短編

□2
2ページ/2ページ


放課後になり、三井の部活が終わるまでの間、一度帰宅して着替えた後時間潰しをした。すると運が良かったのか、今日奢る予定の晩飯代を余裕で超えるほど勝った。生活費が浮いた、水戸はそう思った。時間を見計らって外に出て、また湘北高校へ向かう。夜だからか日中より気温も低い。徒歩ということもあってか、それは酷く間近に感じた。風が冷たい、端的にそう思った。時々水戸は、夏の生温い風を思い出す。なぜかはよく分からない。
高校に着くと、校門の陰に隠れて煙草に火を点けた。そろそろかもしれない、と携帯を開いてはみたものの着信はない。掛けても良かったのだけれど、まだ練習中だろうと結局携帯を閉じた。煙草を一本吸い終わった頃、どこからか機械音の鳴る音がする。ああ携帯、水戸はその音に未だに慣れないでいた。さっきポケットに戻したばかりのそれを再び手に取る。開くと、三井寿、と出ていた。
「はい」
『オレ。終わった』
「校門に居るよ」
『分かった』
通話はすぐに終わり、水戸はまた携帯をポケットに戻した。それから、もう一本煙草に火を点ける。ぼんやりしながら煙草を吸い込んで吐き出し、どこに食いに行くかなぁ、と片隅に考えていた。すると後方から、コンクリートを擦る音がする。この怠惰な足音は三井だ、水戸はそう思った。
校門に隠れていたのでそこから顔を出すと、やはり彼だった。煙草を持っていない右手を上げると、彼は気付いたようだった。怠惰な歩き方が小走りに変わる姿が、妙に笑えた。
「お疲れ」
「おう」
校門に凭れていると、真横に三井が並んだ。辺りは真っ暗だけれど、彼の姿はよく分かる。ああ街灯、水戸はそんな当たり前で的外れなことを考えていた。
「何奢ってくれんだよ」
「逆に何食いてえの?」
「そうだなぁ」
その言葉を合図に歩き出した。三井は水戸の隣で、歩幅を合わせながらぶつぶつと何かを呟いている。ファミレス、ラーメン、ファミレス、ラーメン、それの繰り返しで、二者択一かよ、と水戸は吹き出した。
「何笑ってんだよ」
「いや、ファミレスかラーメンなんだなって思って」
「じゃあイタリアンのフルコース」
「勘弁してよ」
はは、とまた笑うと隣で三井も笑った。そこでまた水戸は思った。夏はもう終わったんだよな、と。三井と一緒に過ごすようになって、もう一ヶ月近く経った。まさかこんなにも脆い関係が一ヶ月も続くとは思わず、水戸は不意に面食らう時がある。せいぜい一週間やそこらで、相手が根を上げると考えていたからだ。そして、それを切り出すのは三井だと、勝手に思っていた。けれども当の本人は、根を上げるどころか日増しに水戸に絡んで来た。こちらが曖昧な態度を示そうとも、冷たく突き放そうとも。その上、あの三人とも日に日に仲良くなっている。世も末だ、水戸はそう思った。
隣では未だに三井が、ファミレスかラーメンかの二者択一で悩んでいて、ファミレスはあのメニューがオススメだのラーメンなら一度二人で行ったあそこがやっぱり良いだの、一人で返答も待たずに喋っている。この人は多分相手がどう思うかよりも自分がどうしたいか、それを優先している。水戸は三井と喋る度に思う。自分には自分優先という選択肢がないから、純粋に感心する。しかもその内容が晩飯をどこで食べるか、そんな単純なことなのだ。それにさえ彼は真剣だった。水戸からしたら特にどこで食べようが構わなかった。見上げると三井は、酷く楽しそうだった。今の話題は、ドリンクバーでどこまで粘れるか、それだ。すげえどうでもいい、と思うのに彼が楽しそうだと自分の口角が上がっているのが分かる。小さく笑うと、三井が水戸を見下ろした。そこで一瞬、足が止まる。
「結局お前、どっちにすんだよ」
「ドリンクバーで粘るんならファミレスだろ?」
「どうせ早く帰りたいって言うくせに」
「はは、正解。大体ファミレスに長居したってろくなこと……」
ねえんだよ、そう言おうと思った。その時だった。タチの悪そうな連中が前から歩いてくる。あー覚えてねえけどめんどくせえパターンだ、水戸は一つ舌打ちをした。
「水戸じゃねえか」
「ほら、ろくなことねえだろ」
「ああ?」
「いや別に」
ちらりと三井を見遣ると、血の気の多い彼は既に相手を睨み付けている。厄介だなぁ、水戸はそう思った。喧嘩しないんだろ?とも。
「通してくださいよ」
「嫌だね。てめえに仲間が何人もやられてんだ」
誰だったかなぁ、と思い出そうとするけれど、最初から思い出す気がないのだと気付いた。要は酷く面倒だった。ファミレスかラーメンか、もうラーメンで良いだろ。水戸はそう思った。考えている間に、相手は段々と間合いを詰めてきていて距離が狭まる。三井を見ると、後退ることもなく好戦的だ。こいつもめんどくせえなぁ。水戸は一度、肘で軽く三井の脇の辺りを突いた。すると彼は水戸を見下ろす。
「何」
「体力残ってる?」
「当たり前」
嘘吐けすぐへばるくせに。水戸は三井の気の強さに俯いてふっと息を吐く。また笑ってるよ俺。それが一番面白かった。水戸はもしかしたら、彼と一緒に居る瞬間が面白いのかもしれない。
「根性見せろよ」
「は?」
水戸は三井の手首を掴んだ。そして思い切り引っ張る。
「走れ!」
水戸は三井を引っ張ったまま、元来た道を戻る。最初から全力疾走で、後ろからはガラガラした怒鳴り声と幾つもの足音が重なっている。裏道を通ろうと角を曲がり、三井が着いて来ていることを時々確認した。足音はまだあった。上手く巻けるか、それだけを考えながら走った。狭い路地を曲がり、また曲がり、段々と足音が消える。この辺りは中学生に上がったばかりの頃によく、連中と歩いたものだった。探検しようという桜木に着いて、よく分からない狭い路地をひたすら歩いた。だからさして詳しい訳でもない。かといって知らないこともなかった。道を覚えるのは得意な方だからだ。あの頃から周囲には一軒家が転々と並んでいて、それは今も変わらなかった。当時から騒ぐ場所でもないからすぐに歌い出す桜木を始め連中を止め、五人でただ歩いた。くだらない話をして、時々道に落ちている棒切れを拾いながら。この道はここに続く、あそこに続く、それを見付けた時、酷く楽しかったのを覚えている。
俺はあれがあればそれで良かった。それなのに。
後ろから足音が消えて来た頃、水戸は小さな廃工場の中に入る。後ろを確認しながらまた走り、裏手に隠れた。くねくねと小さな路地を曲がりながら走っただけで、実はそんなには離れてはいない。声も足音も聞こえなくて、水戸は安堵する。単純な迷路なんだけどな、水戸は一人笑った。廃工場のコンクリートに凭れながら、息を整える。少しだけ落ち着いた所で、水戸は煙草に火を点けた。三井は息を荒げ、その場で座り込んでいる。
「お前、巻くつもりなら、言えよ!」
やるのかと思ったろ、語句を強めて言ったつもりだろうけれど、声に疲れが出ていて全く迫力がない。
「あんたが居るのにやらねえよ」
「何で」
「巻き込んだらどうすんの、バスケ部三年」
そう言うと三井は今度、ばつの悪そうな顔をして目を逸らした。水戸も彼の隣に座り、煙草を吸い込む。
「大体、何であんなに好戦的なんだろね、あんた含め」
「あ?」
三井から逸らして煙を吐き、もう一度吸い込んだ。
「お前に言われたくねーんだけど」
「何で。喧嘩苦手だよ、俺」
「嘘吐け!」
「嘘、ねえ……」
嘘はなかった。特に喧嘩は好きでもない。やり合うのが面倒だしその行為自体に意味がないというのが水戸の持論で、頭を下げろと言われれば幾らでも下げて来た。それでも相手が好戦的だから反射的に手が出ただけで、誰が好き好んで喧嘩をするのか疑問なくらいだ。
「めんどくせえだろ、こうやって逃げなきゃなんねえこともあるし。次会ったらどうすんのかね、あいつら」
「そりゃお前、水戸ー!だろ」
「はは、言い訳考えとくよ」
呼吸も落ち着いて来たのか、三井は普通に喋っていた。それでも一度、はあ、と息を吐いている。
「でもあんたは気を付けなよ?」
「何がだよ」
「あんたまでやる気でどうすんの、ダメだろ」
「あーはいはい、気を付けます」
「そうしてください」
「……つーかさぁ」
彼が妙に口籠っていたので、水戸は三井を見た。すると彼は軽く目を伏せていて、こちらを見ていた訳ではなかった。
「やっぱお前変わってんな」
「どこが?」
「あんな奴ら余裕で勝てるのに逃げるし、今度会った所で言い訳するつもりもねーんだろ?」
「逃げるが勝ちでしょ、今回は」
「それ。そういう大人びた行動取るくせに今日屋上でお前、すっげえ子供みたいな顔して笑ってんの。知ってる?」
「あのね、俺まだガキだろ。幾つだと思ってんの、十五だよ」
「いや、まあそうなんだけど」
水戸が笑うと、三井が水戸を見る。その表情はまた、何か物言いたげだった。三井のこれは、酷く不安定だ。聞きたいことも聞けず揺れ動く、そう水戸には見えた。水戸は息を一つ吐いた。自分のことを喋るのは得意じゃない。どちらかと言えば苦手な分野だ。それは何故か。面白くないからだ。この人はきっと笑わない、水戸はそう思う。ファミレスかラーメンか、更にはドリンクバーで粘る、そんなくだらなくてどうでもいい話、それで笑えるなら十分だろ、と。
この人は笑っている方がずっといい。
「札をね」
「は?何の話だよ」
「神経衰弱、屋上の」
「ああ」
「自分の周りのそうだな、十枚くらい。それを捲っていく。位置と数字を頭の中に入れて、あとはあんたらみたいに闇雲に札を捲る奴らが勝手に捲って教えてくれんの。分かる?」
三井はぽかんと口を開けた。それから何度か瞬きをして、水戸の言った言葉を噛み砕いているようだった。
「え?何?」
「とりあえずあんたは、自分の周りの札を捲ってな。それで覚える。したら勝てるから」
「他はあいつらが捲るっつーこと?」
「そう。あんたが五十二枚の位置と数字覚えられんなら別だけど」
「お前やっぱずる賢いな」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
水戸が言うと、三井は歯を見せて笑った。ラーメン遅くなっちまった、そうは思ったけれど、今の空気も言葉も、悪くないから構わないかと水戸は考えた。
本当は、水戸には彼らが居れば良かった。桜木が居て大楠や野間や高宮、その連中が居ればそれで良かった。抜け道や曲がり角を散策しながらくだらない話に身を興じて、屋上ではトランプや花札をして、家では麻雀、それで十分だった。他に自分が欲しい物も望むものもなかった。それなのに。
「内緒にしてね」
「何を?」
「さっきの必勝法。花道にも教えてねえから」
そう言って、水戸はまた煙草に火を点ける。真っ暗闇が広がる空を仰ぎながら煙を吐き出すと、緩慢に白い線が揺れた。星が見える、そう思った。
「まあ、あいつに話しても周りの札覚えねえから意味ないけど」
「はは、違いねーな」
三井が少しだけ憂いた表情で笑ったように見え、水戸はそれを見ない振りをした。あーあ、と溜息を吐きたくなる。キスしてえな、と思ったのだ。くだらねえのは俺も一緒だ、水戸は三井から目を逸らし、空を見上げながらそう思ったのだった。
隣では三井が、ラーメン奢れよ!と割と大きな声を出している。意見一致、水戸はふっと息を吐いた。





3へ続く
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ