短編

□薄荷少年
1ページ/1ページ


「もう一回する?」
「は?」
「あんた意外と平気そうだし」
んな訳ねえだろふざけんなてめえ、とは言わなかったけれど、思い切り顔にそう書いてあった、ように俺には見えた。彼は初めて俺の家に来た挙句、見事に地雷を踏み、殴られる。二発ほど。抵抗するも諦め、そのまま行為に及んだ。始まってから何度か頭の中で流れを反芻してみたものの、幾ら考えてもこれは強姦以外の何者でもなかった。笑いたくなった。彼はまるで抵抗はしなかったけれど、かといって快感を得ていたかは不明だ。もっとも、きちんと出していたからそれなりに良かったのかもしれないけれど。
「もう降参っつーなら止める」
「誰が降参っつった。上等だ」
やってやるよ、三井さんはそう言った。蒼白した顔色のくせに口だけは達者だった。その気の強さに思わず笑った。けれどもその顔は見られたくなくて、俯いた。顔を下ろして彼の唇を自分の唇で触れる。なぞるように触れて、少し厚い唇の皮膚だけを味わうようにキスをした。緩急を付けて何度も続けていると、自然と唇が開く。舌を差し込んで撫で回すと、彼の体が震えた。口の中弱いんだ、同時に体も撫でながら何気に確認する。すると段々と、彼の中心部分が硬くなって来る。自分の背筋がぞわりとする。腹の底が震え上がるような、これが性欲なんだと実感した。もう一回する?と聞いたのは、拒絶しないと分かっていたからだった。この人は俺に惚れてる、それを知っていたからだ。言われてはいないけれど、他人の感覚や感情には敏感な方だと自負していた。何より、どう扱おうと俺を拒絶しないから。だからこうして、彼の好意につけ込んでいる。
口の中と首筋と弱い部分を探っていると、三井さんの手が俺の手首を掴んだ。自分の手で、俺の手をそこに持って行く。水戸、水戸、早く。縋るように息を漏らして名前を呼んで、扱かせる。そこで何かがぷつりと切れた。最初はもう、相手も俺も慣れないし、それでも勢いで終わらせた。余裕もないまま挿入して、歯を食い縛る三井さんを見下ろしながら、酷く良い眺めだと思った。痛いんだろうな、と分かっていながらも、決して嫌だと言わず挑戦的に見据えてくる瞳を見ていると、背筋に這いずる虫のようなものを感じた。こんな強奪するような行為だったっけ?殴り合っているみたいだと思いながら最初は終えた。今はそうでもなくて、訳は分かっている。両手首を抑え付けて脇腹の辺りを噛むと、声を上げた。濡れたままのそこに指を突っ込んでも鳴いた。まだ慣れていないと知りながらも、掻き回して彼の善がる場所を探った。見付けると体が跳ねた。また俺の名前を呼んだ。ここがいいんだ、と嘲笑しながら言うと、短く息を吐きながら彼は俺を睨んだ。それでも、嫌だとは言わなかった。欲しいなら言え、と聞けば、水戸が欲しい、と素直に言った。それでも、挑戦的な目は変わらなかった。
首に腕を巻き付け、俺を招き入れる。挿入すると息が漏れた。三井さん、と声を出すと、腕の力が強くなった。抱き締められていて顔は見えない。彼が善がる場所を狙って突くと、腹に擦れるそこが一層硬くなった。良かった、そう思った。俺だけじゃない、と。何故だか酷く気分が高揚して、耳元で彼の声を聞くと跳ね上がるようだった。この人を部屋に呼ぶと決めた時、俺は自分自身と賭けをした。何もしないで終われば、きっとこのまま曖昧なままでも続いていけると。それが正解なんだと思っていて、そうするべきだと思っていた。結局こんな関係になって自分は一体どうしたいのだと考えながら、俺とこの人は一生友人の関係は結べないと理解した。いつも殴り合っているようだし、詰り合っているようでもあった。噛み付いているようでもあったし、引き摺り回されているようでもあった。こんな性行為は愛情から生まれるものなんかじゃない。だからこの先、俺に好きだなんて言うなと、三井さんの体を抱きながら思う。
二度目が終わった後で、彼はそろそろとベッドに移動した。それを目だけで追いながら、煙草に火を点けた。リビングからそう遠くないベッドに、何も言わずに横になる。三井さんは壁際で、背中を向けていた。それを確認してから、片付けられていない室内を見渡した。鍋はそのまま、煮えて野菜はぐちゃぐちゃにふやけている。片付けなきゃ、と思うものの、未だに覚めない。煙草を咥えたまま自分の掌を見ると、この手があの人の身体中に触れたんだという事実が酷く曖昧に残っている気がした。感触なんてすぐに消えた。煙草の煙も白く揺れて消える。どうせ今日で終わり。灰皿に煙草を押し付け、俺もベッドに足を向ける。ベッドに横になり、背中を向けているあの人の無防備な姿を見ていると叩き起こしたくなる。
「おい、起きろ」
「やだ。疲れたし明日起きれねえよ」
「だめ。もう一回」
その言葉に彼は振り返った。ぎょっとしたように俺を見上げ、口を開ける。
「え、まじで?」
それには答えなくて、代わりにキスをした。まだするの?俯瞰する自分が聞いた。だってまだ足りないから、誰に言い訳するでもなく、心の中で呟いた。それからまた何度かして、終いに三井さんは落ちるように眠った。せめて腫れた両頬を冷やそうと、タオルを濡らして三井さんの頬に当てる。水の冷たさが皮膚に通うだろうに、ぴくりとも動かない。疲れている以前に酷い有様だ。何もないしどうしようもない、いやそうじゃなくて、どう言いようも無い。もっとこう、相手を思いやったり、好きで仕方ないから抱いたり、そういう感情が生まれるから、訳も分からず抱くんじゃないの?と。言いようも無いのは、何度考えてもそれは全く違うからだ。目の前のこの人を喰らい尽くさなきゃ俺が死んでしまう、そんな感覚だった。それを分かっているのかいつもこの人は、俺を欲するような視線を向ける。どうにでもしろ、と挑戦する。
愛情か執着か、どっちなんだろう。ぎゅっと抱き締められると、そこから愛情が生まれるような気はした。でも形がないから、生まれたのかそうでないかも分からない。少なくとも相手は痛い目に合っていて、これでも惚れていると立ち向かって強く視線を向けるなんてどうかしている。俺だってそうだ、何も残らない生産性ゼロの行為に夢中になるなんて馬鹿げている。なあ、頼むから明日でも明後日でもその先でもいい。好きだなんて言ってくれるな。答えようがない。切りようがない。身勝手だし我儘で悪いけど、ごめんってあんたには言いたくない。





「あ、水戸」
「どうも」
あれから週明けの火曜日。四限目の半ば辺りで、屋上のドアが開いた。こちらに誰かが近寄る気配を感じ、目を閉じながらその足音に聞き耳を立てる。厄介な気配なら相手に悟られないように裏を回って立ち去ろうと考えていた。けれどその気配は、俺自身もよく知っていた。決して面倒な相手ではない。時々会話もする上級生の一人だった。今やバスケ部主将。
「花道どーよ、退院いつ頃?」
「無駄に元気は元気なんっすけどね、いかんせん背中なんで」
あと一ヶ月弱かな、小さく言うと、宮城さんも小さく言った。そっか、と呟くように。期待されてて良かったじゃん、今はここに居ない花道に向けて、俺は思う。
「あ、そういえばお前、三井さんと喧嘩してんの?」
「え?してたっけ?いや、してないと思うんすけど」
「先週だったかな、お前すっげえ顔して屋上から降りて来たからさあ、焦ったんだよ。声掛けたけど気付いてねえし、上がったら三井さん居るし。ぜってえまたあの人が何かやらかしたんだと思ったよ」
ははは、と彼は笑っていた。先週辺り、と聞いて思い出した。確かここで、あの人と二人きりになって、俺から仕掛けたんだった。まずいことをした、と自分でも珍しく焦って抵抗しないあの人に痺れを切らして俺から誘った。賭けた。どうするのか。どうしたいのか。結果賭けに勝ったのか負けたのか、その勝敗は分かっている。認めたくないだけだ。
「なあ水戸」
「何すか」
「アヤちゃんってどうやったら落とせるかな」
「はは!知らねえっすよ」
「いや、お前なら分かる!だから教えて!」
「あの人手強そうだし、もう全然分かんねえって」
「いや頼む!お前ならイケる!分かる!」
「はは!何なんすか、もう」
必死に懇願する宮城さんが可笑しくて笑っていると、急に頭上が陰った。振り返って見上げるとそこには、すらりとした体躯のあの人が、制服のポケットに手を突っ込んで仏頂面で立っている。
「やけに楽しそうじゃねえか、オレも混ぜろよ」
「嫌ですよ、あんたろくなアドバイスしねえじゃん。つーか女の子の口説き方なんて知らねえだろ」
「宮城てめえ!」
三井さんはコンクリートに座り、宮城さんに詰め寄った。何やらうるさくやり取りしていて、それを傍から眺めているのは酷く面白い。いいコンビだなあ、と思わず笑う。それから彼らは購買で買ったと思われるパンを齧りながら、バスケの話をした。ルールを未だに分かっていない俺でも聞いているのは楽しかった。また花道にしてやろうと思う。
その内、じゃあお先、と宮城さんは立ち上がった。昼練行く、と言っていた。三井さんに彼は、あんたは?と聞いたけれど、その内行く、と何やら誤魔化していた。懐かれてる、そう思った。宮城さんが屋上のドアを開けたのを確認してから、何となく三井さんの頭を撫でたくなった。躊躇なく手を伸ばして、その髪に触れた。そこは柔らかくて温かくて、知っているくせに確認したくなった。手を離して煙草に火を点け、空を仰ぎながら息を吐いた。白い煙が青空と混じる。あの凄惨な夜が、何故だか今日の青空が入り混じった。この人は結局、言わないで欲しかった言葉を言った。俺を好きだと言った。賭けには負けた。絆された。俺がこの人に抱く感情が好きかどうかなんてずっと分からないかもしれないのに。
右手が疼いて覚束なくて、制服のポケットに手を入れた。指先に何かが当たる。取り出すとそれは、袋に入った飴玉だった。
「いる?」
「何それ」
「飴。俺食わねえから」
「食わねえくせに入れてんの?」
「確かバイト先の子に貰った。煙草吸うだろ?だからかな」
三井さんは手を伸ばした。持っていた飴玉を取る時に、微かに指先が触れる。この人は俺とあんなことして平気なのかな、何となくそう思った。三井さんは取った飴玉の小さな袋を眺めてから、それを破いて口の中に放り込んだ。
「からっ。これ薄荷じゃん」
「苦手?」
「あんま好きじゃない。辛いのか甘いのか分かんねえもん」
「ああ、あんたそうだよな。どっちか一つっつーか白か黒しかねえっつーか」
「そうそう、グレーはねえの」
だから早く決めろ、そう言われている気がして、息を吐く。懐いているこの人に、無性にキスがしたくなった。だからすぐに、頭を引き寄せて口付ける。舌を差し込むと、飴玉が絡んだ。取り出す気は無かったからすぐに抜いて、キスをやめる。舌に薄荷の妙な味が残った。だから飴玉は嫌いだ。甘かろうが辛かろうが、そこに存在が残るから。
「早く行けば?」
「どこに」
「昼練」
「今日は休む」
「まあ好きにしなよ。あんたのことだし」
三井さんは舌打ちをした。俺の舌には、未だに薄荷の痺れが残っている。





終わり



[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ