長編

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北村一之は元刑事で今はフリージャーナリストだ。彼が今、取材対象にしているのは連続殺人犯の男だった。
男の名前は水戸洋平という。男は連続して四人の人間を殺害していた。四件とも被害者の急所を刺し、そのまま立ち去るという単純なものだった。ナイフを抜かずに残したのは、返り血を浴びない為だろう。その全てに、男の指紋や証拠は残っていなかった。当初事件は難航した。が、最後の犯行のみ男は警官に目撃されていた。男はその場は逃げ切ったのだが後日、自ら出頭した。同様の手段での殺害方法で芋づる式に、男は四人を殺害していることが分かった。単純な事の顛末はそれだった。男は逮捕直後、犯行の否認はしなかった。全て認めた。ただ、犯行理由や動機、その他は一切黙秘している。何も語ることはなかった。一言「俺が殺しました。あなた方が言われた人間全て」と言うだけだった。北村は当初、これを全てニュースや週刊誌、ネット記事で読んだ。多少の興味はあったものの、元刑事である自分としてみたら、特別に特化した事件ではなかった。実際、黙秘を通し続けた人間を北村は、腐るほど見て来たからだ。起訴されてから覆ることも有り得る。もっともそれは、刑事としてのプライドが、きっと許さないのだが。
現代のニュースというものは、簡単に被疑者の過去を暴くことが出来た。あっさりと他人事のように露呈し、本人以外の人間が議論する仕組みになっている。そこは決して、裏側を見せることはない。北村は仕事柄、よくニュースは見た。ワイドショーも同様だ。野次馬の解釈から興味を抱くことはよくあるからだ。
起訴されるまでの間、水戸の事件や過去は、連日のように報道された。が、テレビ媒体から流れる表向きの報道は、男の過去には触れない。ある程度人権が保証されているからだ。北村はインターネットや週刊誌で男の記事を読んだ。するとどうだ。過去や経歴など、事実かどうかはさて置きガセネタを含め全てが行列のように並んでいる。その中で北村は、とある週刊誌の記事を読んだ。タイトルは「連続殺人犯水戸洋平の母、水戸涼子も元殺人犯だった」と書いてある。本文を読むとそこには、某K県の田舎で十六年前、父親から暴力を受けていた水戸洋平とその母涼子、二人はDV被害者であった。母親の涼子は、息子洋平が暴力を振るわれることと自らの保身の為、堰が切れたように自分の夫を何度も包丁で刺して殺害した。そこには明らかな殺意があり、怨恨であることには間違いなかった。が、本人が酷く猛省していることとDV被害者であり、かつ息子を守る為という理由が情状酌量の余地を認められ、執行猶予こそ付かなかったものの懲役五年の実刑を受けた。その後水戸洋平は、施設に預けられることになる。要約すると記事には、そのように書いてあった。北村はそれを読み、思い出した。十六年前の北村は、三十歳だった。当時警視庁捜査第一課に配属されたばかりで、担当地域は勿論違うのだが、全国的にもこの事件はそれなりに話題を呼んだ。北村自身も、後味の悪い陰湿な事件だと、眉を顰めた記憶がある。当時少年の名前は伏せられていた。だが広まるのは容易に想像が出来た。きっと少年は、抱え切れない何かを背負ったのか、或いは正面から受けただろう。否両方だ。あの時の少年が、連続殺人犯の水戸洋平か。北村は思わず、頭を掻いた。
多少の興味を惹かれたこともあり、北村は起訴された水戸の初公判に出向いた。当然傍聴席の倍率は高い。何しろ連続殺人犯の初公判だ。マスコミも注目していた。その上等の本人は結局、罪は認めたものの犯行理由や動機等は未だに口を閉ざしたままだったからだ。北村は記者クラブのコネを使い、一般ではなくマスコミとして、傍聴席に入った。思えばこの頃既に、彼を取材対象にすることを決意していたのかもしれない。裁判では依然として、水戸は黙秘を通した。一貫していた。犯行動機は?何故四人も?理由は?ナイフはどこで?他に幾つも質問をされた。が、黙秘します、これだけしか、水戸は言わなかった。弁護士は国選弁護人と予想された。中年の特に際立った特徴のない男性だった。彼は当然、水戸の過去のことを持ち出した。「彼の両親はDV加害者と被害者であり、日常的に暴力に曝されて来ました。彼自身も同じ扱いを受けたことでしょう。尚且つ、母親が父親を殺害する現場も目撃しています。彼がこのような残酷な犯罪を犯した理由として、彼の凄惨な過去が影響していると推察されるのではないでしょうか?彼自身も元は被害者なのです。どうか、情状酌量を求めます」要するに、心神耗弱を理由に情状酌量を求めるのだと、そのように北村には聞こえた。芝居掛かった答弁に思わず吹き出してしまいそうなほど、陳腐な言葉が並べられた。口元を押さえて、ふっと息を吐いた。そのようなやり取りが続いた後、最後に被告人である水戸洋平に、裁判長が問うた。何かありますか?と。水戸は立ち上がり、ゆっくりと歩いて証人席に向かった。その席に水戸が向かう度、北村には彼の横顔が見えた。ニュースや記事などでも見たことがあった。印象は、すっきりとしたどちらかと言えば端整な顔の作りをしていて、とても精神異常者の人間には見えない。北村は仕事柄、そういった人間は腐るほど見て来た。奴は正常だ。だからこそ、北村には疑問符しか生まれなかった。何故?と。水戸が証人席に立った時、彼の後ろ姿が酷く際立ってはっきりと見えた。黒髪が妙に映える、と。不覚にも殺人犯の後ろ姿に北村は、息を飲んだ。そして確信した。水戸洋平は今何かを喋るのだと。
「俺は正常です。善悪の判断は付きます。自分の意思で殺人を犯しました」
そう言って水戸は、自席に戻った。傍聴席は酷く騒ついた。響めきが走り、憤慨の空気よりも驚愕の方が大きい。北村はその空気を感じながら、次の取材対象は水戸洋平にすることを決めた。水戸はその後、情状酌量を求める国選弁護人の意思など受け入れようとすることなく、かといって黙秘の意思を覆すこともなく、死刑判決を受けて確定死刑囚となる。
北村が初めて水戸洋平と拘置所で面会したのは、公判が終わった後だった。面会受付の警察官は北村の後輩で、澤田という。彼からは何かと情報を貰いやすい。ただ、多少の小言は受ける。それを適当に遇らいつつ受付を終え、ロッカーの鍵を渡される。その直後、受付の辺りから水戸洋平に面会を希望する声が聞こえた。北村は一瞬振り返った。背の高いすらりとした高身長で酷く見栄えのいい男性だった。過去と現在の仕事柄、一度見た人間の容姿は頭に写真を撮ったように記憶される。左下の顎に傷があるのが、いやに目に付いた。彼は「どうして?」と受付の澤田に聞いている。「面会は一日一人です」後輩は淡々と返答した。「は?誰ですか?誰が先に?」男性は引き下がらなかった。「申し訳ありません。お答え出来ません」慣れたもので、後輩も顔色一つ変えることはなかった。北村は、水戸の友人か何かだと、ただ思った。
手荷物を持つことが厳禁とされているので、全ての荷物をロッカーに入れて鍵を掛け、面会室に向かった。相変わらず、ここは静かだ。無機質な閉ざされた空間、反響される靴の音、仕事柄北村は、この場所に訪れることは少なくない。元刑事だからか、犯罪関係のコラムや解説を含めた執筆は多かった。ジャーナリストの仕事を始めて、もう十年になる。水戸洋平の真実と裏側の記事を書けば、買う出版社は多い。実際、その辺りは既に整えてあった。マスコミや出版社の知り合いや、友人も増えた。こいつは金になる、フリーで仕事をしていると、まずは食うことを考える。以前のような公務員の安定した給料は無い。生活の為だけに記事を書くこともあった。お陰で今の生活は安定していた。ただ、今後は分からない。だけれど今はそれ以上に、探究心が勝っていた。平然と情状酌量を蹴り飛ばす男、その人間の真意を、北村は知りたかった。

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