短編

□謎解き心中
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横浜から自宅マンションに帰ったのは、八時を回った所だった。三井は少しだけ飲んでいて上機嫌で、それを眺めながら水戸は冷蔵庫からビールを取り出した。オレも、と言われたので、彼にも一本手渡す。そこでようやく、ドレスシャツの一番上のボタンを外し、ネクタイに指を入れて緩めた。引っ張って外すと、息が漏れる。
「疲れた」
自然と声が出ていて、着慣れない服はやはり合わないと実感した。
「あ!外してんじゃねーよ!」
「何で。もういいだろ」
「オレが外す。もう一回付けろ」
「訳分かんねえこと言ってんじゃねえよ、いい加減にしろ」
「つまんねえ奴だな、お前は」
「つまんなくて結構です」
未だに文句を言っている三井を放っておいて、ビールを飲んだ。あーうま、唸るように言ってから、早く着替えようとジャケットに手を掛けた。ポケットから財布を取り出そうとした所で、例の紙切れを引っ掛けて落としてしまう。あ、やべ、そう思っても後の祭りだった。凡ミス、水戸は小さく舌打ちをした。三井に見付かる前に拾おうとした所で、彼は、何これ、そう言った。そしてそれを拾い上げ、紙を広げる。あーあーあーもう知らね、水戸は目を閉じながら思ったけれど、疚しいことは一切していない。それは断言出来る。
「おい」
「はい」
「何だこれは」
「紙切れ」
「そんなこと聞いてんじゃねーよ!オレが聞いてんのは中身!これに書いてある中身!」
「会議の帰りに渡されただけだよ」
「渡されただけって何だ浮気だろ!この常習犯め!」
常習犯って何?水戸は絶句した。この人一体何を言ってんの?そう思った。
「常習犯って何だよ。浮気なんかしたことねえっつーの」
「大体!お前はこれどうするつもりだったんだよ!」
常習犯の話はどうした!水戸は突っ込みたかったけれど、こうなると三井は話を聞かない。言いたいことしか言わない。それを水戸は嫌というほど学んでいた。
「捨てようと思ってたよ?思ってたけど個人情報書いてあんのに下手なとこで捨てらんねえだろ?」
「じゃあ貰った瞬間に断って捨てろ!」
「紙見た時には居なかったんだよ」
「お前にこのスーツ選んだオレがバカだった」
「人の話聞いてねえだろ」
「脱げ!今すぐ脱げ!」
「ああもうめんどくせえな!」
水戸はキッチンを出て、寝室に入った。スイッチを点けると灯りが灯った。ぐるりと首を回してから、ジャケットを脱ごうと手を掛ける。そうした所で、背後から寝室のドアの開く音が聞こえた。後ろに三井が居る、その気配を感じ取りながら、ジャケットを脱いでクローゼットに引っ掛かっていたハンガーに掛けた。
「おい」
「今度は何?」
「お前はオレのもんだ。分かってんだろうな?」
ぎょっとして振り返ると、腕を組んだ三井が、酷い形相で水戸を睨んでいる。
「熱烈だね、ほんと」
水戸が俯いて笑うと、三井が水戸に近付いた。彼の手がドレスシャツに掛かる。上から順に外されていく様を見ながら、水戸は思うのだ。俺は臆病だ、と。
「お前が浮気したら心中するかんな」
「は?心中?」
「浮気するならそれ位の心意気でのぞめって話だよ、真に受けんなバーッカ!」
「別にいいけどね、浮気はしないけど」
「何それ」
「心中?だっけ。別にいいよ何でも」
見上げて笑うと、今度は三井がぎょっとしたように水戸を見た。そしてボタンを外す手が止まった所で、三井の手を取った。ちょうど良かった。すぐ真横はベッドだ。そのまま押し倒すと、三井はまた水戸を睨み付け、服越しに水戸の肩を噛んだ。いってえな、と言うと、今度は腕を噛んだ。もう好きにすればいい、水戸はそう思う。そしてまた、俺は臆病だ、そう思ったのだった。
水戸は三井に口付け、舌を差し込み、自分は臆病であることを目の当たりにした。水戸は三井が好きだった。それ以外はなかった。欲しいのはこれだ、目の前の人を抱きながら、水戸は自分の弱さを呪った。お前はオレのもんだ、三井はそう言った。その言葉は、水戸の歓喜というより恐怖を誘った。この人を失うのが怖い、それしかなかった。
噛まれた肩がちくりと痛む。だから今度は、水戸が三井の肩を噛んだ。中心を扱きながら、噛んだ。三井は声を上げた。この人はいつも、色気も何もない声を出す。水戸は何かの度にそれを確認する。同じように腕も噛むとまた声を上げた。その直後、三井は果てた。水戸は三井に跨ったまま膝立ちになり、自分の掌を見た。そこには彼の体液が付いていた。見下ろすと、シャツもスラックスもそのままにしている自分が居た。三井はといえば、彼もほぼ衣服を着たままの状態だった。部屋は明るくて、恥も外聞もないとは正にこれだ。
「心中と一緒だろ、これ」
「何?」
「あんたもう、女抱けねえよ」
ざまあみろ、そう言って笑うと、息も絶え絶えに三井もにやりと笑う。
「上等だ」
べたべたの掌で、三井のカットソーを捲って脱がし、覆い被さった。
俺は別に浮気をしない主義でもなければ忠誠を誓っている訳でもない。ただ興味がなかっただけだ。面倒で時間を割くことも億劫だっただけだ。もしさっきの彼女に興味があれば、この人と終わりにしてあっちに行けばいいだけの話。でも違う。そうじゃない。俺はこの人がいい。この人だけがいい。俺はこれが欲しい。だから下手をして、失うのが怖いだけだ。ただこの人を失うのが、怖い。
水戸は三井の体をきつく抱き締めながら、心中してるみたいだ、そう思った。





終わり。
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