短編

□見え透いたくちびる
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彼の同級生である菅田が帰ってから三井は、菅田が土産として持って来た焼酎を、ロックで何杯か飲んでいた。あんまり強くねえのになぁ、と水戸は思ったのだけれど、気分が良さそうだったから放っておいている。明日は互いに休みだし、このままここで三井が酔い潰れてもさして心配はなかった。
リビングのソファに座り、見ているのか見ていないか分からないテレビを点けながら、三井は上機嫌で常に何かを喋っていた。菅田って面白いだろ?とか、いい奴なんだよ、とか、お前と合うと思ってた、とか、後は大学時代のバスケ部の話をしていたのだった。三井はいつも、アルコールを飲むと上機嫌になる。饒舌になる。それを見るのが、水戸は好きだった。面倒だと感じる時も勿論あるけれど、特にお喋りでもない水戸にとってその時間は、ステレオから流れるラジオを怠惰に聞いているような穏やかな瞬間のように思えた。
確かに菅田との時間は楽しかった。気遣いの出来る人で、会話のテンポもよく合った。喋り過ぎず黙り過ぎず、本当の二歳年上というのはこの雰囲気か、と実感した。けれども、菅田からのある言葉を聞いて、それから酷くいたたまれなくなった。
好きな奴が忘れられない。
あれを吐き出した三井のことを考えていた。あの時の自分は何をしていたのだろうと思い返してみるけれど、仕事のことしか思い出せない。どうせくだらねえことしてたんだろうな、水戸はそう思った。
「おーい、聞いてるか?」
「あ、ごめん。何だっけ」
気が付いたら、グラスから結露した水滴が掌に纏わり付いていた。覗くと氷も溶けて、ウィスキーが大分薄くなっている。ほぼ水、そうは思ったけれど、構わないと呷った。やはりアルコールの味はほとんどなかった。ソファから立ち上がり、キッチンに向かった。冷凍庫から新しく氷を入れ、またソファに戻る。ローテーブルに置いてあるウィスキーを少しだけ入れ、グラスを回した。からからと小気味良い音がして、少し氷が溶ける間、ベーコンを摘んだ。これ美味いよな、そう言うと三井は、それよりオレの話を聞け、と顔を顰める。
忘れられない好きな奴、というのは間違いなく自分のことだった。最初は笑った。普通ラブホテルまで行けばとりあえずはやっとくだろ、それをレシートの裏に「ごめん」ってそれはねえだろ、そう思って笑った。でも今は笑えない。例えばもし、その時三井が見知らぬ女性と寝ていたとしても、水戸はきっと何も感じなかっただろう。その場に居ない自分には何の価値もないからだ。でも違う、そうじゃない。三井は以前、水戸と会わなかった期間は誰とも付き合わなかったと言ったことがあった。理由は言わなかった。出会いがない訳じゃない。そんな筈がなかった。
水戸はグラスに口を付けて、少しだけそれを味わってから、それをローテーブルに置いた。木材とグラスの当たる音が、小さく響く。それからテレビの方向に向けていた体を三井の方に向け、ソファに胡座をかいた。彼に手を伸ばして頬に触れると、少しだけ乾いていた。互いに風呂に入った後だったからか、乾いた皮膚の軽く擦れる具合が、酷く心地良かった。
「はい、話聞くよ。何だっけ」
「……忘れた」
「はは、だめじゃん」
「元を正せばお前が話聞いてねえからだろ」
水戸は俯いて笑った。指を滑らすと、三井の頬の感触がする。彼の肌の感触が昔から、水戸は好きだった。
「思い出した」
「何?」
「キスがしたいって話だった」
「嘘吐け」
また笑って頬を撫でると、三井は目を伏せた。それを合図に水戸は近付き、三井の唇に近付いた。少しだけ厚いそれに吸い付き、触れるだけのキスを何度かして、不意に思う。
よく三井は、気持ちの確認作業をする。オレのこと好きだろ?から始まり終いには浮気だろ!という言葉まで使う。学生の頃とは全く違う言葉の繋がりに、水戸は時々対応に困ることがあった。水戸は、気持ちの確認をしたいと思ったことはなかった。一度も、と言っても良いのかもしれない。彼の感情表現が豊かで分かりやすいから、と言われたらその通りだった。でもそれだけじゃない。水戸は、自分が好きでいればそれで良かった。相手の気持ちがあろうがなかろうが、別に何でも構わなかった。そこにあるのなら一緒に居るのだろうし、なければ離れるだけだ。今までもそうだった。だからといって、自分の気持ちを押し付けようなどとは思わず、相手が逃げようがその場に立ち止まっていようが、そこに自分の気持ちはあまり関わって来ないのだ。水戸自身が自分で、この人が好きだということを確認出来ればそれでいい、そう思っていた。
水戸はまたキスをした。繰り返した。触れたり舌を入れたり、何度も繰り返した。
「もういいから触れよ」
「んー、もう少し。キスしたいっつったのあんただろ」
「もういいよ。早く触れって」
「露骨だなぁ」
水戸は三井の体を抱き締め、撫でた。三井の言うことは聞かず、そのままでしばらくの間いた。黙っていると、おーい、と声を掛けられる。それで体を離すと、三井に不思議そうに見つめられている。水戸はまた、いたたまれなくなり、思わず彼の下唇を親指と人差し指で摘んだ。きっと、何すんだよ!と言っているのだろうけれど、摘んでいるから上手く喋れている筈もない。
「この口が、好きな奴が忘れられないって言ったんだって?」
「あ?」
「先輩を弄るネタっつって教えてくれたんだよ、菅田さんが。女の子をラブホに置き去りにした挙句、好きな奴が忘れられないって言ったって」
そう言って指を外すと、三井は声にならない声を上げた。そして、ばつの悪そうな顔をして、舌打ちを一つした。ガラ悪、水戸はそう思った。
「忘れてくれて良かったのに」
「てんめー!ふざっけんなよ!」
「ふざけてはねえけど、そんな大した男かって疑問なだけで」
「じゃあ疑問に思っとけ。永遠に謎解きしてろ」
すっかり機嫌を損ね、顔を逸らした三井の顔を、また無理矢理両手で挟んで戻した。じっと見るとまた逸らされ、どうにも表現出来ない感情が沸々と湧き上がる。仕方ないから口付ければ、三井は水戸の下唇を軽く噛んだ。仕返しされていると思うと可笑しくて笑えば、今度は強めに噛まれる。少しだけ苛ついた水戸は、無理矢理舌を捩じ込んだ。そうすると大人しくなって、背中に手が回る。
喉から迫り上がるこれは何だろう、水戸はキスをしながらしばらくの間考えたけれど、結局答えは見つからなかった。自分の感情には疎い、水戸はそう思った。忘れてくれて良かった、本心だった。こんな男をずっと思い続けて、元の道を踏み外したまま、今も尚。
「おい」
「はい」
「何考えてやがる」
「え?」
ぎょっとした。エスパーか、そう思った。まさか三井に対し、見透かされた気持ちになるなど、思ってもいなかった。
「正直に言え。今なら許してやる」
「いやー、先輩ガラ悪いからなぁ」
「お前に言われたくねーんだよ!」
水戸は、はは、と笑うと一つ息を吐いた。
「別に。さっきのこと考えてただけだよ。三井先輩には参るなって話」
「言っとくけどオレ、お前にこの先何かのきっかけで女が出来たら呪い殺す自信あっから。毎晩丑の刻参りして藁人形に五寸釘打つからな」
覚えとけよ、念押しするように最後言われ、その言葉に思わず吹き出すと、マジで言ってんだけど、と彼は真剣だった。また喉から何かが迫り上がる。これの正体が掴めなくて、体がどうにもむず痒い。まあもうどうでもいいや、結局分からないままその結論に達し、三井を押し倒した。ソファに押し倒して体を密着させながら、彼の体温を衣服越しに感じる。
「昔はキス嫌いだったんだよね、俺」
「嘘だろ、それ」
「少なくとも高一までは嫌いだった」
三井は急に黙った。そして首に腕を回してきた。水戸は彼の体を撫で、またキスをしながら身体中に触れた。中心には触れないでいると、三井から導いた。ゆっくり扱いていると、水戸の手の甲に乾いた掌が重なった。緩い刺激が気に入らないようだった。後ろに指を入れ、またゆっくり掻き回した。もどかしそうに体を捩る三井を見て、無性に入れたくなった。指を外してすぐに挿入すると、彼は体を仰け反らした。
水戸は昔あまり欲がなかった。キスをしたいと思ったことは勿論のこと、挿入したいと思うことも特になかった。ただ、キスを強請られるなら挿入する方が余程マシだとは思っていた。水戸は三井の唇が好きだった。吸い付くと、ぷちぷちした柔らかい感触を気に入っていた。水戸は動いた。三井が揺さぶられるのを見下ろしながら、喘ぐ声を聞きながら、またキスがしたいと思った。
「三井さん」
声を掛けても、返答はなかった。ちょうど好きな箇所を突いているからだと知っていた。
「俺のこと好きなの?」
そう言うと三井は、息を荒げながらもぎょっとしたような顔をする。少しの間動きを止め、三井の体に近付き、またキスをする。広いソファで良かったと、水戸は的外れなことを考えていた。唇を離して三井を見つめると、彼は多少動揺しているようだった。
耳にはテレビの音が聞こえた。灯りも当たり前に点いている。そういう部分は、お互いに頓着しないのだ。体ばかりが先行して、そんなことはどうでもよくなる。水戸は腰を前後には動かさず、中で回して抉るように突いた。そうすると鳴くように喘ぐ。
「呪い殺すとかどうでもいいから、ちゃんと言ってみな」
一度動きを止め、数秒置いてまた同じように動いた。三井は、イきたい、と言った。水戸はそれに対し、ダメ、と返す。無理、と今度は言うので、もうちょっと頑張れよ、と笑った。三井は決して笑わなかった。
「言ったらイかせてくれんの?つーか、お前もそういうこと思ってんの?」
「普段はね、別にどうでもいいんだけど。今日は何だろうね、よく分かんねえ自分でも」
そう言うと、また水戸は抉るように動いた。それから突いた。三井は喋ることも叶わず、ただ鳴くだけだった。その内果てて、三井は水戸を抱き締めていた。背中に食い込む指先に、言葉はなくとも、そこに感情があることを知る。
「水戸」
「何?」
「オレはもうずっと、高三の頃からずっとお前に惚れてんだよ。覚えとけ」
「酔ってるね、確実に」
「酔ってなきゃ言えねえよ!」
抱き締められたままの状態で言われたから、三井の表情は見えなかった。あの唇がどういう風に動いたのか、水戸には分からなかった。抱き締め返して、まだ途中の水戸はまた動いた。そうするとまた、三井は鳴いた。背中にある指先は食い込んだままで、そこに痕が残ることを覚悟した。もうどうでも良かった。この人が残す物なら何でも良いとさえ思った。喉から迫り上がる何かの正体、それは「愛しい」だ。
唇へのキスは好きじゃなきゃ出来ない。それが分かった瞬間、無性に三井の唇を噛みたくなった。





終わり



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