長編

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北村の耳には電話越しから、古巣である捜査一課の頃の先輩刑事である三嶋の声がした。昔から変わらない、緩慢で穏やかな声だ。過去北村は、彼とよく組んで仕事をしていた。それを思い出した。三嶋は北村が捜査一課に配属になった頃からずっと、信頼出来る先輩刑事だ。彼は未だに、もう五十の半ばにもなろうというのに、現場で走り回っているだろう。時間は午後一時を回った所だった。今日は事件は起きていないのだろうか、随分とのんびり会話をしている。時折、何かを飲む音がする。後は息を吐く音。きっと彼は、コーヒーを飲みながら喫煙所で煙草を吸っているに違いない。北村は事務所兼自宅であるマンションの一室で、パソコンを開きながら三嶋と話していた。
『お前は変わんねえな』
「え?」
『真実の追求、それしかない。不器用過ぎる』
北村はそれに、はは、と小さく笑った。そして、昔っから事実が知りたいだけなんすよ、と続けた。そう言うと彼は、そうだったなあ、と馳せるような小さな声を出している。北村は一瞬、刑事を辞めた頃の自分を思い出し、左側に顔を向ける。そこには窓があった。カーテンは開いている。青空が広がっていて、太陽光に目を奪われる。思わず何度か瞬きをした。
「今回は助かりました。ありがとうございます」
そう言いながらまた、北村はパソコンの前に目を戻した。そこには、水戸洋平が起こした事件全ての、捜査資料のデータが纏めてあった。ざっと確認する為に順に開いて行くと、殺害場所、殺害方法、ナイフで刺された箇所、被害者の住所や職場、それらが記載されていた。
『バレたら免職もんだろう、これ』
「はは、三嶋さんも一緒にやりますか?ジャーナリスト。面白いですよ」
『ごめんだね、カミさんにどやされる』
息を吐くように笑う三嶋に釣られ、北村も笑った。
『まあ、俺らにはもう手出し出来ないんだ。黙秘貫かれてどれだけ後味悪かろうが、死刑判決を受けて拘置所に居る人間に勝ち目はねえ。後はお前の仕事だ。そいつは好きにしろ』
「感謝してます。本当に」
『北村、お前刑事辞めて何年になる』
「十年、ですかね」
『澤田も今は刑務官になっちまったしな』
そうですね、北村は呟くように言った。
『あいつは元気か?』
「仕事で会う度に小言言われてますよ」
『そりゃ何よりだ』
すると不意に、あ、という何かを思い出したような三嶋の声がした。
『三井寿、だったな』
「ああ、あいつね。厄介な気がするんですよ。少し話しただけだったんですけど、水戸以上に厄介だ。俺の勘ですけど」
北村が三嶋に捜査資料のデータが欲しいと依頼した時、三井寿が事件に絡んでいることはなかったかどうかと聞いたのだ。同郷だと彼は言っていた。何か関わりがあるのだと、北村は確信していたからだった。
『三井寿には、水戸が自首して来た後に任意で取り調べもしてる。ただ、何も知らない様子だった』
「え?」
『ついでにそいつも添付してある。見てみろ』
じゃあな、そう言って三嶋は通話を切った。
北村は先日、水戸との面会を終えて三井に会った直後、水戸が起こした全ての事件を洗いざらい全て探り直すことを決めた。だから無理を承知で先輩刑事に頼んだのだった。彼らの仕事を北村は信頼していた。普段の北村の仕事は、拘置所に居る人間に話を聞き、そこから真実を知って自分自身の見解も交えた上で、事件の背景や要因を探る。そしてそれを書いて出版社に売る。もしくは依頼されて書く。ただ今回は違った。北村にはまだ、刑事であった頃の自分も間違い無く存在していて、水戸が起こした事件を水戸本人が黙秘していた理由には、必ず裏があることは容易に想像が付いた。それは現在の一課の人間も、勿論三嶋も、北村以上に分かっていた筈だ。ただ、理由を理屈にする証拠が見付からなければ黙秘はまかり通る。何しろ水戸は、自首しているのだ。罪を認めている。蠅を払う感覚で人を簡単に殺す男、平然とそれを口に出す男、それは簡単に身に付けられる感性ではない。元から植え付けられた何かが存在する筈だった。それの存在理由が北村には、必要不可欠だった。
北村はパソコンを睨むように見詰め、取り調べの様子が記録してあるファイルをクリックした。そこには刑事の質問と三井が答えた内容が、詳細に記載してあった。そこで北村は、目を凝らした。三人目の被害者である田中健太、更に四人目の被害者の冴島修、彼等二人は三井と関係があった。三人目の被害者である田中は三井と同じ職場だと記載してある。四人目の被害者冴島は三井の大学時代の同級生。北村は眉を顰める。どういうことだ、ごくりと唾を飲み込んだ。取り調べ記録のファイルをそのままにしておき、まずは三人目の被害者田中のファイルをクリックする。デスクトップには、被害者の顔写真、生年月日、年齢、殺害方法、死因、それらがずらりと並んでいた。特に特徴のない、事件当時は二十八歳の男性だった。田中の職場は、有楽町にある、某スポーツショップだ。そこに三井は同じく在籍していた。事件が起きたのは今からちょうど一年前になる。殺害方法は腹部大動脈の辺りをナイフで一突きした死因は出血死。被害者が帰宅途中、ひと気の少ない通りを狙って殺害していた。犯行から約三十分後に通行人から通報されている。目撃情報はゼロ。指紋や証拠は残されておらず、事件は通り魔の犯行として扱われた。難航したことが、詳細に記されてあった。
次は四人目の被害者である冴島のファイルをクリックした。そこにも同じように、顔写真や年齢など、詳細に記載されている。当時二十八歳、某中小企業の営業担当だったようだ。殺害方法も同じく、三人目の被害者田中と同様だ。だが、最後の犯行のみ水戸は巡回中の警察官に目撃されている。その三日後、水戸が自首した直後、一課は必ず四人の被害者と水戸との接点を探す筈だ。過去も洗う筈だ。そしてその中で水戸が、自分の父親を殺害した元殺人犯の息子であることも容易に分かるだろう。それらを探るうちに、水戸と三井が同郷であることに目星を付けたのかもしれない。そして、被害者二人は三井との些細な接点もあった。当然一課は、三井に目を向ける。彼が何かしら関係していることは明らかだった。
もう一度北村は、取り調べ記録のファイルをクリックした。書かれてある文字の羅列を順に追っていくと、どうやら水戸本人が、三井と友人であることを担当刑事に言ったようだった。日雇いの肉体労働をしていて、休みの日は東京で再会した同郷の友人と食事をすることが多かったと。北村は文字を追いながら、三井にそれを問うていたのを確認した。最初は担当刑事が質問することに対し、「そうです。同郷でした」と答えたようだった。いかんせん文字からでは、感情が見えて来ない。
ーーあいつが逮捕されたってニュースで見て驚きました。しょっちゅう一緒にメシ食ってたし、ちょっとまだ信じられないです。
ーー水戸から聞きましたが、同郷だそうですね。K県Y町で小学生の頃一緒に過ごしたと。
ーーそうです。昔から仲良くて、でもあいつ途中で施設に入ってしまって。その辺のことは、あなた方の方がご存知なのでは?
ーーその後東京で再会した。間違いないですね?
ーーはい。大学時代にたまたまゲームセンターで会いました。間違いありません。
ーー被害者の中にあなたの職場の同僚や、大学時代の友人が居ますね?
ーーはい。驚きました。
ーー被害者二人のことを、あなたから話をしたことはありますか?
ーーあったかもしれません。大学時代は大学の話もしただろうし、働き始めてからは職場の話もしました。でも、内容は覚えていません。
ーー水戸が被害者を恨む、ということはありませんでしたか?もしくはそういったことに触れた話はありませんでしたか?
ーーありませんでした。何しろ普段は、くだらない話しかしませんでしたから。
ーーくだらない話、というと?
ーーと言われても普段は普通の会話ですよ。刑事さん達も普段は普通の会話をされませんか?それと同じです。テレビの話や美味い飯屋の話をしながら普通にメシ食って、普通の友人でした。
ーーそうですか。
特に当たり障りないやり取りが記録されていて、北村は深く息を吐いた。何度か見直してみたものの、そこに違和感を感じることはなく、一課の刑事達が三井に視点を合わせないことも納得出来る。例え水戸が、黙秘を貫き通しても。
北村は頭を掻いた。煙草吸いてえ、口寂しくなり、箱に手を伸ばした。開けるとそこは、本数が少なくなっている。パソコンの横には資料が溢れていて、買い置きの煙草の箱も見えなかった。どうせ外に出る。その時買えばいいと、北村は煙草を一本口に咥え、火を点けた。一口二口吸ってから、次は一人目の被害者の捜査資料のファイルをクリックした。一人目の被害者の名前は、浜野祐一。上田建設という建設会社に勤務していて、事件当時は四十歳。今から三年程度前の事件だった。殺害方法、死因等は三人目と四人目の被害者と変わらなかった。水戸とはどうやら、同じ職場だったらしい。二人目の被害者は工藤伸夫。捜査資料によると、事件当時二十四歳。無職だった。K県にある施設「ひかりの園」を出た後、定職には就かずに東京でふらふらとしていたとのことだった。この「ひかりの園」は、水戸が過ごしていた児童養護施設の可能性が高い。接点を考えてみればそれ以外考えられなかった。
全て読み比べて感じたことは、ただ人間が違うというだけだった。殺害方法やナイフを刺す場所、そこには全てに於いて差異はないのだ。相手が変わっただけで、水戸のやり方に何ら変わりはない。目の前の蠅を払った、水戸は確かにそう言った。強ち間違ってねえのかもな、北村は短くなった煙草を灰皿に押し付け、深く息を吐いた。前にある煙草の箱を振ると、からからと紙が左右に振れる音がする。いつの間にか二本続けて吸っていたようだった。もう少なくなった煙草の数を確認し、北村はパソコンの電源を落としてから立ち上がった。

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