見た。それに対し北村は、口を閉じて沈黙するしか出来ない。
「そろそろ分かってますよね?オレと水戸がどういう関係か。あんた、そういう目で見てる」
思わず目を逸らした。ただ、彼を取材したいということは変わらなかった。真実の追求、それだけを噛み砕き、北村は三井を見上げた。
「あいつがオレの体で知らない部分はない。そういう関係です」
見上げたものの、実際に聞くとぎょっとする。口をぱくりと開けると、三井はまた、息を吐くように笑った。不快感が過ぎり、北村は口内を噛んだ。だが彼は、自分が与えた感情を他所に北村を横切った。通り過ぎた所でようやく、北村は三井を見る為に振り返る。
「どこ行くんですか?面会出来ませんよ?」
「手紙渡したいんです。じゃあ」
振り返ることなく言う彼に、北村は舌打ちをした。洗い直しだ、そう思った。
「北村さん」
「はい」
未だに三井は、北村を見ずに声を出している。
「取材、受けてもいいですよ」
「え?」
「また連絡します。じゃあ」
颯爽と足を進める三井の後ろ姿を眺めながら北村は、また湿度を帯びた風を感じる。首の後ろの辺りに纏わり付いて、そこを掻くも不快感は消えない。
嫌なガキだ。首を掻いていた手を下ろし、北村も歩き出した。





3へ続く


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