短編

□運命をつくった少年
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午後からも同じように仕事をし、夕方頃から事務処理をする。その時間に整備士の人間で、水戸以外が事務所に居ることはまずない。永瀬も別室に居る。まずはメールチェックをして、必要なものには返信を打った。それから部品管理や納期の確認をした頃、遥は一人、お疲れ様でした、と立ち上がった。お疲れ様です、そう言ってから水戸は、顔を上げた。遥の目が、水戸を捉える。
「あ、社長が遥さんをどこに連れてったら喜ぶか聞いてましたよ」
「は?何それ。どうでもいいよそんなこと。ていうかわたし、妻帯者に興味ないの。伝えといて」
「自分でどうぞ。こっちは他人の色恋沙汰に興味ないんで」
口調が違う。水戸はふっと息を吐くように笑った。お疲れ様でした、の後だからだ、そう思った。
「相変わらず酷い男だね」
「よく言われます。お疲れ様でした」
遥は水戸を睨んでから、事務所を出た。お疲れさん、水戸は小さく言って、またパソコンに目を戻した。それからしばらくして、他の整備士連中が事務所に戻って来る。そして各々が水戸に挨拶をし、事務所から出て行くのだった。それは様々だった。洋平お疲れさん、洋平ぼちぼちで帰れよ、水戸さんお先っす、お疲れ様でしたお先に失礼します、口調も言葉も全てが違ったけれど、その全てに労わりがあった。水戸はそれに返し、自分の仕事に戻る。
水戸は仕事人間という訳ではなかった。立て込んで仕事が溜まると苛つくこともあった。早く帰りてえな、そう思うこともしょっちゅうあった。それでも尚、水戸はこの仕事もこの職場も、辞めたいと思ったことは一度もなかった。そこでまた気付く。宿題の答えなんてとっくに出ていたと。
その日は八時頃に仕事を終え、八時半頃に帰宅した。洗面所で手を洗い、リビングに入る。するとそこは、酷く冷えていて寒いほどだった。
「ただいま。冷え過ぎだろ、この部屋」
「おかえり。普通だろ、普通」
嘘吐け、水戸はそう思ったけれど口には出さず、冷蔵庫からビールを取り出して飲んだ。
「今日のメシ何?あんたが作っとくなんて珍しいこともあるんだな」
「聞いて驚け。トマトとモッツァレラチーズのパスタだ」
「もう何語か全然分かんねえよ。何でもいいから大盛りにしといて」
そう言うと三井は、作り甲斐のねー奴、とぼやいた。それを横目で見遣り、水戸は煙草を口に咥える。上下に動かしながらベランダに向かう途中で、あ、と思い出して咥えていた煙草を手に戻した。
「三井さん」
「何?」
「宿題の答え、出たよ」
「お!教えろ」
「整備士は面白いよ。好きだし、楽しい。でも俺は多分、あの場所が好きなんだと思う」
三井を見ると、彼は少しの間沈黙して、それから子供のような顔をして声を出して笑った。
「何だよ。変なこと言ってねえだろ」
「いや別に。お前、いい顔して仕事してんだろうな」
そんなん自分もだろ、水戸はそう思った。けれど、その言葉を言うのは何故か憚られた。
「でもちょっとムカつく」
「何が」
今度はムカつくときた。意味分かんねえ相変わらず。時々三井は、よく分からない言葉を喋る。トマトとモッツァレラチーズ然り、水戸が理解出来ない何かを喋るのだ。もっともそれを、水戸は理解する気もないのだけれど。
「内緒。ほら早くベランダ行け!トマトとモッツァレラチーズのパスタが冷めんだろーが」
「だから何語だよ」
水戸は三井に背を向けベランダに足を進めながら、この会話で自分が笑っていたことを後から知った。





終わり
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