短編

□無音融合
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目が覚めた時、まだ辺りは暗かった。それでも寝覚めの感覚から、今が夜明け前ということは分かる。携帯を見て時間を確認すると、午前五時半を過ぎた所だった。今日は日曜日で休みだし、確か三井も午後からのホームゲームの筈だ。もう一度寝てしまおうか、と目を細めてデジタル時計を眺めるものの、煙草を吸いたくなってしまう。一度起き上がると、冬の硬い空気が一気に体に触れ、ひやりとした。何気に、布団凄え、と的外れなことを考えながら右側を見ると、布団の中に埋もれるように後頭部しか見えない三井が見える。まだ寝てる、と一瞬だけ柔らかそうな髪の先に触れた。水戸はゆっくりと静かにベッドから降り、フローリングに足の裏を付けた。ここもまた、酷く冷たい温度が瞬時に伝わる。あまり足音を立てないようにドアに向かって歩いた。寝室のドアノブを下ろしてドアを開け、リビングのローテーブルに近付いた。確か昨夜、ここに置いていた筈だった。ころんと佇むように置いてあるマルボロの箱とライターを手に取ると、いやに軽い。中を覗くと、もう二本になっていた。あ、と小さく声を出した水戸は、買い置きもないことに気付いた。ちょうど財布もリビングに置いていたので、近くのコンビニへ行こうとそれを手に持った。
二本しか入っていない煙草の箱を軽く振りながら、水戸は上着も羽織らず上下スウェットで裸足のままサンダルを履いて外に出た。勿論キーケースは持っている。さすがに寒い、とは感じたのだけれど、どうせコンビニまでですぐに車だ、とさほど気にすることをしなかった。三井はよく、水戸に寒い暑いと喧しく言う。その上、お前は寒くねえのかお前は暑くねえのか、と当然のことを問う。サイボーグじゃあるまいし寒いし暑いに決まっている。ただいちいち反論するのが面倒だから、別に、と会話を終わらせるだけだった。そういう時水戸は、三井のことをうるさくも面白い人だと思う。
駐車場に着き、エンジンを掛けた。夜明け前のここは、酷く閑散としていてそれは静かだ。車のエンジン音が際立って聞こえ、水戸は何故だか窓の外を眺める。薄暗く夜と間違えそうな群青色の景色は、妙に今一人で居ることをはっきりと映した。何処と無く所在無くて、二本しか入っていない煙草を箱から一本取り出し、火を点ける。窓を開けると、すっきりとして乾いた冷たい風が、車内に入り込んだ。サイドブレーキを下ろしてギアをドライブに入れ、車を発進させる。
明け方のコンビニには、当然客はあまり居ない。ぽつりぽつりと水戸含め二、三人の客入りで、すぐにレジへ行こうと思ったのだけれど、ミネラルウォーターを一本手に取った。それからレジから見える所に並んでいた、新作のスイーツと書かれたポップが付いた菓子も同様に。ついでにあれ買って来てくれりゃ良かったのに、と言われるのが目に見えて分かったからだった。それらをレジに持って行き、水戸は「あー、五十八番二つください」と言った。寝起きだからか、妙に自分の声を低く感じた。会計を終わらせ、ビニール袋を手に持ち、水戸は店員に軽く会釈をしてそこを出た。暖かい店内に触発されたのか、自動ドアを出た直後、自然と欠伸が出る。煙草の箱を一つ持った手が、自然と口元に近付いた。愛車であるHR-Vまで歩き、その運転席を開けようとしたその時、不意に空を見る。今まで群青だった空の色が、多少変わっていた。下の方から迫る曙色と暁が混同していて、思わずそのまま立ち止まる。これが情操教育ってやつか、と苦笑してしまうほど目を瞠る美しさに、立ち止まってそのまま数秒眺めていた。携帯持って来りゃ写真撮れたかな。あの人に何か言われるかも。お前もそんなことすんの?って。きっと笑われる。水戸は一人俯いて口元を緩め、車に乗った。
帰宅すると、やはり室内は静かで冷え切っていて、きんと冷たい音が耳の奥を過ぎったように思う。音が無い。酷く静かだ。ミネラルウォーターと菓子を冷蔵庫の中に入れ、もう一度寝室に戻った。三井は未だに眠っているようで、水戸が寝室を出た時と体勢も変わっていない。枕元に置いていた携帯で時間を見ると、さほど時間は経っていなかった。凡そ十五分過ぎた程度、そんなものだ。冷え切った体をもう一度暖めようとベッドの中に入ると、反対側を向いていた三井がこちら側を見る。
「どっか行ってた?」
「え、あ、起きてたの」
三井の声に、水戸は一瞬どきりとする。空気が溶けたような気がして、急に柔らかくなった。
「玄関開く音がした」
犬かよ耳良過ぎだろ、水戸は思わず、声を出して笑ってしまう。布団の中は温かくて、あったけ、と思わず声を出した。
「だから、どこ行ってたんだよ」
「コンビニ。煙草無くて」
土産あるよ、続けて言うと三井は、何?と聞いた。内緒、と返すと彼は柔く笑う。互いに向かい合っていたので、距離が程良く近かった。目を閉じようとする三井が勿体無くて、水戸は自分から擦り寄った。彼の首元に顔を埋めると、肌の匂いと体温が直接伝わる。ついでに足も絡めると、冷てっ、と三井は多少驚いた声を上げた。
「足冷てえよ」
「そのまま外出たから」
「末端冷え性だよな、昔っから」
「そうだっけ。よく分かんねえ」
知らぬ間に三井の体も近付いていて、水戸の体に腕を回していた。布越しに密着していても、それでも三井の体温は温かい。
「あんたは体温高いね、昔っから」
「そうだっけ?知らねえよ」
「あと、音がする」
「何それ」
「あんたが喋ると部屋も喋る。すっげえのな、初めて知った」
三井の首元に顔を埋めたまま喋ると、擽ったいのか彼は少しだけ笑っていた。
「さっきコンビニでさ、曙色が空の下から迫ってて。曙色分かる?橙みたいな桃色みたいな色。凄え綺麗だった。写真撮ろうかなって思ったんだけど携帯忘れて。勿体無かったな。あんたに見せたかったんだけど」
そう言うと三井は水戸の体を少しだけ離し、目を瞬きさせる。何?と言うと、目が覚めた、と返された。
「お前もそんなこと思うの?」
「言うと思った。綺麗ならたまには撮りたいって思うでしょ、サイボーグかよ俺は」
「いやそうじゃなくて、オレに対してね、そういう何つーの?景色とか見せたいっていう殊勝なアレをだな、思うんだなってちょっとまあ、心打たれたかも」
「はは、なるほどね」
また部屋が喋ってる、水戸はそんな的外れなことを考え、三井を抱き締めた。ぎゅうっと強く抱き締めると温かくて、温か過ぎてその温もりが音と混ざり合う。三井の声は時に喧しいけれど、これがないと酷くつまらない。温かい筈の布団も、きっと体には浸透しない。
「あったけえなあ」
そう言ってからまた首元に顔を埋め、あまりに美味しそうだったから舐めると、またお前は、と呆れたように三井は言った。またって何?と反論したくもなったけれど、ちょっとだけ、と言って体に触れた。素肌にそのまま触れると更に温もりが伝わって、静寂過ぎた夜明け前の無音が無くなる。
もう降参参りました、三井がそう言って、水戸は思わず笑った。








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