短編

□午前二時、本能のままに
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酔うと水戸の声が聞きたくなる。もはや病気かそうでないのか、三井の頭の中はアルコールで充満していて、これが病的なものかはたまたそうでないのか分からなくなっている。ただ、サンダースのチーム連中で飲み会の途中、程良くふらついた頭で来ている居酒屋の個室を出たのは自分の足でしたことだった。辺りから聞こえる騒々しい声を背に携帯を取り出し、水戸の名前を出す。いつもなら、出ても出なくてもいいや、と思えるのだけれど、今は違う。出ろ!と念を込めていた。
数回コール音が鳴り、愛想の良くも悪くもない、はい、という声が聞こえた。水戸はいつも、はい、と言って電話に出る。
「オレオレ」
『知ってる』
「お前何やってんの?」
『残業中』
「え?!」
割に大きな声を出したように思う。電話口の水戸も、声でけえな、と言っていた。三井は自分の声の大きさをさして気にすることもなく、まじでまじで?とまた同じ音量の声を出した。
「今飲み会でよー」
『分かるよ。後ろがうるせえから』
口調だけで酔っていた三井もさすがに気付いた。機嫌悪いな、と。けれども、ここで通話を切る三井ではない。
「よし、迎えに来い。嬉しいだろ?疲れた体に三井さん、最高のもてなしだよ」
『はあ?!却下。もうどっから突っ込んでいいか分かんねえ。切る』
「あー!待て待て切んな!」
三井は慌てて自分が居る居酒屋の場所と名前と凡そ終わりそうな時間を言った。すると、じゃあ切るよ、という水戸の言葉と同時に通話の切れた音がする。来るか来ないか、その辺はどちらでも良かった。とりあえずは水戸の、面倒そうな声でも聞けたことに満足し、未だに終わりを告げそうにない個室に戻る。コーチ何やってんすかー、まあ飲んで飲んで、そんな煽りを受けながら、三井はまたグラスに口を付けた。レモンサワーの味は、既に覚束なくなっている。
今日は週の半ばだった。シーズン真っ最中の中、成績がいい時はこうして軽く選手達を労うことにしている。まだアシスタントコーチの自分は年齢も近いこともあって、こういった会は必ず参加していた。もっとも、これが軽い飲み会なのか否かはよく分からないけれど、選手達はそれぞれ自制しているように見えた。日を跨がない程度で終わり、二次会はしない。翌日の午後からの練習に差し支えないよう、皆が皆わきまえている。けれど、アルコールにさほど強くない三井は、数える程度しか飲んでいなくても酷く気分が良かった。友人との飲み会なら、次も行く。ただこれは違う。年齢が近いにせよ、自分はアシスタントコーチの立場だった。もうやめ!そう思った。しばらく経って、三井の携帯が鳴った。メールだった。開くと送信者は水戸で、「着きました」と書いてある。ぎょっとして思わず立ち上がった。
「帰る」
「え、どうしたんすか急に」
三井を見上げて言ったのは、サンダースのキャプテン野村だ。
「ダメ元で後輩に迎え頼んだら来た」
「はは!それパシリじゃないっすか!」
続けて笑う野村を他所に、三井は目を伏せる。ちげえよ、ぼやくように呟いて三井は、財布を取り出した。万札を数枚置いて、ほどほどにしろよ、と告げて個室を出る。お疲れっした可哀想な後輩さんによろしくー!彼らは揃いも揃って揶揄するように声を出したけれど、三井は振り返りもせず、それに返すこともしなかった。違うだろパシリじゃねえだろ、三井は未だにふらふらとした頭のまま、店の外に出る。愛でしょうよこれ、そう思った所で、表のガードレールに縋り、煙草を吸っている水戸を見付けた。ガードレールを挟んだ向こう側には、ハザードランプの灯った水戸の愛車があった。すぐに三井の姿に気付いた水戸は、目線は一度寄越したのだけれど、あからさまに機嫌が悪そうにしていて笑いもしない。むしろ眉間に皺を寄せている。それが無性に可笑しくて、三井は思わず笑った。水戸はというと、口から煙草を外し、やはりにこりともしなかった。
「何笑ってんの」
「いや、来るんだよなあって」
「あれって完全に強制だろ」
乗って、そう加えた水戸は、三井に助手席に乗るように施した。助手席のドアを開けて乗り込むと、水戸はもうシートベルトを着けていた。出すよ、という言葉を合図に、三井もシートベルトに手を伸ばす。サイドブレーキを下ろし、ギアをドライブに入れた。がこん、という音はいつも、何かの合図のように聞こえて、どきりとする時がある。酩酊状態に近からず遠からずで余計だろうか、妙に耳元はクリアだった。先の方に、酷く残る。水戸は何も喋らなくて、無言の横顔だった。盗み見るようにちらちらと見遣ると、彼の目が動いた。何?そう聞かれたので、飯食った?と聞いた。適当に、彼はそう言った。そして、酒臭え、と続けるのだった。その時、今日初めて水戸が笑ったような気がして、また三井はどきりとする。思えば、再会してからまだ半年も経っていなかった。しかも年末のこの忙しい時に、残業中にもかかわらず呼び出した。迎えに来い、そう言って。我儘で自分勝手だ。けれども昔からそうだった。それに水戸は、悪態を吐きながらも応えてくれていた。今も尚。
水戸の横顔を未だに眺めながら、車の窓の向こう側に映るイルミネーションが自然と目に入った。色とりどりのイルミネーションは、夜が更けても消えていない。未だに開いている店の前に飾られているものもあれば、単に街並みの脇の街路樹を装飾しているものもあって、明るくて、とても夜中とは思えない。そこで三井はようやく気付いた。
「クリスマス」
「ああ、いつだっけ。来週?」
「ケーキでも食う?」
「嫌がらせだろ」
「そうだよ」
そう言うと、水戸は舌打ちをした。それにも笑うと、ちょうど信号が赤になる。ゆっくりと停まる車の中で、また三井は水戸を見た。そういえば、会うのも久々のような気がする。水戸の横顔を見て今更のように気付いた。シーズンの最中は、会える時間が確実に限られる。ああそうか、酔ってるから電話したんじゃない。会いたかったからだ。それを確信した時、三井は水戸に声を掛けた。なあ、そう言うと水戸は、三井の方を見た。涼しげな目元は以前と全く変わらないし、奥二重なんだよな、なんて的外れなことを考えた。唇も薄い方で、顎の辺りに凄く小さなほくろがある。車内は暗くてよく見えないけれど、そこに吸い込まれるように近付いた。助手席と運転席は少しだけ距離があって、三井は水戸の袖を引っ張った。ようやく少しだけ近付いた体に任せて、三井は水戸の唇に口付ける。すぐに離れてしまうと、また街中のイルミネーションが目に入った。明るい、そう思った。
「見られてるかも」
「は?!」
「あんたやっぱバカだよな。前の車のフロントミラーから見えんの。知らねえだろ」
「え、まじで?!嘘だろ」
「嘘じゃねえよ。まあ、前の車がフロントミラー見てなかったら見えねえだろうけど」
「どうすんの?!なあ、どうすんのって!なあ!」
「知らねえよ聞いて来いよ。キスしたとこ見てましたか?って」
三井は一瞬、血の気が引いたような気がした。沈黙してしまい、運転席の水戸が打って変わって笑っているのが腹が立った。焦っている三井がよほど可笑しかったのか、最初の不機嫌そうな彼とはまるで別人だ。ばつが悪くなり黙っていると、いつの間にか車は進んでいた。前の車も距離が開いてしまい、もう段々とどうでも良くなって来る。まあいいや、そう思って三井は息を吐いた。
「で、どうすんの?あんたん家まで送んの?それとも俺ん家?」
「お前ん家にする」
「了解」
「なあ」
「今度は何」




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