幸福の咎

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クリスマスイブの夜に三井さんが俺にくれたのは、革細工のキーケースだった。
そして冬の初めにくれたのは、聞いたことも見たことも、勿論知る予定もないタグが付いているダウンジャケット。それを渡した時、彼が俺に言ったのは、上手く使えば一生使えるから、だった。どうも、と受け取ったものの、首を捻りたくもあった。一生使える物を渡されても、と。今日は年明け元旦の翌日、一月二日だ。この日は彼等と集まる予定だった。大概毎年二日は、外で羽目を外すのが恒例になっていた。
昨日の元旦は、久々にばあちゃんの家に行った。渡せなかったクリスマスプレゼントもあったからだ。そのプレゼントを買う為に、普段は行かない京急百貨店にいった。一人で横浜に来るなど滅多にないことだった。何で横浜か、ばあちゃんが時々洋服を買いに来る店が、京急百貨店にあるからだ。出掛けた日は日曜だった。去年はクリスマスイブが日曜日だったのだ。店内は色とりどりに装飾されていて、煌びやかなそこは、世間から浮いているように見えた。
ばあちゃんが行く店に俺一人で、というのは初めてだった。もっとも、彼女とは一度か二度訪れたことがあるのだけれど。何故なら、極稀に送ることがあるからだった。彼女はその時俺に、洋平に選んで貰おうかな、と言った。その表情が年齢を忘れさせるほど可愛く見えたので、買い物に付き合った。これがいいんじゃない?と言うと、素直にそれを選んだ。また彼女は嬉しそうに可愛く微笑んだ。またいわけない表情を見せるので、俺は酷く満足した。そしていつか、自分がプレゼントしようと決めた。その後は大体、近くのカフェでコーヒーを飲んで帰る。他愛ない話をして、また運転をしてばあちゃんの家まで送り届ける。その頃はまだ、三井さんと同居はしていなかった。
その店はその日、それなりに客入りはあった。けれども混雑まではしていなかった。女性客が多いかと思えばそうでもなく、男性も居た。メンズ商品も陳列されているからだ。最初から買う物は決めていた。カシミヤのマフラーだ。ばあちゃんが随分長らく同じ物を使っていることを知っていたので、そろそろ買い換えてもいい頃ではないかと思ったからだった。店頭にずらりと並ぶマフラーは、プレゼントに最適なのか、包装用の箱もディスプレイされていた。華やかな色が良いと思っていた所にちょうど彼女に似合いそうな赤を見付ける。それは派手でもなく、かといって地味でもなかった。決めた、そう思いマフラーを手に取った時、横から声を掛けられる。
「プレゼントですか?」
「ああ、はい」
にこやかに声を掛けたのは女性スタッフの一人だった。決まった所だったのでちょうど良かった。
「これ、プレゼント用に包装してもらえますか?」
「ありがとうございます。このマフラー、男性も兼用で使えるから人気なんですよ」
綺麗に化粧を施した彼女はまたにこりと笑い、そして会釈してから、こちらへどうぞ、とレジに施した。兼用、という言葉を何気なく頭に並べ、レジに向かう前にもう一度マフラーが並べられているカウンターを一瞥する。カシミヤで手触りも良く、首に巻いたら暖かそうだと思った。一瞬、三井さんの顔が頭に浮かんだ。けれどもそれは、すぐに消した。彼はこの週末、大阪に遠征していた。クリスマスイブの夜帰宅した。俺が三井さんに買って帰ったのは、有名らしい洋菓子屋のケーキだった。名前は知らない。ただあの人は、その店の名前を知っている気がした。そういうのは詳しいからだ。俺は知らない。そして三井さんは、そのケーキを喜ぶ気がした。ばあちゃんにカシミヤのマフラーを買っていることも知らないで、酷く嬉しそうにケーキを頬張る気がした。だって残る物を買ってどうすんの?俺が彼に何も買わないのはその理由から。
元旦も、実家に顔見せたら?と言った。三井さんが彼のお母さんと電話で話しているのをたまたま聞いたからだった。だからという訳ではないけれど、それくらいはするべきだと思った。けれども彼は渋った。帰ることを拒んだ。俺はばあちゃん家行って来るよ、と言うと、舌打ちしながら、分かったよ、と了承した。その日は近所の神社で初詣をして、駅で別れた。ばあちゃんにカシミヤのマフラーを渡すと、酷く喜んでくれた。一生使えそう、と微笑んだ。一生って違和感だらけの言葉だ。帰宅したのは午後七時を回った頃だった。三井さんは既に帰宅していた。面白いのか面白くないのか分からないテレビをソファに座ってじっと見据えていた。彼は、おかえり、と言うと続けて、おっせーよ!と口を大きく開けて怒鳴った。遅くねえだろ、と返すと、オレは三時に帰ってんの!と言う。俺は唖然とした。行ったと思ったら帰ってんじゃん、そう言った。すると彼は沈黙した。
三井さんは最近、少し変わった。変わったというより妙だった。どこでも付いて来る。どこでも、というのもおかしな話だけれど、ベランダでもキッチンでも。どうしたの?と聞いても、別に、としか返って来ない。仕事に出掛ける時でさえ、今日は遅くなんの?と聞くようになった。分かんねえ連絡するよ、と返しても、どこか不満そうだった。なあどうしたの?と、また聞こうとも、別に何でも、としか返さない。きっかけは分かっていた。ただ、それを確認することはしなかった。あの人のあの表情や言葉は、俺の罪悪感を増幅させる。
「じゃあね」
「あ!お前これ着てけ。寒いから」
「ああ、どうも」
一月二日、外で新年会をする俺に、三井さんはダウンジャケットを持って来た。件の、一生使えるらしいダウンジャケット。それを羽織ると、本当に暖かかった。室内で着ていると暑いくらいだ。
「あったかいね、これ」
「だろ?」
「ありがとう。じゃあ」
リビングのドアを開けると、その寒暖差に驚いた。ダウンジャケットの暖かさが体に纏われていて、体自体は暖かかった。けれども顔が一気に冷える。現実に引き戻される瞬間だった。
時間は午後六時だった。集合は六時半。ここから三十分程度掛かる場所だから、多分ぎりぎり間に合うだろう。今日は何故か、俺が出掛けるのを憚られた。行きたくないと思った。彼等と会うことが憂鬱になるなど一度もなかったのに。憂鬱とは少し違った。何だろう、よく分からない。ただ今日は、三井さんは何も言わなかった。楽しんで来いよ、と言った。笑っていた。あの人は今一人、あの部屋で何をしているのだろう。
電車はいつも以上に空いていた。三が日はやはり人は少ない。空いている席に座り、電車の緩慢な揺れを感じ取った。空調のしっかりしている電車の箱は、酷く暖かかった。けれども、ダウンジャケットを脱ぐ気にはならなかった。店に着いた頃、連中は既に居た。店内も賑わっていた。正月早々飲みに来る奴は居る。自分然り。店員に案内された部屋に入ると、もう彼等は先に始めていた。
「六時半じゃなかったっけ?」
「暇だったから六時辺りから来て飲んでた」
「まじで暇な、お前ら」
今日は花道も居た。おう、と言うと右手を上げる。彼は今日も元気そうだった。彼の前の席に座るとちょうど、ご注文お伺いします、と店員が聞いた。生ください、と答えると、一つ会釈される。座敷だったそこは、既に色々な料理が並んでいた。バランスなど全く考えていない、全てが酒に合うような物ばかりだった。思わず苦笑した。集まるのは久々だった。全員揃うのはいつ振りだろうか。花道がシーズン中には揃うのは難しい。
「今日はミッチー来ねえの?」
不思議そうに尋ねたのは花道だった。
「来ねえよ。毎日連んでる訳じゃねえし」
そう言った時、何かが引っ掛かる。唾を飲み込んだけれど、小骨のような何かは喉につっかえたままだった。
「なんだ。バスケの話したかったんだけどな」
「またいつでも出来るだろ?」
その時、注文していたビールが届いた。どうも、と言いながら、ダウンジャケットを脱ぐ。元々軽量な物だったけれど、やはりアウターを脱ぐと身軽になる。適当に纏めて後ろの方に置いておいた。乾杯だと言って騒ぐ連中と、グラスを合わせた。後はずっとくだらない話をしていた。仕事の話もしたし、花道のバスケの話もした。また試合観に行くか、と観戦出来る試合はどれかを話したりもした。その時、サンダースは調子いいよな、とも言われた。そうだなあ、と曖昧な返答しか出来ないまま、今は焼酎をロックで飲んでいた。何故か今、三井さんとバスケが一致しなかった。あの人本当にバスケをしているのかな、そう思った。ちゃんと仕事してんの?と。サンダースが調子が良いという言葉と三井さんが、全く噛み合わない。変だ、と思うのに答えが見付からない。見えない物ばかりだった。
「おい洋平」
「んー?」
「今気付いたけど、このダウンジャケットどうしたの?」
大楠が後ろに置いたダウンジャケットをまじまじと見ている。手に取り、タグを見ている。知ってんのかな、と単純に思う。
「貰った」
「え?!誰に?!」
「うるせえなあ、ミッチーだよ」
声でけえよ、と付け加えると、彼はぎょっとした顔を見せる。
「まじかよ!これカナダグースじゃん、すっげえ高いんだよお前知ってんの?」
「カナダの何?値段なんて知るかよ。使えって言われたから貰っただけだし」
「なになに?幾らすんのそれ。つーか雄二詳しいな」
「そりゃお前、華ちゃんに聞いて知ってんの」
「さりげに惚気てんじゃねえよ!ぶっ飛ばすぞ!いいから値段!幾ら幾ら?」
「え、えーっと、十万くらい?」
それを聞いて吹いた。うっかり鼻に入って咳き込んだ。今度は俺がぎょっとして、ダウンジャケットを見る。これが十万?おいおいまじかよあの人何考えてんの?つーか鼻いてえ。近くにあったおしぼりで口を拭い、大楠に確認する。
「おい、それ嘘じゃねえだろうな」
「嘘じゃねーよ!カナダグースって有名よ?」
「ぎゃはは!雄二お前何ドヤ顔してんだよ!情報元お前じゃなくて華ちゃんだろ」
「うっせえんだよヒゲ!」
「にしても洋平凄えな。モテる男は高級ダウンさえ貢がせる」
「まあ貢いでるのは男だけどな!」
その発言で一頻り湧いた。けれども俺は息を吐いた。全然笑えねえよ、そう思った。肘を付いて余所の方向を見ていた。少しの間目を閉じていた所で、視線を感じた。自然と目を開けると、前に座っていた花道と目が合った。彼はグラスを手に持ち、移動する。他の話に夢中な連中を置いて、花道は俺の斜め前に座った。
「唐揚げ美味いな」
そう言うと、彼は箸を伸ばして美味いと言った唐揚げを摘む。口に入れて咀嚼している。
「そうだな」
「……小学校の時」
唐揚げを飲み込んでグラスを手に持ち、そう言うと口を付けた。
「何だよ急に」
「初めて洋平に会って友達になって、喧嘩もつえーし」
「お前の方が強かったよ」
花道はかぶりを振った。
「なあ、何の話?」
「帰り道もずっと一緒で、ずっと一緒に帰ってた。オレがバスケ始めるまで」
よく掴めなかった。時々彼は、突飛なことを喋る。
「オレは別に、相手は誰でもいいんだよ。洋平が幸せなら別に」
「え?」
「あんま心配させんなよ、もう帰り道違うんだから」
無性に頭を撫でたくなった。だから彼の赤い頭をぐしゃぐしゃに撫でた。それは触り心地が良かった。赤い頭は昔はリーゼントだった。その目立つ綺麗な色の髪の毛を雑多に持ち上げていた。けれども高一の時に坊主にして、それからはずっと短いままだ。されるがままにされていた彼は、いてーよ、と俺の手を振り払う。帰り道が違う、それを反芻しながら、笑って花道の頭から手をどける。

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