短編

□平熱の嘘つき微熱に逃亡
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外は雨が降っていた。夏の中休みといった所だろうか。今日は梅雨に逆戻りしたような気候で、窓を開ければ湿気た風が抜ける。それが嫌で三井は、昼間からエアコンを点けて快適な室内を保っている。
ソファには水戸と座っていた。時間は午後四時。もう良いだろうと踏んだのか、彼は既に飲み始めている。かく言う三井も飲んでいた。ローテーブルには乾き物が適当に並んでいる。今日は二人揃った休日だった。リーグ戦に向けての団体練習やマスコミ対応で、最近の三井は日曜日も休みはなかった。もちろん水戸とも休みが合わなくて、今日は久々に揃った休日だ。だけれど特に何をするでもなく、各々好き勝手に過ごしている。水戸に至っては今日はずっと部屋着のTシャツとスウェットだ。彼は予定がない時はずっと部屋着を着ていることが主だった。
三井は今朝、掃除機の音で目を覚ました。うるせーなぁ、と思いながらも、この生活の音に安堵していた。だからまた眠った。すぐにその音は消えたから睡魔に身を委ねたのだろう、気が付いたら昼前になっていた。よく寝た、三井はそう思いながら起き上がった。リビングに行くと、良い匂いが室内を漂っていた。そうだもう昼メシ時、そんなことをぼんやり考えながら三井は、キッチンに立って作業をしている水戸に、おはよ、と声を掛けたのだった。彼は一度顔を上げ、三井に、おはよう、と返した後また俯き、メシ出来てるよ、と呟くように言った。幸せな休日ってこれだ、三井はそう思った。リビングには珍しく灯りが灯っていた。この部屋は陽当たりが良いから、天気さえ良ければ昼間は照明を点けないで済む。違和感を感じて外を見ると、雨が降っていて曇り空だった。洗濯物も室内に干してある。エアコンのよく当たる場所に掛かっていたから、一石二鳥。さすが水戸、素直にそう思った。
それから昼食を摂り、部屋で過ごしていた。水戸はパソコンを開いていて、少しだけ仕事をしていた。それは小一時間で終わり、ソファに頭を預けていた。
「どっか行く?」
「行かねえよ、めんどくせえ」
「じゃあどうすんの」
「ここに居ればいいだろ。何ですぐどっか連れ出そうとすんの」
「お前が出不精だからだよ!」
「はいはい、ごめんね」
というような会話を一応して、テレビを見たりコーヒーを飲んだりした。要は、酷く怠惰な時間を延々と過ごした。そして今、現在に至る。面白い番組してねーな、三井は心の中で独り言ちた。ソファに並んで座り、三井はテレビのリモコンをぽちぽちと構う。水戸はそれに対し、酷く呆れたように、変え過ぎだろ、と言った。そしてNHKにチャンネルを合わせた時、着物を着た中年男性が早口気味で喋っていて、時々笑い声が混じる。
「なあ、これ落語じゃね?」
「あ、ほんとだ。こんな時間にやってんだな、知らなかった」
「見るか?」
三井が言うと、急に水戸は沈黙した。何だ?もう見入ってんの?そう思っていると、急に彼はリモコンを手に取りテレビを消すのだった。
「何で消すんだよ」
「見たくない」
「は?何で。落語だろ、見ろよ」
「だから、見たくねえっつってんの」
そう言うと水戸は、酷く不機嫌そうに顔を顰める。それが三井は気に入らず、水戸の手からリモコンを奪い、またテレビを点けた。
「見ろ!」
「見たくねえって」
「何でだよ!」
「うるせえ」
うわぁ腹立つ、三井は唖然とした。そしてまた水戸は三井からリモコンを奪い、テレビを消した。こうなると意地でも今この落語を見せなくては気が済まなくなった三井は、無理矢理水戸からリモコンを取り上げた。そしてまたテレビを点けた。見ろ見ねえを何度か繰り返し、ついには水戸が折れた。というより、諦めに近いと三井は思った。勝った、三井は含み笑いをし、水戸を見る。すると彼は、ふっと顔を背けた。
「感じ悪いな、おい」
「見たくねえっつってんだろ」
「だから何でだよ」
「あー、うるせ」
顔を背け、全くテレビを見ようとしない水戸を他所に、三井は珍しい物を眺めるようにその落語を聴いていた。そこからは、流暢に面白おかしく話す中年男性が一人手振り身振りで話を進めている。聴いていると耳馴染みも良く、水戸が好きな理由も何となく分かる気がしてきた。
「なあ、これ何て落語?」
「崇徳院」
「すとくいん?」
「俺が唯一嫌いな落語」
「だから何で」
「忘れた」
「嘘つけ!」
水戸はもう、それから口を閉ざした。そして顔を背けている。三井は仕方なく、黙ってその落語を聴いていた。それはどうやら、恋煩いの落語のようだった。これの何が、水戸をそこまで不機嫌にさせるのかが三井にはまるで分からない。時折見遣ると、未だにテレビからは顔を背けたままでいる。つまんねえ奴、そう思いながら三井は、結局最後までその落語を聴いた。
「瀬を早み、ねえ」
その和歌が妙に頭に残り、ぼそりと呟くと、水戸がようやく三井を見る。三井も彼と目を合わすと、ぎょっとしたような表情をした。その上、珍しく微かに顔が赤いのだ。それに今度は、三井がぎょっとした。
「え、何お前。どうした」
「別に何でも」
「だから嘘つけよ!」
捲し立てるように言うと、水戸は今度、口元を隠すように掌で覆った。その仕草が妙に三井の真ん中を突いた。酷く可愛く見え、そのまま水戸に近寄る。
「お前なんか可愛いんだけど」
「バカじゃねえの?」
その悪態を吐く様さえ今は揶揄する材料にしかならない。水戸は時々、三井の何かを酷く擽ることをしてくれる。こういう時、三井は水戸をからかいたくて仕方なくなる。だからもっと近寄り、胡座をかいて水戸にぴたりとくっ付いた。そしてその顔を両手で挟み、音が鳴るようなキスをした。触れるだけのそれを何度もしていると、されるがままだった水戸が動き始める。ついさっきまで口元を隠していたその掌が、三井の体に触れた。それは乾いていて、少しだけ冷たい。水戸の掌はいつもそうだ。乾いていて冷えている。それが触れるだけで、三井の体は煽られる。どうにでもなれ、と思う。今が真昼間だろうが外が雨だろうがカーテンが開いていようが、何も考えられなくさせる。昔からそうだった。高校生の頃から、もう一種の中毒のようなものだった。きっと、これが無ければ生きていけないのかもしれない、と錯覚させる程に。
三井は、現実だけを見て生きてきた。夢物語は酷く苦手だった。お前がいなくちゃ生きていけない、だなんてそれこそ現実離れしている。それなのに三井は、彼が居ないと、その手と目と唇と、とにかく全てがそこに無ければ、自分の生活はきっと完成しないとすら思う。
瀬を早み、何だっけ?三井は水戸の掌の感触を堪能しながら、少しの間考えた。確か、別れても末には添い遂げよう、という和歌だった。三井はそれが少しだけ納得がいかなかった。別れても末には添い遂げるつもりなら、そんな気があるのなら、最初から別れなければいい。それだけの話だ。三井はそう思った。そこまでの愛情があるならなぜ別れようとするのか、理解が出来なかった。この手を離さなきゃいいだけの話だろ?
その時、水戸の指が三井の中を抉った。掻き回した。ソファの上で互いに向かい合い、目の前の体に夢中になった。この男を好きだと思った。この男が居ない生活など考えられないと全力で思った。微熱にずっと浮かされるように、酷く非現実的なことを考えた。
「三井さん」
「ん?」
「上に乗ってよ」
「は?やだ」
「俺が可愛いんだろ?なら言うこと聞けよ」
水戸が挑むように見て来るので、三井の背中は騒ついた。その目に酷く欲情した。もう何でもいいや、そう思った。水戸の指がまた三井の中を引っ掻いた。自然と上がる声に、オレはこいつに溺れてる、と嫌というほど感じる。
指が引き抜かれ、上に乗る間もなく挿入された。強い快感が突き抜け、既に果てそうになる。水戸はそのままソファに倒れ、三井の体を誘導した。上から見下ろした彼の顔や、乱れた息遣いに、三井は堪らなくなる。こんなに色っぽい奴他に知らない、三井はそんなことを考えながら動いた。この目も指も体も水戸洋平はオレのだ、そう思った。それが余計に三井を煽る材料になり、力尽きそうで動けなくなる。
「はい頑張って」
「もう無理。まじで無理」
結局水戸は起き上がった。向かい合いながら思い切り突かれ、当然三井が先に果てた。それからも水戸に何度も突かれる。全てが終わった頃には夕暮れもとうに過ぎていた。窓の外は雨も上がっていて、暗くなり始めている。
「休み終わっちまったじゃねーかよ」
「メシ作るのめんどくせえなぁ。何か出前取る?」
「いいね、ピザ食いてえ」
「はいはい」
洋服を直し、水戸が携帯を手に取った。その指先を見ながら、三井は不意に思い出す。
「なあ。瀬を早み、何だっけ?」
「瀬を早み岩にせかるる滝川の、われても末に逢はむとぞ思ふ」
「よく覚えてんな」
「忘れねえよ」
「やっぱ嫌いじゃねーんじゃねえの?」
「嫌いだよ」
水戸が目を逸らし、携帯を耳に当てた。結局三井にはその理由は分からなかった。まあいいや、と思いながら三井はソファの背に体を預けた。少しだけ怠くて目を閉じる。その気怠さが、最中に感じた微熱のように思えて仕方なかった。そこに逃亡するように、三井はその熱の中で微睡んだ。





終わり

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