短編

□愛されたい明日
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なんか落ちましたよ?
藤田がそう言って拾った物は、微かに金属音がした。やべ、と思った所で後の祭りで、水戸が財布を取り出した頃には時既に遅し。藤田は「指輪だー!」と騒ぎ立てていた。小さく舌打ちして、それを藤田の手から取った。視線を感じてそちら側を見ると、遥が水戸を見ていた。かっこいいですね似合いそう、そう言った彼女は、言葉と表情が裏腹に見える。どうも、と一言返して水戸は目を逸らした。元はと言えば、藤田が「アイス食いてー。なあぽち、お前ガリガリ君の何味が好き?オレは普通の。ザ、定番。あー、あっちーなあ、九月なのにあっちー。ガリガリ君食いたくなって来たー」と、いつもにまして騒がしく、神田の答えなど全く聞かずにうるさかったことが発端だった。それに見兼ねた水戸が、これで全員の分買って来て、財布を取り出したら最後、後ろポケットに入れていたチェーンに通した指輪が落ちたのだ。その後、永瀬モーター社員全員が指輪を話題に楽しむことを、水戸は容易に想像出来た。後ろポケットに件の物を入れ、水戸は一つ息を吐いた。けれどもどうせいずれは分かってしまうことだ、と水戸は自席に座り、トートバッグから弁当箱を取り出して開けた。それからは水戸の想像通りだった。
彼女居たんじゃねえか、会わせろ、飲み会連れて来い、水戸が口を開かずとも周囲だけで盛り上がっていて、どこかで一旦止めようと、とりあえずは弁当箱を空にする。水戸の昼食が終わるまでの間、永瀬は勿論のこと、いつもは静かな年長者までもが、まるで水戸を心底心配する親であるかのように話しているのだ。「良かったなあ、洋平にちゃんと彼女が居て」頷きながらそう言っていた。事あるごとに彼らは、水戸の将来を心配するように言っていたのだ。水戸がずっと、そういう人は居ない、紹介も要らない、そうして上手くはぐらかして来たからだった。水戸は三井と再会してからずっと、そういう人は今は居ない要らないを繰り返していた。以前、取引先の事務の女性からバレンタインデーにチョコレートを貰ったことがあった。そしてそれが、本命チョコだの何だのでやはり彼らは盛り上がった。けれども水戸は、どちらにしてもそういうのには応えられない、そのようなことを言ったと思う。その言葉は年長者達を酷く心配させたのだ。一番の年長者である佐藤は、「ありゃなかなかの娘さんだぞ?」そう言った。けれども水戸は「俺には勿体ないっすよ」と苦笑したのだ。年頃の男がそんなんでいいのかモテるのに、人生の先輩達は散々言ったのだけれど、水戸はかぶりを振っていた。そこに来て、後ろポケットから指輪事件。面白半分に見えるこれも、親心の一種なのかもしれない。
まずいことになった。水戸はそう思いながら、弁当を食べ尽くした。蓋を閉じて烏龍茶を飲み込んだ所で、洋平、と声を掛けられる。顔を上げると、永瀬と目が合った。
「なあなあ、紹介しろって。会いたいなあ、オレすげえ会いたい」
どうするか、水戸は息を一つ吐いた。
「来ねえと思います」
「何でよ」
「そういうんじゃないんで」
お先です、水戸はそう言うと席を立った。喫煙所に行く為だった。外の喫煙所に行き煙草に火を点けたと同時に、携帯が鳴った。いつもの業務連絡だ。「普通に帰る」その一言に水戸は「了解です」と変わらない返信をした。水戸の帰宅も、通常通りだった。午後七時には会社を出て、駐車場に向かった。そこまで歩く間、急に冷えて来た風を正面から受ける。不意に、永瀬が退社する直前に念押しするように言った言葉を思い出した。「金曜日飲み会するからお前連れて来いよ。ちょっと聞いといて」彼はそう言い残して退社した。水戸は頭を掻き、車に乗った。
エンジンを掛け、窓を開ける。煙草に火を点け、一度吸ってからサイドブレーキを下ろした。三井から例の指輪を受け取った翌日、水戸は指輪など忘れた振りをしてマンションを出ようとしていた。特に触れず、忘れていますという体で足を進めた。確信犯だった。そこで後ろから三井の、待て、が聞こえたのだ。俺は犬か、と振り返り、何?と一応聞いた。もっとも、言われることに予想は付いていたのだけれど。すると予想通り、指輪はどうした忘れてんだろ忘れた振りしてんだろオレは騙せねえぞ、と一息で言われ、ぽっかりと口を開けた。一応情状酌量の余地を求め、職場には着けらんねえよ、と言ってみる。情状酌量を求める意味がよく分からなかったのだけれど、彼に体当たりでぶつかることは余計な揉め事を起こすだけだと分かっていた。だからその場を収めようとやんわり伝えてみるものの、駄目だ、と一蹴された。はあ、と息を吐くと、何の為にチェーンも渡したと思ってんだよ云々かんぬんひたすら喧しく喋られたので、めんどくせえ分かったから!と水戸が折れたのだった。時間ねえのにまじでめんどくせえ、と一応抗議してみるものの、そこは彼は無視を決め込んだ。言っても無駄、と水戸は仕方なくチェーンに通した指輪を着けようとする。けれども自分で着けるのは上手くいかなかった。何しろアクセサリーなど今まで職場で使う時計くらいしか着けなかったからだ。
「三井さん、出来ねえ」
「は?」
「自分で着けらんねえや。人に着けんのは簡単なのに何でだろ」
「お前、意外と簡単に爆弾発言残しやがるよな」
「は?何が?」
「これだからデリカシーゼロは!」
三井は水戸の背後から簡単にチェーンを着け終え、その背中を押した。ほら行け、そう言われて振り返ると、彼は酷く仏頂面で右手を挙げている。水戸も返すように右手を挙げ、じゃあ、と言ってリビングを出た。それが初めてそれを着けた日だった。ちょうど三日前だったように思う。結局仕事中に鬱陶しくなり、外して後ろポケットに入れた。そしてまた、帰宅する時に持ち帰る。二日目はもう、自分で着けられるようになった。その日も忘れている振りをしていると、また背後から声を掛けられたのだ。おい、と。今日はおいですか、と思いながらチェーンを着けた。意外と着けんの簡単、そう言うと、彼はにやりと笑った。何となく苛ついたので舌打ちをすると、また背後からぎゃんぎゃんと喧しかった。けれど、それは無視してリビングを出たのだった。そこで水戸は気付いた。先日水戸が彼から言われた「デリカシーゼロ」の意味を。
水戸は昔、女性と付き合っていた時に各イベント事があれば、その時々彼女達が「可愛い!」とディスプレイを眺めたり雑誌を眺めたりしていたアクセサリーをプレゼントしていた。もっとも、何がどういう風に「可愛い!」なのか意味分かんねえ、と思いながらだけれど。プレゼントした際、「着けて?」と頼まれたら着けていた。だから、人に着けるのは簡単なのに、だった。それを三井の嗅覚は、いとも容易く感知したのだ。あっちが犬だろ、水戸は苦笑しながらその日、職場へ向かった。
そして三日目、ついに後ろポケットから外したチェーンが落ちた。いずれ知られてしまうことだとは分かっていたけれど、その後が厄介なのだ。別に俺は構わないけどね、バレたら嫌なのはあんただろ?水戸はそう思いながら、車を走らせた。途中赤信号で何度か停まり、その度に景色は変わっていた。マンションまで近付いて行く距離に水戸は、現実そうはいかないとも思った。周囲は日常で溢れている。
帰宅すると、玄関に揃えられていない革靴があった。いい加減揃えろよ、と半分呆れながら、水戸はスニーカーを脱いだ。洗面所で手を洗い、リビングのドアを開ける。するとキッチンには、既に着替えてビールを飲んでいる三井が立っていた。
「おかえり」
そう言われた時水戸は何故か、唾を飲み込んだ。言葉がなかなか出て来なくて、追うように「ただいま」と言った。三井は特に変化は無く、何食う?と呑気に聞いた。水戸も飲もうと冷蔵庫を開け、ビールを取り出してプルタブを開ける。小気味良い音が響いた。一気に飲み込み、爽快感が喉を潤す。
「水戸?」
「ん?」
「どうかした?疲れてんじゃねーの?」
嗅覚、水戸はまた、三井の嗅覚を感じた。別に言わなきゃ言わないでいい。来られないって言えばそれで。そう思っていた。
「あー、のさ」
「何だよ。何かあんなら言えよ」
頭を掻いた。めんどくせえなあ、水戸はそう思った。
「あ、そろそろバレたんじゃねえ?」
「何が」
「指輪だよ指輪。オレの狙いはそこ」
「は?」
「虫除けっつったろ?」
「……めんどくせ」
そう言うとまた、三井はぎゃんぎゃんと騒いだ。日本語を喋っているのだろうけれど、耳から素通りする。とにかくいつも通り騒がしい。水戸は煙草を手に取り、ベランダに向かう。後ろから足音がして、水戸は息を吐いた。
「付いて来んなよ」
「はあ?!機嫌わりーな!」
水戸は振り返り、三井を見据える。
「別に虫除けでも何でも構わねえけどな、会わせろだの飲み会連れて来いだの社長がうるせえんだよ。それをいちいち遇らう俺の身にもなれよ頼むから。な?だから明日から着けない。はい、この話終わり。ベランダ行く。付いて来んな。分かった?」
一気に言うと水戸は、また三井に背を向けた。あーもうめんどくせえ飯作んのもめんどくせえ鍋にする決めた。もう決めた。水戸は煙草の箱を振り、一本浮いた所で口に咥えた。まだ火は点けない。ベランダに行ってからだ。
「いいよ」
「は?何が」
振り返った水戸は、煙草を親指と人差し指で唇から外し、声を出した。
「飲み会行ってやるよ」
「は?」
「想像上の彼女の代わりに行ってやるっつってんの」
「何言ってんのあんた」
「お前、そういう嘘は得意中の得意だろ。あー楽しみだなあ」
三井は水戸に背中を向け、酷く機嫌が良さそうに冷蔵庫を開けた。珍しく食材を取り出していて、夕食でも作る気なのかもしれない。鍋にしろ、水戸は一応念じながらもう一度煙草を咥え、ベランダに続く窓を開けた。そして、性格悪、と思った。
後日、飲み会当日、水戸は藤沢駅で待っているという三井を迎えに行った。するとやはり機嫌は良さそうで、更に加えて、指輪着けろ、と言った。いちいち言われるのが面倒だったから事前に着けていて、これ見よがしに彼に見せてやると、また満足そうに笑った。その後飲み会が円滑に進んだかどうかは知らない。水戸は三井と会話することはなかったし、席も離れていた。水戸は後輩達と並んで座っていたし、三井は遥の隣に座っていた。それがどういう意味を持つのか、それは水戸が関わることではなかった。三井と遥の会話が聞こえることはなく、どんなことを話していたかも知らない。憶測は出来るけれど、興味はなかった。狐と狸の化かし合いか、とは思っていた。けれどもそこに、水戸の意思が入り込むことは不可能だ。ただ、隣に居る藤田が会話をしている二人を見て「おお、美男美女」と言った時には軽く吹いた。おっそろしい、そう思った。
一次会が終わり、二次会は永瀬が勧めるバーに行くことになる。遥は参加しないと言った。そこで社長命令だと言って水戸に送ることを指示した。勘弁して、そう思った水戸は一度は断った。けれども、送ってやれよ、ともう一度言ったのは三井だった。ぎょっとした。何のつもりだ、水戸はそう思った。当の本人はどこか不遜に見える。それは、水戸だけが感じ取れる小さな差異だった。何を話した、一瞬それが過ぎるけれど、それも水戸にはどうでも良かった。どうせ、良くも悪くも過敏で聡いああいう女性には、何かしら伝わるものだ。それを彼女が言葉にするかどうかはさて置き。水戸が遥を送る為に歩き出した直後、三井は水戸に近寄った。そして、小さく言葉を投げられる。水戸はそれに、何も答えなかった。一瞬、水戸が奥底に閉じ込めている筈の感情が背筋を擽った。誤魔化すように右手を握る。要は苛ついたのだ。
結局駅までの間、彼女とは少しだけ会話を交わしただけだった。水戸が他人の女性を苦手だと思ったのは遥が初めてだ。彼女は水戸を、誰も見ていないしどこを見ているか分からない、というようなことを言った。もっと前は、寂しそうなのだと、そう言った。それ自分じゃねえの?と水戸は思う。それ故に、見透かされそうで、遇らうことが上手くいかない。苦手だ、と考えると酷く疲弊した。母親と会話をした後のようだと、水戸は思った。藤沢駅で遥と別れ、二次会に合流した。三井はやはり、酷く上機嫌だった。




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