短編

□青春病
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昼休みになってすぐ、屋上に向かった。ドアを開けた向こう側は開放的だけれど、酷く生温い。夏の終わりは未だに最終的な局面を迎えなかった。何故だかそれに安堵して、いつもの場所に向かう。ドアを開けた直後からそこ一帯は騒ついていた。騒々しかった。水戸以外の彼等が居ることをオレは知った。もっとも水戸は、彼等と居ても静かだけれど。声は出すけれど淡々と、いつも抑揚なく静かだ。ただ、今日は居ないのかもしれない、そんな気がした。彼等も煙草を吸う。だから屋上のドアからは見えない、タンクの影で隠れる部分に居る。いつもその場所だった。この時間は日陰になることを、あの連中はよく知っている。
「よう」
「お、ミッチー」
「今日水戸は?」
「んな年がら年中連んでる訳じゃねえよ」
同じような台詞を、水戸からも以前聞いたことがあった。今日は居ないのか、と片隅に考えながら、コンクリートに座ってビニール袋からパンを取り出した。それを齧りながら、彼等の会話を聞いていた。この間擦れ違った女の子が可愛かった、とか、あの制服は女子校の、とか、所謂高校生男子の会話だった。他人事のようにその会話を聞いていると、こいつら本当に中学卒業したてのガキなんだよな、と当たり前のことを確認した気分になる。それに引き換え、水戸のあの大人びた眼差しや指の扱いは何だろう、とても十五のガキとは思えない。純粋に素朴な疑問だ。
「洋平と言や、最近あいつ呼び出しくらってねえよな」
「呼び出し?」
思い出したように野間が言う。鸚鵡返しのようにオレが聞き返すと彼は一言、女、と言う。女から呼び出しってやっぱりお前は幾つだ水戸。今居ない奴に対し、オレは心の中で突っ込んだ。
「そういやそうだよなー、パチ屋行ってても携帯鳴らねえもん」
「え、そんな鳴ってたのかよ」
「案外終わってたりして」
「あいつそういうことは一切言わねえからな」
順に話していく連中を目で追いながら、口を開けたままでいた。そうしていたからか妙に喉が渇いて、思い出したようにペットボトルを開ける。それを呷ると、温度が不快だと感じた。生温くなった麦茶は、酷く飲み心地が悪い。
「お前らにも喋んねえの?」
麦茶を何口か飲み込んで、口を拭った。それから聞いた。普通高校生男子と言えば、彼女が出来たらそれなりに自慢をする筈だ。少なくともオレの周りはそうだった。もっとも、例の暗黒時代の話だけれど。まあ、話さない奴も中には居た。
「喋るよ。聞けばだけど」
「大概年上だったな」
「で、大概綺麗なんだよ」
「これだからモテる男は」
「醜い嫉妬する前にとりあえずお前は痩せろや」
「違いねえ!」
笑う連中にとりあえず釣られて笑ってはみたけれど、水戸のことを何も知らないのだと壁に打ち付けられた気がした。そう、オレは何も知らなかった。知らないし聞かないし、まず水戸の素性をオレは、聞こうとしない。何より彼は、連中の言うように自ら自分の話は一切しないのだ。オレがするバスケの話を、ここで煙草を吸いながら聞くくらいだった。時々相槌を打って、時々笑う。声を出して腹から笑う時もあれば、口元だけ緩ませる時もある。その時の水戸は、十五歳だ。しばらくして人が来なければ、キスが欲しいとオレから目で訴えることもあった。そういう時の水戸の目は、十五のガキじゃなくなる。怖い奴だと、オレは思う。
そんな水戸がしょっ中、女から呼び出しをくらっていたとは。やはり奴は侮れない。中身がさっぱり見えない。透けてさえ来ない。
「オレ前の彼女見たことあるよ。現在進行形かもしんねえけど、ありゃかなり年上だな」
しかも超可愛いの!酷く楽しげに話す野間にオレは、お前は噂好きのばばあか、と突っ込みたい所だったけれど、問題はそこじゃない。現在進行形かもしれないって何?!これだった。
「忠お前、いつどこで見たの?!」
「いつだっけ。一ヶ月前くらいかな。パチ屋に迎えに来てた」
「まじかー!見たかったー!」
そこで大楠の目線が上に上がる。少しだけ向こう側を見る。そして、ようモテ男、と手を挙げる。オレの背後に感じる気配に、やっべえ振り返れねえ別にオレが悪い訳じゃないのに、と、何故だか一瞬冷や汗を掻いた気分になる。振り返らずとも彼のオレを見る目が冷たいことは、何となく分かるからだ。
「よ!携帯鳴りっぱなし!」
「年上キラー!」
「あれ、お前どうしたのその怪我」
高宮の言葉にようやく振り返ると、目が合った水戸はオレを見下ろしている。一瞬だけかち合ったその目は、妙だった。怒ってる?と最初は読み取った。けれどもそれは、すぐに払拭される。違う、そう思った。怒ってるんじゃない違う、じゃあ何だ。探っている間に、水戸は明後日かどこか見知らぬ方向に放るように視線を逸らした。それでも水戸の頬が赤く、口の端に血が滲んでいることだけは分かった。水戸はオレを素通りして、高宮にビニール袋を渡す。それからコンクリートに座り、煙草に火を点けた。
「唐揚げ。余ったからやる」
「お前が作ったの?ラッキー」
「洋平はデブに甘えんだよ!だから益々ブタになんだろうが」
「食わせたくなんだろ、この形見てたら」
「洋平はブタと女に甘い」
水戸はコンクリートに座ってから一度も、オレを見なかった。煙草を吸い込んで吐き出し、眉を顰めて伏せたその目をオレは睨むように見つめていたけれど、最初一瞬だけかち合ったのが嘘のように合わない。怒ってる、そうじゃない違う。もう一度同じことを考える。あの目の理由は何だ。
「つーかお前どうしたの、その怪我」
大楠が聞いた。オレは忘れていたパンを齧った。
「工業高の連中」
「うーわ、やっちゃった?」
「学校行くから通してくれって頼んだんだけど通じねえからさ」
お陰で遅刻だよ、そう続けて水戸は舌打ちをする。機嫌はよろしくないようだ。
「あ、さっきの話。パチ屋に迎えに来てたおねーちゃんとお前どうなったの?」
喉が渇いた。酷く喉が渇く。生温い麦茶をまた飲み込んだ。数回に分けて何度も。それでも喉の渇きは治らない。それは何故か、水戸の目の理由が分からないからだ。
「フラれた」
「え、何で?!」
彼等はどよめいた。三人が揃って、何で?だの、何があった!だの面白そうに騒ぎ立てた。オレも興味がある。このままここに居れば聞けるんじゃないか、興味と嫉妬が入り混じる。水戸を知りたい。最優先事項はそれだ。
「つーかあんたさあ」
騒がしい屋上で、水戸は静かに声を出した。けれどもその逆、音がなるほど強く、携帯灰皿に煙草を押し付ける。伏せた目を止め、オレを捉える。「あんた」というのはオレだ。あ、蝉の声。遠くにあったのか元々鳴いていなくて今鳴き始めたのか、どちらかは分からない。ただ急に聞こえ出す。耳鳴りのように、あんたさあ、と蝉の声が頭の中で何度も反響する。水戸との距離は近くはない。一メートルはある。どうしよう騒つく。捉えられる。唾を飲み込むと喉が痒かった。
「あんた昼練あんじゃねえの?」
「あるよ」
「じゃあ行けよ」
連中は沈黙した。空気が一変する。彼等は思っている筈だ。この空気は厄介だと。オレは笑いたくなった。知らねえだろ、そう思った。騒つくのは歓喜だった。彼等が唯一知らないことを、オレはただ一人知っている。
「オレにも教えろよ、フラれた理由。興味あんだよ」
息を吐くように笑って声を出すと、水戸はオレを睨んだ。チャレンジャーだなミッチー、小さく高宮の声が聞こえる。
「何で言わなきゃなんねえの。あんたダチじゃねえでしょうよ」
ごくり、と、もう一度唾を飲んだ。連中はまた黙る。ぎょっとしたように水戸を見ている。蝉の声が耳に届く。夏の終わり。怠惰な空気に、うるさい鳴き声だけが混じる。彼等は静かだ。だから余計に、蝉の声が際立つ。
「はっ、上等だ」
水戸が最初に見せた妙な目の理由。それがようやく分かった気がした。言われた訳じゃない。お前らやっぱり知らねえだろそこの三人組。
「そうだよなあ、ダチじゃねえよなあ。つーか、お前とオレは一生掛かってもダチにはなれねえよ」
「ミ、ミッチー?」
「じゃあな」
コンクリートから立ち上がり、屋上を出て行く為に大股で歩いた。ドアを開け、開放的なその場を去る。外の世界と校内を繋ぐ扉を閉めると、その暗さに目がちかちかと揺れた。よく晴れた太陽の下、タンクの裏の日陰、真っ二つに割れた世界。校内の電灯の明るさにしばらく慣れず、何度か瞬きをする。目眩のような揺れは治らない。水戸がオレを見ていたからだ。
件のねーちゃんと別れた理由はオレだ。オレが欲しかったからだ。それを知られたくなかったからあそこからオレを追い出した。十五のガキ。あの目の理由はそれを知られるのが面倒だった。あの男にもそんな単純な思考があるのだと思うと可笑しくて仕方ない。あんなことをしておいて、ダチだって言われたらそっちの方が厄介だ。噛んでやりたい。そう思った。
ダチじゃない、恋人じゃない、それならいっそ、もう病気で構わない。





終わり



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