短編

□愛よ歪め
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永瀬モーターは三ヶ月に一度、将棋大会が開催される。一日掛けて行われるそれは、もはや仕事ではなくレクリエーションだ。その為に、その日に合わせて仕事を間に合わせるように一人一人が調整する。その上、欠席は許されない。けれどもその行事を皆、楽しみにしていた。誰一人として、また将棋大会だよ、だとか、仕事あるのに、という不平不満を漏らす人間は居ない。むしろその大会が行われる一週間前になると、将棋大会の話で盛り上がる。年長の佐藤などは「自主練してんだよ」と、酷く楽しそうだった。その後は表彰式という名の飲み会があり、景品を贈呈されるのが流れだった。きっかけは、将棋が得意な社員、神田の入社だった。神田は無口だった。他人とコミュニケーションを取るのが苦手だった。だからそれを社長が見兼ねて、彼の得意分野で何かが出来ればと考えたのだ。水戸はそれを一度、社長から相談されていた。
結果は大成功だった。佐藤や安井も元々将棋が好きだったし、水戸自身もああいった頭を使うゲームは好きだった。藤田にはルール説明からのスタートだったけれど、回数を重ねるうちに、更には昼休みに神田直々の特訓も経てか、形になるようになってきた。大会は回数を重ねる毎に盛り上がった。特に決勝戦は皆が息を飲む。毎回水戸と神田の対戦になる。神田は強かった。並大抵の強さではなかった。水戸は毎回勝てないけれど、面白いといつも思う。そして神田を、賢いんだろうな、と思うのだった。将棋大会は幕を閉じた。その後は、よっしゃ表彰式するぞ!と張り切る社長に着いて、職場でよく行く居酒屋に直行する。こういう日は車は会社に置いておいて、電車で帰宅する。今日は三井もチームのメンバーで飲み会があると言っていた。週の中日辺りに時々こうして、羽目を外さない程度に楽しむことがある。水戸自身も翌日が仕事の日にはアルコール摂取量は考えていた。水戸の仕事は、飲み会で年長者達の飲む量を抑えさせることだ。寒くなり始めた水曜日の夜だった。
居酒屋に着くと、まずはビールで乾杯した。個室を取ってあり、社長が多少羽目を外してもあまり問題はないようにしてある。そういうことは、彼自身がよく分かっていて自ら予約していた。乾杯した後に、続きまして表彰式です、と彼は一つ咳払いをした。
「優勝!ぽちくん!おめでとうございます」
「ありがとうございます」
わー!社長は自らそう言って、拍手した。それに続いて皆が拍手する。一位の神田には、少し小ぶりではあるけれど縦長の箱が梱包されていた。全員が分かる。酒だな、と。しかもちょっと高級な美味い物を社長自らが仕入れたんだな、と全員が分かった。
「続きまして第二位、洋平くん!おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
また同じように皆が拍手した。商品を受け取ると、酷く軽かった。そしてこのサイズ。開けなくても中身は分かった。
「社長、俺これはちょっと……」
「バカ!お前にオレが選んだ逸品だぞ!」
ほら持ってけ!社長は水戸に言って背中を押した。それからもう一度近付き、オレの今イチオシ女優、と小さく言う。彼は人懐っこくも誇らしげに笑い、今度は強めに背中を押した。水戸はげんなりした。帰ったらこれどうしよう、と思いながら、仕方なく席に戻った。続いて社長は、皆さんには参加賞でーすお疲れ様でしたー、と笑顔で小さく梱包した何かを配っている。多分会社と引っ掛けてミニカーだと思われる。しかもちょっとレアなタイプの物。俺あれがいい、水戸はそう思った。
「おい藤田」
「はい」
水戸は隣に居る藤田に話し掛けた。藤田は既に包み紙を開けていて、小さな箱に入ったミニカーを眺めている。そして、かっけー!と一言言った。
「これと代えてくんねえ?」
「え、何で?水戸さん二位でしょ?そっちのが絶対いいやつですよ、何せミニカーよりサイズでかいし」
お前の良し悪しの基準それかよ、水戸は心の中で突っ込んだ。中身を教えて交換しようとした所で、社長が間に入ってくる。
「今回は交換は無しだ!オレは知ってんだよ、お前らがこっそり代えてるの。オレがちゃーんと考えて選んだんだから楽しめ!ぽちはそれを飲んで酒の美味さを学びなさい。洋平はつべこべ言わずに帰ってから開けなさい。以上!」
もはやまとめに入った形で、飲み会はスタートした。水戸は、もうどうでもいいと思った。開けないまま大楠にでもやろうと、そう思ったのだった。一次会で水戸は帰った。付き合えと言われたけれど、勘弁してください、と言った。それでもしつこく誘われたので、帰ってこれ見ます、と言うと異常なほど喜ばれた。嘘も方便、水戸は踵を返し、家路へと向かった。帰宅すると、三井は居なかった。はあ、と一度息を吐いて、ベランダへ向かった。良かった、と思ったからだ。梱包されたあれを見たら、何それ、と言うに違いないからだ。とりあえず景品をローテーブルに置き、煙草とライターを手に持った。
ベランダに出ると、冷えた夜の風が頬を撫でる。段々と空気が硬質になって来たように思った。匂いを嗅ぐと無機質で、煙草の煙の匂いしかしない。変な匂い、と思う反面、これを止めようとも思わなかった。今日は酷く疲れた。そう思った。それは、将棋大会が楽しかったからだ。普段使わない部分を全力で酷使した疲労感があった。神田との決勝も、自分ではまるで考えも付かない手で攻められ、それが酷く高揚した。水戸は手を尽くした。それでも負けた。けれど、喧嘩などではなくこういう勝負が暴力より幾らもいいと水戸は思った。暴力は苦手だ。昔から苦手だった。喧嘩も暴力も苦手なのに、学生時代は何かとそれが付き纏っていた。その上、喧嘩は嫌いだ暴力は苦手だと言えども、大概信じてもらえない。三井にも何度も言ったけれど、一蹴されたように思う。将棋のように紳士でシンプルな勝負なら負けたとしても納得するだろうに。
とにかく水戸は、頭が酷く疲弊していた。シャワーして寝よ。そう思った。けれどもその前にあの景品は見付からない場所に隠すか、そう考えた矢先だった。リビングのドアの開く音がした。早くねえ?そう思った。確かまだ十時くらい、携帯を取り出して時間を確認した。やはりそのくらいの時間で、水戸は項垂れる。そしてベランダの柵に凭れ、項垂れたまま息を吐いた。夜の闇に白い煙が酷く映えている。それを眺めながら、もうどうでもいいや、また水戸はそう思った。きっとあの中身を知れば彼は、どうせ詰る。こんなもん貰ってきやがって!浮気だろ!誰かに渡せ!等々、言われそうな言葉が脳内を駆け巡る。それもまた、どうでもいいと思ったのだった。
ベランダの窓を開けてリビングに戻ると、案の定彼は、梱包されたそれを眺めている。中身はまだ知らないだろう。何これ、と顔に書いてある。

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