短編

□名の無い夜に
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某女性誌のwebマガジンに載っている自分の写真を見た三井には、それがどこか他人事のように思えて仕方なかった。
今日は日曜日だった。オフシーズンに入って随分と経った日曜日だった。今日三井は、例のwebマガジンの記事の確認の為にと広報の女子社員と東京の某編集部に来ている。今後もこの企画を続けて行きたいという編集部の意向も交えた打ち合わせも兼ねていて、三井からすれば、マイナースポーツであるバスケットが普及していく為にメディアは必要不可欠だと以前から考えていたこともあってか、それは渡りに船だった。以前からもメディアの取り上げ方には関心があった。だから自分が呼ばれればどこにでも行くし、様々なインタビューも受けて来た。地元のテレビでも新聞でも何でも。その甲斐あってか、サンダースは取り上げられることが増えた。もっとも、それは成績にも比例しているのだけれど。今シーズンはプレーオフには出場出来なかったのだけれど、成績は悪くなかった。悔しい部分もあるし、讃えたい部分もあった。新たな目標が出来たことを収穫だと思うことにしている。ただ、この編集部で掲載される記事と写真の確認をしながら、二名の選手の中に紛れ込んでいる唯一のヘッドコーチである自分自身が酷く浮いて見えたのだった。サンダースの選手達は、今日は地元で練習をしていた。写真や記事の確認はコーチに任せます、と各々が言った。順に紹介していくという企画なのだけれど、サンダースからは主将、副主将、それからヘッドコーチである三井が紹介されていた。次の月はアルバルク東京らしい。菅田も記事に載るのかもしれない、と何気に考えた。
企画の話を進めていたのは、主にこの企画を担当している女性編集者二名と、サンダースの広報の女性社員だ。こういうのは女性受けの良さがまずは主体になる。女性というのは良くも悪くも口が軽い。その口がどのような形で情報を運んで行くかが問題だった。だから三井は彼女達に任せ、あまり口を挟まないようにしている。思えばインタビューの内容も、バスケに関することは最初だけで、後はプライベートの過ごし方やどのようなファッションが好きか、その他諸々。三井からしたらスポーツ誌とはまるで違う、多方面の様々な場所に重きを置いている女性誌が、流れて消える週刊誌の筆頭に当たると思えて仕方なかった。ゲームの攻略法や戦法などにはあまり興味がないのか、それとも興味を示しながらもスポーツに関わる人物の人間性も気になるのか。流れて行く内容に真面目に答えながら、時々吹き出しそうになっていた。実際吹いたので、記事を読み返しながら、その部分も詳細に記載してあったことに驚いた。ここまで書くか?と思った。記事になる予定の文字と写真を、一度紙で確認していた。手軽になったものだと思う。以前はネットなどはなく、常に紙媒体の物を読んでいた。その手軽さが利便性の高さに繋がっているのだけれど、三井は昔から好きだったバスケ雑誌は未だに捨てられないことも同時に考えていた。両方に強さと弱さがある。面白い使い方だと三井は思った。
「三井コーチ、聞いてます?」
「ああ、聞いてますよ」
「嘘でしょう?」
「はは、まあお任せしますよ。webでも女性誌からの派生なら女性目線が一番いいじゃないですか。正直オレ、インタビューの内容があまりにもバスケの話がなくてびっくりしましたもん。逆に聞きたいんですけど、バスケ自体に興味あります?」
三井が女性三人に対して順に指を指し、それから頬杖を付いた。彼女達はしばらく顔を見合わせ、それから一人が、ありますよ、と言った。続いて二人も、わたしもわたしも、と言う。嘘吐け、と思ったものの、その表情に嘘は無いようにも見えた。
「バスケは好きですよ。スピード感あるし、うわーってなるし盛り上がるし。ルールが多少分かんなくても面白いと思う。でも女の子達がバスケ自体に目を向けるのってそれだけじゃないじゃないですか。イケメンの選手や三井コーチだって格好いいでしょう?そういう人達のプライベートが知りたくなっちゃうんですよ。それがバスケを盛り上げる方法に繋がるなら使わない手はないんじゃないですか?」
「なるほどね。悪くないと思いますよ。なのでまあ、お任せします」
「あはは!結局それですか!」
女性は狡猾だ、三井は事あるごとに思う。最初に感じたのは姉にこき使われるようになってからだけれど、その女性特有の狡さや要領の良さに辟易しつつも、社会に出るようになって段々と慣れて来た。遇らい方も付き合い方も、自然と身に着くようになった。三井は出されたアイスコーヒーを手に取り、喉を潤した。三井の横では今も、三人の狡猾な女性が、ああでもないこうでもないと談笑交えて話している。オレもう帰ってもいいかな、言わないけれど、記事と写真を見直した所で既に考えていたことだった。
あまりにも暇なので、三井は今朝、水戸が見ていた広告を思い出した。広告と言っても新聞に入っていたチラシのことだ。三井が起きると水戸は当然起きていて、ダイニングチェアに座り、ダイニングテーブルにチラシを置いて順に見ていた。横にはコーヒーがあって、朝食はもう済んでしまったと思わせるには十分だった。彼は三井を一度見て、おはよう、と声を掛けた。三井も同じ言葉を返し、洗面所で顔を洗う。リビングに戻ると未だに水戸は広告を眺めているので、何が面白いのだろうと、水戸の後ろから一緒に覗き込んだ。水戸からはふわりと煙草の匂いがして、さっき吸ったのかな、と思った。無性に頭を撫でたくなって触れると、それは無言で払われる。舌打ちをすると振り返って笑われた。水戸がにこりと笑うと、未だに三井はどきりとする。一度咳払いをして、何が面白いのかと聞いた。すると彼は、駅前のスーパーが今日タイムセールで鶏肉が安いことと、水戸がよく通っているらしい近所のスーパーが毎週日曜日は玉ねぎジャガイモ人参が安いとのことだった。週末にまとめて買い物をするから、葉物野菜なども一緒に買ってしまうのだと。主婦みたいだ、とは言わなかった。三井がやらないからだ。だから無難に、ふーん、としか返さなかった。三井の出勤は、今日は午後二時から現地集合だから、朝は多少のんびり出来る。水戸の後頭部を眺めていると、今日は仕事に行きたくないと思い始めて来ていた。まずいことになった、と三井は思った。
「メシ出来てるよ」
「今日何?」
「ベーコンエッグはあるからパンは焼いて」
「えー、焼いてくれー」
「やだ。自分で焼けよ」
三井は後ろから水戸を抱き締めた。ぎゅうぎゅうと締めるようにすると、彼は笑って、苦しいって、と言う。仕方なくその場を離れ、パンを焼こうとキッチンに立った。コーヒーメーカーにはコーヒーが残っている。まずはそれをカップに入れ、一口飲んだ。美味い、と一つ息を吐いて、また飲んだ。そしてまた、仕事行きたくねえなあ、と思う。窓の外は既に晴天が広がっていて、その曇りのなさに今日も暑くなることが十分過ぎるほど分かった。
三井はパンを二枚取り出し、トースターに並べた。ぐるりとタイマーを回すと、じりじりとトースター特有の音が鳴る。鎌倉で三井が好んで買う、少し小ぶりの五枚切りのパンを二枚食べるのが好きで、纏め買いして冷凍庫に保管しておかないと気が済まなかった。それも、もうすぐ無くなりそうだ。そろそろ買わなきゃなあ、と、また窓の外を眺めた。この朝の時間が終わらないように続かないかな、という非現実的な考えが不意に頭を過ぎり、三井は思わずコーヒーを吹いた。軽く咳き込むと、水戸が三井を見る。
「どうした?」
「いや、気管に入って」
「はは、大丈夫かよ」
三井は二度ほど頷いて、またコーヒーを飲んだ。息を吐いて、水戸と見た真昼の月を思い出した。
「あんた今日東京だっけ?」
「そう。行きたくねえー、サボりてえー」
「帰りにどこでもいいからさ、パン買って来て」
「お前人の話聞いてる?」
「聞いてるけど、どうでもいい」
「酷くねえ?!」
「つーかさ、あんたがパン買って来ないと俺が適当にスーパーで買って来るよ?」
それでもいい?と聞かれたので、嫌だ、と即答した。ならよろしく、と水戸は返し、広げていたチラシを片付けた。パンとコーヒーの粉を買って来るのは、三井の担当だった。元々担当など決まっていた訳では無かったのだけれど、水戸に任せていたら適当なインスタントコーヒーとスーパーの安売りの食パンを買って来るのだ。一度三井は、それに文句を言った。もっと美味いパンとコーヒーがいい、と。すると水戸は、じゃああんたが買え、と何ともごもっともな返答をされる。ぐうの音も出なかったのが悔しくて、三井はたまたま行ったカフェのパンとコーヒーが美味かったので、そこで買った。ついでにコーヒーメーカーも洒落たものを買った。簡単に出来る、フィルターを付けて上からお湯を注ぐだけのシンプルな、けれども洒落ているものを買った。するとどうだ、朝飯が更に美味いだろ!と自信たっぷりに言うと水戸は一言、美味いよ、と言うだけだった。それで喧嘩をした。もっとも、喧嘩と言えども三井がぎゃんぎゃんと騒いで水戸が聞いていただけなのだけれど。という経緯を経て、パンは三井が買って来ている。東京に出るならどうせ何かあるだろ、という水戸の、的確に言えば「あんたが好きそうな自然酵母だの小麦だのそういう謳い文句が掲げられたあんたの言う美味い食パンがあるだろ?」という三井を軽く小馬鹿にした意味合いを含んでいる。
それに腹を立てつつも、三井は今の状況に浸っていた。今ある日常は日常ではあるけれど、きっと当たり前じゃない。他人にとっては意味をなさなくとも、それは三井にとっては何物にも代え難い日々だった。それをある日を境に、身を以て知る。
「なあ水戸」
「何?」
「お前オレのこと、ちゃんと覚えてるよな?」
そう言った後の水戸の表情は、驚いているようでもあったし、呆けているようでもあった。けれどもそれは、すぐに変わる。
「覚えてるよ」
水戸は柔く笑った。これを聞いたのは、ある事件があってから初めてだった。水戸は一度、打ち所が悪くて三井を忘れたことがあったのだ。それはたった二週間だったけれど、三井にとっては何ヶ月も何年にも感じ取れる二週間だった。終わりが見えなかったからだ。見えないからこそ、時間の感覚が酷く曖昧だった。明日は思い出す、明日こそ、そんな風に考えていたら一生「明日」は来ないのではないかと。流れの見えない二週間だった。
三井は着飾った自分の姿が映っている写真の横の文字をもう一度確認するように読みながら、今朝のことを思い出した。インタビュアに聞かれたことに対して、最後の方はどうでもよくなっていたことも同時に。内容は最初、今季のサンダースのこと、今後のサンダースのこと、この先のプロバスケ界のこと、ここまでは良かった。真摯に向き合って答えたと思う。良い点だけでなく悪い点も。正直に答えた。すると次からがらりと変わる。休日はどんなことをしていますか?どんな風に過ごされますか?バスケ以外で趣味はありますか?切り替えが早いなんてものじゃなくて唐突で、そこで三井は吹いたのだ。何ですか?何か面白かったですか?そう聞かれたので、これって興味ありますか?と苦笑した。するとインタビュアは砕けたように語尾を伸ばして言うのだった。ありますよぉ、と。三井はそこで、うちの選手達なら面白おかしく話しそうだ、と思った。
「三井コーチ」
「あ、はい」
紙から顔を上げ、呼ばれたので返事をした。もう帰ってもいい?と聞きそうになるのを寸での所で堪える。
「この、よく出て来る後輩って彼女じゃないですよね?」
「は?」
「ほら、インタビューで後輩に車で横浜に連れてってもらう、とか。後輩とご飯に行く、とかあるじゃないですか。彼女のカモフラとかじゃないですよね?」
「いや、まじで後輩です。湘北の頃からの」
「なーんだ、なら良かった」
女性三人は、ほうっと息を吐くようにしている。ほらね、だの、ちっ、だの舌打ちまで混ざっていた。そして広報の女子社員が三井を指差して言う。
「三井コーチ、今はスキャンダル厳禁ですよ」
「え、スキャンダルって何?」
「あるじゃないですか、交際報道みたいな。今はSNSも普及してるし、女子アナとかそういうの特に勘弁してくださいね。サンダースはクリーンでチームワーク抜群を売りにしてるんですから」
「いや、ないですよ。ないない」
女子アナなんて思いもよらない所を突かれ、三井はぎょっとした。少しばかり慌てて手を振ると、じろりと睨まれる。本当にないですから、念押しして言うと、分かりました、と引いてくれた。普通に女子アナならお咎め程度で済んだかな、とあまりに的外れ過ぎて自分の思考を疑う。早く帰りたい、そう思った。
それからしばらくして、打ち合わせは終わった。編集部を出たのは午後五時を回った所だった。女性三人組は今から飲みに出掛けるらしい。一応申し訳程度に誘いは受けたのだけれど丁重に断った。彼女達は、良かったー、とあからさまに安堵している。なら最初から誘わないでくださいよ、呆れて言うと、笑って誤魔化していた。お疲れ様でした、会釈してその場を後にした。
帰宅したのは、午後七時半頃だった。電車の中は空調が整い過ぎていて、外気温との差異にくしゃみが出た。東京でも蝉は鳴いていたのだろうか、よく覚えていない。時々真昼の月は出ていないか探したのだけれど、今日は出ていなかった。そして、帰りにたまたま寄ったカフェに食パンが売れていたので購入した。一緒にコーヒーも。これで文句は言われまい、三井は俯いて、誰にも見つからないようにほくそ笑んだ。一番近い駅で神奈川方面に向かう電車に乗った。何度か乗り継ぎしないといけなかったけれど、もういいや、と空いた席に座った。思わず息が漏れた。暑さも相俟ってか、体が疲れた気がする。だからサボりたかったんだ、心の中で悪態を吐いた。電車の心地良い揺れと整った空調に、眠気が過ぎる。その欲求に逆らわないで目を閉じると、頭の中に最初に過ぎったのはスーパーのチラシだった。色とりどりの派手な紙面に、タイムセールという文字や、日曜市という文字がでかでかと並んでいた。水戸は今日行ったのかな行ったよな、ぐるぐるとチラシの色が回った直後、スキャンダルという言葉を思い出して、目を開けた。結局眠ることは出来なかった。

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