短編

□ろくでなしと悪ふざけ
1ページ/1ページ


「よし、痴漢ごっこするぞ」
三井が言った時、水戸は入浴の準備をしていた。寝室のクローゼットを開けてTシャツとスウェットを取り出している。はい?そう言った水戸の顔には「こいつまたアホなこと言ってるよ」と書いてあった。意外とこいつ顔に出るんだよな、と三井は思った。
「何て?」
「だからー、痴漢ごっこ」
「ち、ちかんごっこ?」
「何語喋ってんだよてめえ。痴漢だよ痴漢、分かるだろ?な?」
三井が言うと、水戸は今自分が履いているデニムの後ろポケットから携帯を取り出して開いた。ぺこぺこと、ガラケー特有のキーを叩く音がする。
「痴漢とは、淫らないたずらを仕掛ける男のことである」
「は?」
「痴漢の意味です。あんた分かんねえだろうから調べたの」
「バカにしてんのか!」
「そうとも言う」
はいどいて、水戸はそう言って、寝室のドアを開けてそこに寄り掛かっていた三井の体を手で退かした。取り合うこともしない水戸の様子に更に苛ついた三井は、水戸の手を掴む。ちょうどリビングに来た所で、エアコンの風がひんやりと体を伝った。九月とはいえ未だに湿度は高い。日中は暑いほどだ。残暑が続きますが今日も一日頑張りましょう!そう言ったお天気お姉さんを一瞬、三井は思い出した。ああいう女は痴漢に合いそうだ、と思った。淫らないたずらを仕掛ける男、水戸はどんないたずらを仕掛けて来るのか、それを考えると三井の喉が、自然と鳴った。
「何なんだよ、風呂入るんだって」
「やってたらお前も乗って来るって。なあ?」
「誰の入れ知恵?聞きたくもないけど」
「山崎」
「あーもうまたかよ」
水戸はそう言うと、頭を掻いた。あの指に引っ掻いて欲しい、三井は動く彼の指先を追いながら思う。考えてみれば、普通に誘っておけば良かったのだ。妙な提案などしないで、今日やるぞ、と一言言えば良かった。それでも三井は、今のこの状況を楽しんでいる。水戸が仕掛けてくる何かを想像して、体が疼いていた。
「マンネリ化だ」
「ま、まんねりか?」
「だから何語喋ってんだよてめえは。つまりアレだ。オレが捨てるだの何だの言ったのは刺激不足かもしんねえだろ?な?だからちょっと違うことっつーか、まあお遊びだよ」
「はあ……」
「やる気ねーな!」
「実際やる気ねえです。はい」
三井は舌打ちをした。酷く不機嫌そうに、これ見よがしにしてやった。すると水戸は笑った。ガラ悪、そう言って笑った後ついに、風呂入る、と言って三井の髪に触れて背中を見せた。その後ろ姿を目で追って行くと、彼はすぐにリビングを出て行ってしまう。え?まじで?呆然とした三井は、くそ、とぼやいてキッチンに向かう。自分のやり方のどこが間違っていたのかと考察しながら冷蔵庫を開け、ビールを取り出した。プルタブを開け、一気に呷った。炭酸が喉に染みて、どうしようもなく痛い。このままじゃ負ける、三井はそう思った。ドアを隔てた廊下の向こう側から、シャワーの音が辛うじて聞こえる。キッチンから出て、缶ビールを持ちながらリビングを彷徨いた。何か打開策はあるか、と考えながらしばらくの間フローリングの上を歩いた。意味なく響く足音とエアコンの風の音が妙に耳に痛い。それを掻き消すようにまたビールを呷った。どうすっかなあ、口の中で呟いてから、ローテーブルの上に缶を置いた。ソファには座らず、背凭れに手を掛けて窓の外を眺めた。マンションの窓は大きく、そこからは家の屋根だけが点々と見える。後は電柱と電線。人の姿は見えない。当たり前だった。カーテン閉めるか、三井はそれを閉めようと窓の側まで歩き、カーテンに手を掛けた。
その時だった。急に呼吸が浅くなり、苦しくなる。何が起きた?!三井は動転した。窓ガラスには自分が映っていて、掌で口を塞がれている。水戸?その手を振り解こうにも、知らぬ間に背中で両手首を固められていた。痛みはなかった。痴漢とは淫らないたずらを仕掛ける男のことである。水戸が携帯で調べたという言葉を思い出した。痴漢ごっこってこと?これが?また格闘技かよ!抵抗しようにもくぐもった声しか出なくて、口を軽く開くと、唇に水戸の指が触れた。どうしよう、三井は思った。これこのままでもいいかも、と思った。自分の性癖の擦れに笑いたくなる。唇に指が当たる感覚に性的な興奮を覚え、三井は水戸の指を食んだ。すると背中にぐっと体重が掛かり、腕が少しだけ痛む。膝が軽く沈み、額が窓ガラスに擦り付く。首を動かし振り返ると、後ろには当然ながら水戸が立っていた。痴漢ごっこ、自分で言い出した言葉を思い出した。水戸の目は黒目がちで涼し気で、見下ろされると余計にその冷静さや静寂さが際立つように思う。遊びに付き合ってくれるのかそうでないのか分からない、何を考えているか全く分からないその目に、三井は自然と悪寒が走った。早くして欲しい、段々と早鐘のように鳴る心臓に三井は、こんなにも高揚するなんて久々だと思った。
唇から水戸の手が外れた。三井は自由になった口で思い切り息を吸い込んだ。そして吐いた。そうでなければ心臓がもたないからだ。
「悪くねえかもな」
「え?」
「よーい、スタート」
三井の手首は固めたまま、水戸は空いている片方の手で三井の体を後ろからなぞった。頸から首筋から鎖骨から、それが終わると水戸はTシャツの中に手を入れた。脇腹から胸から乳首から、水戸はあらゆる箇所をなぞる。彼の唇は頸、首筋、背中と、掌と同時に動く。三井はその都度声を上げた。あ、あ、あ、と短くも息を孕んだ声に、三井自身が酷く興奮していると分かった。水戸の指先も唇も舌先も、全部を逃さないように神経をそこに集中していると、水戸の漏れる息も聞こえる。興奮してる、三井はそう思った。ほらみろ乗って来るって言ったろ?勝ち誇るようにそう思いながら、三井は自分が、水戸とのセックスに耽溺すること自体が久々であることに気付いた。だから欲しかったんだ、と今更知った。水戸は三井の性器に触れた。布越しであるにもかかわらず、酷い嬌声が上がった。水戸の顔が見えない。けれども水戸の手で指であることに変わりはなくて、顔が見えないからこそ、その指に夢中になった。手首の拘束はいつの間にか外れていて、三井は窓ガラスに手を付いた。上がる息が白く模様を描く。ぼんやりと映る二人の姿が、より煽情的に感じさせる。早く早く早く!三井は言った。いつもなら焦らすだろうに水戸は構わず三井の性器に直接触れた。既に濡れたそこを馴染ませるように上下に扱かれると、たったそれだけなのに狂いそうになった。挿入された訳じゃない。指を入れて動かした訳じゃない。たった数回動かしただけで、三井は果ててしまいそうになった。耳に自然と入って来る嬌声はだらしないもので、これ誰の声だっけ?と三井は思った。仕方ないから名前を呼んだ。水戸、水戸!と呼んだ。彼は三井に、イキそうなんだろ?と聞いた。喘ぐしか出来ないから頷いた。何度も頷いた。もう早くイキたい、お願いだから、と半分喘ぎながら、構わず叫んで懇願した。もうこんなの痴漢ごっこでも何でもない。ただのセックスだ。とびきり扇情的な性行為だと三井は思った。気持ちいい気持ちいい、それしか頭に無くて、ただ扱かれて首筋を噛まれただけで、三井は果てた。受け止められた精液がどうなるかなんて、もうどうでも良かった。一瞬真っ白になった頭は、呼吸を何度も繰り返して正常に戻った。それでも、足が震えて立っていられない。今は頭を窓ガラスに擦り付け、掌もそこに付け、体は後ろから水戸が支えていた。それでようやく立っていられる。
「もう無理。せめてソファでやりたい」
「だめ」
「いや、ほんとに無理だって。力入んねえ」
「入れなきゃいいよ」
「立ってられる自信ねえんだって」
「あー、早く入れてえ」
「無理だって!話聞いてねえだろ!」
その直後指が当たる。そのまま入り込む。唐突な侵入に予想もしていなくて、三井は声を上げた。水戸はすぐに、三井の好きな箇所を突いた。また引っ切り無しに声が上がる。早く入れてえ、水戸はそう言った。もういいや、と思った。入れたいならそうしたらいい、と。三井も同じように思っていたからだ。早く入れて欲しい。早く欲しい。今指が当たっている場所に、水戸のでたくさん突いて欲しい、と。さすがにそれは言えなかったから、代わりに快楽に溺れていた。その指の動きを堪能した。相変わらず水戸の顔は見えないけれど、呼吸だけは聞こえる。短く、浅く、興奮してる、と何度も思った。オレで興奮してる、この男が。三井はその事実を知り、あの時に捨てないで良かったと心底思った。いや、捨てられなかったのだ最初から。抗おうとしても無駄だった。きっともう三井は、女性を抱けないし好意さえ抱かない。悪ふざけでもいたずらでも何でも、三井はこの快感がないと成り立たない。
急に圧迫感が無くなり、今度はもっと大きな質量が埋まる。後ろから揺さぶられて動かされて、もうどうにもならないほどの快感の波が襲う。こんなの自分の声じゃない、そう思うほど声が上がる。喘ぎながら途中、三井は水戸に、好きだと言った。本当に好きなんだと。好きで好きで堪らないから怖いと、途切れ途切れに言った。水戸は後ろから、三井を抱き締めた。動くことは止めないで、強くぎゅっと抱き締め、三井の首や背中にキスを落とした。そういえば今日キスしてない、唇にキスが欲しい、どうしても欲しい。三井はそう思ったのだけれど、快感が強過ぎて、やはりそれに抗うことは叶わなかった。
「三井さん」
返事はしなかった。出来なかった。
「どこにも行くなよ、なあ」
言われた言葉にぎょっとしたけれど、三井は返答することが出来なかった。ずっと突かれ続けていて、返そうにも言葉にならない。なあ、ともう一度言われたけれど、また同じように突かれて声にならない。だから頷いた。何度も頷いた。卑怯だと思った。今この状態でその質問をするなんて、頷くしか出来ないからだ。気持ち良くてどうにかなりそうで頭の螺子が飛びそうで、ああもうどうにでもして、と思った。
「なあ、もう出していい?」
水戸は後ろから三井を抱き締め、一度動きを止めた。はあ、と吐き出す息が背中に掛かって熱くて、三井は思わず身震いする。
「好きにしろよ」
「そんでもう一回する」
「二回目はソファがいい」
「え?」
「やっぱりオレ、キスしやすい方がいい」
「同感」
「そうだろ?」
「あんたヤバいね、すげえ気持ち良さそう。だから俺も気持ちいい」
どうにかなりそうだ、水戸はそう言った。そして抱き締める力を強くして、三井の背中に水戸は額を擦り付けた。匂いを嗅ぐように深く呼吸をされるのが分かる。呟くように、好きだ、と言われ、三井は思った。どこにも行かない、行きたくない、と。三井には今しかなかった。今をどう生きるか、それが八割を締めていた。だったらもう、これだけで十分だろ?なあオレ。






終わり



[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ