短編

□ロマンチックで無謀な恋を
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エレベーターに乗り、大楠は二階のボタンを押した。それの閉まる音と共に動き出す。ふわりと浮き出す瞬間に、未だに違和感を感じることがあった。
狭いこの場所に、三人の人間が居た。この三人が揃うのは久々だった。もう一人の体の大きな赤髪の男は、今日は京都に行っている。大楠、野間、高宮の三人がこの場所に集まるのは、約二ヶ月振りではないだろうか。もっとも、個人個人では訪れているのだろうけれど。社会人にもなれば、やはり揃うのは難しくなることも増える。その上、このマンションの主には同居人が居るのだ。大楠がいくら「同棲だろ」と言っても「同居だよ」としか返って来ないのだけれど、そういう相手が居る。だから以前のように、簡単に押し掛けることは出来なかった。彼はきっと、行ってもいいかと聞けば簡単に了承するのだろうけれど。
発端は、大楠が「鍋しねえ?」と水戸に連絡したことだった。彼はすぐに「いいよ」と言った。そして「うちでいいよ」と言ったのだった。同居人の三井は、遠征で居ないらしい。彼の方は今日、広島に居るとのことだった。赤髪の男桜木とも、この時期からは予定が全く合わなくなる。だから四人で集まることが増えるのだった。
二階の角部屋まではすぐだった。自分が仲介したとはいえ、綺麗なマンションだといつ来ても思う。この場所に水戸が住んでいるなど、以前なら想像もつかなかった。とはいえ、引越し当日は彼も珍しく文句を言っていたのだけれど。インターホンを押すと、すぐに返答があり、ドアが開いた。よう、と言う水戸は別段変わりなく、お邪魔ー、と各々が声を出し、靴を脱いで玄関を上がった。
リビングに入ると、出汁の煮えた良い香りが漂っている。ダイニングテーブルではなく、ローテーブルの方に鍋の準備がされていた。
「美味そー!」
「洋平ビール」
「あ、これ土産」
簡単に押し掛けることが出来ないと思いながらも、来たら来たで遠慮などなかった。各自が好きな場所に座り、家主にビールを催促し、煮えた出汁の中に準備されていた具材を勝手にぶち込んだ。家主はというと、土産の日本酒と焼酎をキッチンに持って行き、冷蔵庫を開けている。ビールを取り出すのだろうと大楠は思った。するとそこで、水戸が振り返る。
「お前ら先に肉入れたろうな?」
「あ、やべ、おい雄二そこの肉入れろ早く!」
「何でオレだよ、てめえでやれや」
「洋平、雑炊も食いてえ」
「あほ!シメの話を今すんな!」
大して面白くもないのに、笑い声が室内に響く。水戸がテーブルに戻り、ビールを各自に手渡してから、自分で鍋の中に肉を入れた。結局こういうことになるのだから、野間が勝手に鍋の中に具材を入れるのではなく、水戸が来るまで待てばいいと大楠はいつも思う。
「忠は人の話聞かねえからな」
「はあ?嘘つけ。聞き上手で有名だぞ俺は」
「どこで有名だよ!聞いたことねえよ!」
「しかしまあ、集まるのも久々だよな」
「話逸らしてんじゃねえよ」
「あーあーうるせえなぁ」
「ほんとやかましいな、お前らは」
はは、と笑うと、水戸はビールに口を付けている。高宮は煮えた肉を取り皿に取って食べていて、水戸はそこに野菜も加えた。野菜も食え、そう言ってそこに入れた。高宮は、水戸が言うと食べるのだ。ガキか!大楠はそれにいつも突っ込む。だから大楠は、毎回食べ出すのが遅くなる。野間が言うには、お前は喋り過ぎ、なんだそうだ。けれども、水戸は笑って流すだけで世話を焼いて、連中は好き勝手に喋るから纏まらないのだ。もっとも、纏めなければならない話もしていないのだけれど。それでもずっと付き合っている彼女からは、雄ちゃんのそういう所が好き、と言われる。ざまあみろ!と思う。彼女とは付き合ってもう、四年近くになる。
そういえば、と時々思い出すのだ。彼女に昔、友人に誰か紹介出来る男は居ないかと頼まれ、水戸を連れて行ったことがあった。彼女が連れて来たのは元カレに酷い振られ方をしたという女性で、その後しばらく水戸と付き合った。あの愛想の悪かった以前の彼女はどうしているだろう、と。当時、彼女に聞いた所によると、また酷い振られ方したらしいよ、だそうだ。でもとても好きだった、と。忘れられない、と。それ以上は聞かなかったし、大楠も水戸には何も聞かなかった。何となく、聞くことを憚られた。多少の恐怖もあったけれど、聞かなくとも分かる気がした。その結果が今現在の状況なのだと、それが全てのような気がした。今その子がどうしているかは、大楠は知らない。聞く気もない。
「洋平ー、ミッチーとの生活はどうよ」
あ!と大楠は思った。またお前はそういうデリカシーない質問を勢いで!と思ったのだった。野間はもう、面白ければ何でもいいと思っている節がある。だからこういう、人がなかなか聞けないことを平気で言うのだ。
「どうって普通だよ」
普通って何!オレあっちの寝室見れねえよ!おい忠お前もにやにやしてんじゃねえよ!と大楠は心の中で頭を抱えながらビールを飲んだ。思い切り呷った。
「洋平!ビール!いや、焼酎ロック!いや日本酒で!ブタが持って来た日本酒瓶で寄越せ!」
「結局どれ」
「ブタじゃねえよ、子ブタと言え」
「ブタ宮が持って来た日本酒!」
「ぎゃはは!上手いな、お前!」
すると水戸はまた、はは、と笑って立ち上がり、日本酒を瓶のまま持って来た後、グラスを四つ用意した。結局全員、ビールから日本酒にシフトする。こうなるともう、訳が分からないことを喋る人間が続出する。遮った意味ねえし!大楠はそう思った。
「で、で、ミッチーとの生活!どうよ」
「あー、家事全般下手なくせに無駄に威張ってる」
「ミッチーは幾つになってもミッチーだな!」
全員が三井の変わらない様子に笑っていた所で、誰かの携帯が鳴った。それは水戸の物だった。フローリングに置かれていたそれを手に取り、耳に当てた。それから彼は、煙草を手に取る。
「はい。……ああ、鍋してる。ん?うん、まあ。どうだった?試合」
水戸は煙草の箱を軽く振り、一本口に咥え、立ち上がった。それを大楠は、大楠だけではなく、野間も高宮も見ていた。全員沈黙し、水戸がベランダに行く姿を追った。後ろ姿がリビングの窓の外に消えた所で、全員が顔を合わせる。
「あの顔を女に見せてはいけない」
「だな、あれに女は惚れるんだ」
「残念ながら今の相手は女じゃねーけどな!」
「ぎゃはははは!!」
一頻り笑った所で、彼等はまた顔を合わせた。
「大体さぁ、何で洋平はミッチーな訳?あのキスマーク日常茶飯事男が」
「知らねえよ、お前聞けよ。デリカシーゼロなんだからよ」
「デリカシーあり過ぎるだろ!デリカシーの塊のような男だよ俺は」
「だから聞いたことねえよそんな話!」
「雄二、肉入れてくれ。洋平が居ねえから」
「ブタは勝手に豚食っとけよ!」
そこでまた、さほど面白くもないのに全員が笑った。酒が入るといつもこうだ。
「実はオレさぁ」
「何だよ、また爆弾発言かよ」
大楠は思い出したのだ。まだここに二人が越して来る前の話だった。水戸がまだ古い安アパートに住んで居た頃、彼と飲もうと電話を掛けたのだけれど、それに水戸は出なかった。それは別に構わなかった。どうせまた着信があるだろうと、そう思っていた。すると着信はあった。悪い出れなくて、彼はそう言った。問題はその後だった。その場に三井が居たのだ。彼が水戸を驚かしたのかもしれない、水戸が割と大きな声を上げたのだ。そして確か、誰だよ、と三井の声が電話口から聞こえた。ぼんやりとだけれど、確かそうだったと思う。慌てて大楠は三井も一緒に飲みに誘い、すぐに電話を切った。えらい時に電話してしまった!大楠はそう思ったのだった。
「……という訳なんだよ」
「お前もデリカシーゼロじゃねえか!」
「知る訳ねえだろ!ミッチー居るなんて!つーか洋平も律儀に掛け直してくんなよって話!」
「……何やってたんだろ」
少しの間、三人は黙った。鍋の煮える音が室内に響いていた。
「そりゃお前、やってたんじゃね?」
「ブタ!このブタ!身も蓋もねえこと言ってんじゃねえよブタ宮!黙って豚食ってろ!」
「俺すっげえ気になってたんだけど、言っていい?」
「うわー、あんま聞きたくねえー!」
「どっちが上かな」
「出たよ!デリカシーゼロ!想像したくねえよ!」
「でも実際問題どっちだと思うよ、俺洋平が上で」
「だから想像したくねえっつってんの!オレ結構ミッチーと会ってメシ食ったりしてんの!」
「じゃあミッチーが上か?」
「それも想像したくねえー!」
「もう雄二聞けよ。百円やるから」
「だからお前は豚食ってろ!」
「でもお前も見たろ、あの顔。俺初めて見た、あんな洋平」
そうだった。大楠は、ついさっき携帯を手に取った水戸を思い出した。
「好き、なんだろうなぁ」
そう言って、日本酒に口を付けた。それは酷く辛口で、洋平が好きそう、と思う。
「だからお前聞けよ、千円に格上げしてやるから」
「はあ?!やだよ」
「じゃあー、やっぱ百円」
「二択かよ、ふざっけんな!」
百円か千円かで騒いでいる最中、リビングの窓が開いた。水戸がベランダから戻って来たのだった。
「何騒いでんだよ、百円だの千円だの」
「いやー、あの、あれだ!洋平、麺入れろ!」
「雑炊って言ったろ」
「後から米入れてもらえよ」
「はいはい、じゃあ先に麺な」
ベランダから戻った水戸は、もう普段通りの顔をしていた。彼は、ローテーブルに置いてある日本酒に一度だけ口を付け、それからキッチンへ向かう。冷蔵庫を開け、きっと麺を取り出すのだろう。すぐにこちらに戻り、袋を開け、煮えた鍋の中に麺を入れた。まだ具材は残っていて、それはまた四人で平らげていくのだと思う。
無謀だ、大楠はそう思った。鍋を平らげる話じゃない。これを貫くなど無謀だと、大楠はどこかで思っていた。水戸が思うあの人とこの先も過ごすなど無謀だと。学生時代は良かった。どこか危なっかしく人を警戒して生きている水戸の表情が柔くなったことを、大楠は素直に喜んだ。でも今は違う。あれからもう十年近くなる。その分歳を取る。嫌でも大人になる。見える物も増え、逆に見なくても良い物も増える。だから尚更、無謀だと思う。どうすんのこの先、と。彼女の友達のあの子で良かったじゃん酷い振り方したって本人からは聞いてねえけどそれってどうせミッチー絡みじゃねえの?と。聞かないけれど、そんな所だと思っていた。だから躊躇った。怖かったからだ。まだ好きなの?と思うと怖かった。だけれど、そんなことは当の本人が一番よく知っていて嫌という程分かっているだろう。聡い水戸のことだから、先の先なんて既に見据えている。でもそれでも水戸は、あの表情を見せたのだ。
電話の向こう側に居るあの人に、酷く焦がれていた。会いたくて堪らなくて、愛しいと思っていたのだろう。それ以外はなくて、それしかないのだと思った。
鍋の中には麺と具が煮えている。それに手を伸ばし、各自啜って食べた。時々日本酒を飲み、またくだらない話をする。
無謀だと思う。その反面、十年思い続けるその感情を、ロマンチックだとも思う。ほらオレ、ロマンチストだから。大楠は一人笑った。ちょうどくだらない話をしていた最中だから違和感を感じる人間は居なかった。
しょうがねえからオレらは味方でいてやるよ、きっと誰も理解出来ないだろうから。
このロマンチックで無謀な恋を。





終わり

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