短編

□瞼を閉じてはならない
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水戸のアパートの近所だというラーメン屋で、早々に食事を平らげ、すぐにアパートに帰った。車から出ると未だに蒸し暑く、水戸の部屋もどれほど熱気がこもっているのか想像がつく。水戸の後ろを付いて歩き、鉄階段を上った。二つの足音が不揃いで聞こえていて、その音は無性に三井を煽った。当たり前にここに来ることも、水戸が居なくとも自分はここに来て良いのだということも、それは今三井だけの特権だ。友人の枠などではなく、性的な意味で今、水戸の相手をするのはオレだ、三井はそう思った。
部屋の鍵を開け、部屋に入ると想像通り蒸し暑かった。水戸が玄関脇にあるスイッチを押し、灯りを点ける。それからスニーカーを脱いで玄関を上がる。三井もそれに続いた。水戸はまず、手を洗った。それから冷蔵庫からビールを取り出し、三井にも同じように渡した。どうでもいい、三井はそう思った。欲しくない、と。三井が今すぐ欲しいのは水戸だった。静かな室内に、プルタブの開く音がする。水戸がビールを開けたのだと思った。それからエアコンのスイッチを入れると、機械の動き出す音がする。水戸の横顔を見ると、ビールの缶を傾けて飲んでいる。浮いた喉仏と反った首筋が、三井の目に入る。
「水戸」
「ん?」
「寝ろ。早く」
「は?何言ってんのあんた。眠くねえよ、まだ」
「いいから寝ろって」
多少語句を強め、三井は水戸からビールを取り上げた。そしてそれをテーブルの上に叩くように置いた。荒かったからか、飲み口から液体が少しだけ溢れ、それは小さく円を描いた。未だに立ったまま三井を見詰め、ぽかんとした表情でいる水戸に苛立ち、三井はその体を押した。ぼすん、とベッドのスプリングが音を立てる。水戸は三井を見上げていた。しばらくの間見詰め合っていると、水戸がにやりと笑う。バカにしてやがる、三井はそう思った。それがまた苛ついて、彼の肩を引っ掻くようにして倒した。そこに力を入れ、水戸の首に自分の顔を埋める。舐めるとそこは、汗の味と匂いがした。舌に残るしょっぱいものと鼻を掠める香りは、また三井の体を煽った。いつもはされる側だった。もう無理、三井はそう思った。何でもいい、めちゃくちゃにしたい、されたい、そればかりが先行した。
水戸は黙ったままでいた。三井にされるがまま横たわっていた。それが気に入らなくて、三井は水戸のベルトに手を掛ける。それを乱暴に外し、下着に手を突っ込んだ。何も反応のないそこに手を掛け、上下に動かした。三井は水戸に口付ける。舌を差し込む。水戸の口の中を犯すように掻き回した。車の中で平然と、煙草を吸っていたあの唇が、今は三井と舌を絡ませ合いながらキスをしている。それが三井には堪らなかった。五年間の間、三井はこの唇に焦がれた。これが欲しいと幾度となく願っていた。何度しても足りない、三井は渇望していた。水戸の唇に、掌に、体に、三井を見詰めるその目に。
唇を離すと、水戸の目が見えた。キスをしながらそこを動かしていたからか、水戸のものは勃ち上がっている。その目にようやく熱が見えた。
「あんた、どんだけがっついてんの?」
「黙れ」
三井は右手を動かすのをやめなかった。そして左手で、水戸のTシャツを捲った。露わになった肌を舐めた。また汗の味と匂いが、三井の頭の中に刻まれる。もう早く、三井がそう思うのに、水戸は未だに自分の手を動かそうとしなかった。こんのクソガキ、三井は水戸を酷く恨めしく思いながら、歯を食いしばる。
「水戸」
「ん?何?」
「なあ」
「何だよ」
三井は顔を上げ、また水戸を見る。そこには息を乱しながらも、にやりと笑う水戸が居た。すると急に彼は三井を引き寄せ、三井の耳元に口を付ける。それだけで三井の体はぞくりと跳ねた。欲しい、そう思った。
「欲しいなら言ってみな。俺のこと呼んで、欲しいって言えよ」
直接当たる唇と声に、三井は何かが弾けた。それからは箍が外れたように水戸を呼んだ。水戸、水戸、三井はそう言って、それから、欲しい、と言った。何度も言った。水戸はまた笑った。それは酷く満足そうだった。
それからは何がどうなって、どれが何になったのかも分からないくらい、ひたすら求め合った。互いに噛んで舐め、かと思えば水戸は三井の中を掻き回した。三井が喘ぐ場所ばかりを攻め、突いて、構わず中に出した。それを繰り返した。その間会話などなかった。ただ欲しいとだけ思い、三井はしょっ中水戸を呼んだ。水戸は返答はせずとも、代わりに三井の体に触れ、飽きることなく抱いた。
三井は水戸の体を抱き締め、時々前髪を見た。以前のようにリーゼントが乱れなくても、それは額に掛かっていた。その前髪を時々撫で、その柔らかさに安堵した。三井を見下ろす目を見て、変わらないその強さと獰猛さに劣情を催した。瞼を閉じてはならない、なぜか今、そう思った。
気が付くと、三井の目に水戸の背中が見えた。その周囲を、煙草の煙が緩く舞っている。相変わらずその背中には無駄がない。適度な筋肉にある程度の肉が付いていて、綺麗な肩甲骨があった。あまり日焼けはしていなくて肌は白い方だと思う。転々と小さなほくろが付いているのも場所も変わらない。ほくろの位置なんて変わんねえよ、三井は自分自身に苦笑した。
「……ああ、俺。悪い、出れなくて。うん、いいよ。土曜だろ?」
水戸は誰かと話しているようだった。携帯を耳に当て、時々煙草を吸い込む小さな音がする。そうすると、背中が動く。また三井は思うのだ。瞼を閉じてはならない、と。
「どこ?駅前で良いの?」
三井は、自分の目が覚めたのを水戸が知らないことが気に入らなかった。うとうとしている間に、水戸が誰かの方に意識を向けているのが、酷く不快だった。だからそろりと動き、手を伸ばして背中に触れた。
「……うっわ!」
ざまあみろ、三井はそう思い、思わず笑った。振り返った水戸は、ぎょっとした顔をしている。さながら子供のような、そんな表情だった。
「誰だよ」
三井は声を出した。それが思った以上に掠れていて、少しだけ驚いた。水戸は三井を見ていたけれど、そのまま電話の向こう側の人物と話している。
「……ああ、ミッチー。……は?あー、はいはい、聞いとく。じゃあまた」
水戸は携帯を切り、床に放るように置いた。それから一度、溜息を吐いて三井を見る。
「驚かすなよ」
「誰だって聞いてんの。よそ見してんじゃねーよ」
「大楠。土曜日飲まねえかって。あんたのことも誘ってたよ」
よそ見って何、水戸はその後、小さくぼやいた。三井はその呟きを無視して、土曜日の予定を思い出す。今の所何もなかった筈だ。ぼんやりしながら考えていると、水戸と目が合った。何?そう聞くけれど彼は、特に言葉を発することなく、テーブルに置いてあったビールに口を付ける。そしておもむろに、まっず、と舌を出した。そういえば、と思った。三井があそこに置いて、そのままになっていたのだ。温くてそれは、酷く不味いだろうと三井も思う。
「どうすんの、土曜」
「多分行ける」
「じゃあ場所とかまた連絡する」
「瞼を閉じてはならない」
三井は思わず口に出した。水戸はその言葉にぽかんと口を開ける。あほくさ、三井はそう思う。
「は?」
「何でもねーよ。寝る」
思ったのだ。水戸がまた消えるのではないかと。知らない髪型で知らない表情で、あの頃と変わらない少しの面影と変わらない癖を残し、また瞼を閉じた隙に消えるのでは、と。
その時、自分の髪の毛に皮膚の感触があった。水戸の乾いた掌だと、そう思った。髪を梳くのが心地良くて、疲れた体には毒だとさえ思う。これじゃあすぐに眠りに落ちてしまうじゃないか。
「大丈夫」
「何が?」
また自分の声が掠れていて、正直引いた。
「どこにも行かねえから」
「嘘吐いたら承知しねーかんな」
がらがらして色気も何もない自分の声を耳に聞きながら、水戸の言葉に安堵した。瞼を閉じてまた開けた時にはきっと、水戸の姿がそこにある。それを想像しながら、三井は眠りに落ちた。





終わり
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