短編

□未来よ、降伏せよ
1ページ/2ページ


どうも。菅田です。あ、待って!戻らないで!大丈夫ですよ、心配しないで!大丈夫ですから。
本日、三井が自宅から引っ越したということで、遊びに来た。まずそこに至る経緯からお話ししよう。二週間くらい前だったかな、オフだし久々に飲もうやってことで、三井の仕事終わりに合わせて東京は東京でも神奈川近くまで行った。ゆっくり話したかったし個室のある居酒屋にして、ああそういえばここ、前にも来たよなぁなんて話していた。頑張った三井コーチ撃沈の場所じゃんっつって小馬鹿にしたら、それはそれは面白くて、醜い顔ってこれのことなんだなってオレは思った。当日三井は、ちょっと疲れていた。オフシーズンに入ったばかりで事後処理に追われていて、それがようやく終わった所だと、そう言っていた。オレはね、選手だから。そういう後処理とか引き抜きとか予算とか、そういった類のことには全く関わっていなくて、素直に三井の凄さを知った。皮肉にもこの場所で。こういった人達の影の地道な努力がないと、オレ達選手はプレイ出来ない。だからちょっとだけ尊敬した。
それで、三井が引っ越したことを聞いた。へえどこ?と聞くと、ここから三十分程度だと、そう言った。今度遊びに行っていい?と聞けば彼は、良いけど同居人が居るからそいつに聞いてから、そう返って来た。面白くなってきたマジで面白くなってきた、同居人という言葉に俄然興味が湧いたオレは、お宅訪問当日を楽しみにしたくて同居人の存在を詳しくは聞かなかった。女?女か?とうとう奴にもそういう浮いた話が出て来た!オレはわくわくした。来た来た来た!あのラブホから逃げ帰った奴がとうとう同棲?同居人?まあどっちでも良いや。
そういう流れで、現在とある土曜日の午後四時。今このドアのインターホンを押そうとしている。外観はとにかく綺麗だった。オートロックではないにしても、マンション自体に玄関があり、エレベーターで上るタイプのマンションだ。はいはい、あいつはこういう、ベタなタイプが好きだよな、分かる分かる。そう思いながら、エレベーターのボタンを押した。すぐに来たそれに乗り、とうとう二階の角部屋205号室の前に来た。三井からは事前に連絡があった。いつ来ても良いけど自分は夜まで仕事だと。自分が居なければ同居人が居るからと。そう言われていた。そんなの同居人に会いたいから早めに行くでしょ!という訳で、ちょっとどきどきしているオレ。よし、押すぞ。
ピンポーン、と軽快でちょっと間抜けな音がして、それからまたオレのハートはどきどきした。どんな女だ、そればっかり考えて、手土産を持つ手が、若干汗ばんだと思う。
『はい』
あれ?想像してた声と違う。女の子ってもうちょっと細くて高い感じの声じゃなかったっけ?だから黙ってしまって、タチの悪いピンポンダッシュをした人みたいになってしまった。
『誰?菅田さん?』
「え、あ、はい。菅田です」
『今開けます』
同居人って男かよ!つまんねえ!早く来る必要ねえじゃん!オレの期待返せ!ちょっとした罵倒を今ここには居ない三井に向けて放ちながら、オレは玄関のドアが開くのを待った。そこはすぐに開き、こんにちは、と涼しげな目元の男前が玄関から出て来るのだった。
あれ?どっかで。こんにちは、と返しながら、見たことがあるようなないような、と頭を捻る。
「どうぞ」
「お邪魔します」
スニーカーを脱いで玄関を上がると、ちょっと良い匂いがした。飯の匂いだとオレは思った。その前に、何でこの男前は、オレの名前を知ってたんだろう、それが気になった。
「あの、三井から何か聞いてた?」
「何をですか?」
リビングのドアを開けた時、男前が振り返った。オレもバスケ選手の割には背は高い方じゃない。でもこの男前は目線が下に行くほど小さいのだ。小柄だなぁ、と質問にも答えず的外れなことを考えていた。男前がオレを見ていたので、ああそうだ、と息を吸った。
「名前、オレの名前知ってたから」
「ああ、菅田さんが来るって聞いてましたよ。それに俺、一回会ってるし」
彼はリビングのドアを開けてそのまま進み、冷蔵庫を開けながら、そう言った。一回会ってる?ん?だからどっかで見たんだよ。あ、あれ?あ、あ!
「リーゼント!」
「はは、正解」
「ああはいはい、あいつか!久し振りだなぁ、三井の同居人ってお前だったんだ」
リーゼントは薄く笑うだけで何も言わなくて、ビール飲みます?と言うと、開けていた冷蔵庫からビールを取り出した。それからキャビネットからグラスも一緒に。それをテーブルに置いて、どうぞ、とオレに座るように施してくれた。
リーゼントはリーゼントじゃなくなっていて、あれがこうなったのか、と彼の高校時代を思い出した。と言っても、会ったのは一度だけだけれど。
「しっかし、何でまた三井と同居しようと思ったの?オレなら絶っっ対やだけどね」
「引っ越しの時期が重なって、家賃も折半だし安上がりかなって。その程度ですよ」
「ふーん、でもあいつ我儘だろ?オレ無理だ、絶対無理」
強調して言うと、リーゼントは笑っていた。そこで思った。こいつこんなに柔らかく笑ってたっけ?と。しつこいけど会ったのは一度きりだ。交わした言葉数も少なかったし、どういう人間かなんて知りもしない。ただあの時、こいつはもうちょっと人に対して線を引いてた、そんな気がした。もっとも、線を引いてたからこそ、上手くあしらえたんだとも思うけど。
「菅田さん、唐揚げ食べます?さっき揚げたばっかなんで」
「え?!食う!大好物!」
「良かった」
「つーかリーゼント、あ、いや、名前何だっけ?」
「水戸洋平です」
洋平くんね。分かった。オレは頷いて、話を戻した。
「料理得意なの?」
「得意って訳じゃないけど、必要に迫られてやってるだけっつーか。今日はまあ、三井さんに頼まれたんですよ、菅田さん来るからって。あとはピザ頼むっつってたけど」
「洋平くん、お前いい奴だなぁ。普通先輩に頼まれたからってやらねえよ。よし、乾杯だ。ほら、お前も飲め!」
そう言って彼にビールを差し出すと、いただきます、と言って自分が使っていたグラスを差し出した。そこにビールを注ぐと、美味そうな金色の液体が揺れる。かつん、と繊細な音を立て、グラスを合わせた。あ、とそこでようやく手土産を持って来たことを思い出した。手土産と言ってもちょっと美味しい焼酎とウィスキーなんですけど。酒ですけど。あとちょっと美味しいチーズとか、燻製とか、そういうのをちょっと美味しい物が売られている洒落た店で買ってきたのだ。あいつ、そういうベタなのが好きだから。
「洋平くん焼酎好き?ウィスキー好き?他にも色々買って来たんだけど、三井が帰って来る前に食っとこうよ」
オレは何故だか、既に洋平くんを気に入っていた。なんかこの子、どうしてか優しくしたくなる。というかオレは、こいつとは気が合うと確信していた。洋平くんはまた、薄く笑った。キッチンへ行ったので、きっと唐揚げしかも揚げたてを持って来てくれるんだと思う。さっきこの部屋に入ってきた時の良い匂いはこれだったんだな、そう思った。
そこでオレはようやく、辺りを見渡した。だだっ広いリビングと趣味のいいローテーブルにソファ。これは確実に三井の趣味だと思った。窓の外の眺めは綺麗で、部屋自体も掃除されていて、綺麗に纏まってんなぁ、と男二人暮らしなのに感心してしまう。
「どうぞ」
「すげえ、美味そう」
そうしていると目の前に、唐揚げとサラダが並んだ。あと箸と取り皿が。唐揚げからは湯気が立っていて、オレまじで良い時に来た!心底そう思った。
「あ、菅田さん唐揚げにレモンかける人ですか?」
「いや、オレかけない派。何で?」
「あー、この間三井さんが唐揚げ全部にレモンかけたんですよ、俺はかけないんですけど聞かずに勝手に。それでちょっとやり合ったんで、レモン派だったら分けとこうかなって」
「出た出た出た!そういうとこ!あいつはすぐそういうことすんの!よく一緒に住めるね」
「んー、まあ面白いから」
そう言うと、洋平くんはオレの前の椅子に座った。このテーブルと椅子も、きっと高いんだろうなぁ、オレは思った。彼はビールに口を付け、揚げたてのうちにどうぞ、とまた施してくれる。そうそう、こういう風にタイミング良く言ってくれるんだよ、あのコンパでもそう思った。オレはまた、何年も前のあれを思い出した。
そういえば三井はあのコンパでも、卒業する前のコンパでも、その後でも、上手くいった試しがなかった。玉砕というか、むしろ最後のアレはもう、他人事ながら憐れに思った。憐れというより厄介だなぁと。そして少しだけ羨んだのだ。そこまでの好きな人が居ることを。オレは多分、まだ出会っていないから。
「洋平くん、三井の面白い話教えてやるよ」
と同時にちょっとした悪戯心が生まれた。先輩にこき使われてる後輩に、ネタになるようなことでも教えてやろうと。それに彼なら、もしかしたら三井がラブホから女の子を置き去りにするほどの好きな人とどうなったのか、その行方を知っているかもしれない。何となくそう思った。
「三井が大学卒業して神奈川に帰って半年経ったくらいかなぁ。すっげえ勢いでコンパ開けって言ってきてね、開いたんだよ。オレ的には可愛い子揃えてさ、当時付き合ってた子に頼み込んだの。あいつね、大学三年の夏以降からバスケ以外では腑抜けててさ、オレもう何回コンパ開いたか分かんねえよ。でも毎回ダメで、今回は上手くいくようにって良い子揃えたの」
「へえ、そうなんですか」
洋平くんは単純に興味を持ったようで、頬杖を付きながら、オレの話を聞いてくれる。オレはというとビールを飲み干したら焼酎が飲みたくて、しかもまあ、唐揚げを口に入れたら美味いの美味くないの、とにかく美味かった。
「ちょ、ちょっといい?」
「何ですか?」
「唐揚げめっちゃ美味いんだけど、食ってみ?」
「はは。いや、俺自分で作ったんで何回も食ってるし、菅田さん食ってください」
「美味いよ、まじで。あ、焼酎飲む?つーか一緒に飲もうや。ウィスキーにする?」
「どっちでもいいですよ。両方好きなんでお任せします」
ああ氷、洋平くんはそう言うと立ち上がり、新しいグラスを取り出して冷凍庫から氷を出して、そこに入れた。働き者。オレは心底三井を羨ましく思った。あいつ、ぜってえ何にもやってねえ、自信を持って言える。
「焼酎開けていい?土産でオレが開けんのもおかしいけど」
「どうぞ。俺もいただきます」
洋平くんがあんまり話しやすくて、普通のダチ感覚で話を進めていた。もうチーズや燻製も開けたれ!と開けていると、彼は皿を持って来る。そして、オレが開けかけていたチーズや燻製を皿に乗せてくれた。確信した。さっきので更に確信したのだ。三井はぜってえ何にもやってねえ!オレは一人頷き、自分で持って来た焼酎を開け、洋平くんの分を先に注いでから、自分にも注いだ。
どちらからもなく、自然とグラスを合わせていた。初めて飲んだ焼酎で、二人で顔を合わせ、美味い!と言う。酒の趣味も合う。最高だ。
「で、さっきの続きなんだけどそのコンパでね、いい感じになった子が居たんだよ。今回はイケるってオレもホッとしてね、良かったなぁって思った。実際一次会終わったら二人が消えたから、こりゃイケる!って思ったんだけど……」
「だけど?」
「そこからが三井様の真骨頂よ、ラブホに女の子置き去りにして帰ってんの!」
そう言うと、洋平くんは思いっきり焼酎を吹き出した。分かる、分かるよ。
「え、まじで?有り得ねえ。あの人何やってんの」
「だろ?な?で、オレに電話してくんだよ。ごめんって。悪かったって。話聞いた時は呆気に取られたんだけど、正直どっかでこうなるんじゃないかなって思ってたんだよね。コンパの最中もなーんか上の空だったし、やっぱりなぁって」
洋平くんは吹き出した焼酎を拭いて、また一口飲んだ。それからベーコンを摘む。美味いっすよ、これ、そう言われたのが嬉しくて、オレは酷く自慢気に、だろ?と返した。
「しかもレシートの裏に、帰りますって書いたらしいの。オレもう絶句を通り越したね」
「ぶはっ!もうほんとあの人何やってんの!」
洋平くんはこれでもかというほど笑っていた。腹を抱えてってこれだな、そう思うほどだった。
「でもその後あいつ、言うんだよ。好きな奴が忘れられないって」
「……」
彼は笑うのをぴたりと止め、何とも妙な顔をする。それを見てオレは、やっぱり知ってる?そう思ったのだった。
「何かもう、納得したんだよな。ああそうだったんだって。だからかって」
「へえ」
「結局、好きな奴が誰とかそういう話は全然してないんだけど、男同士ってしねえだろ?そういう話」
「そうですね」
「あいつはその好きな人とどうなったんだろうって今でも思うよ。まあ、聞かないんだけど。洋平くん知ってる?」
「さあ、知らないかな、俺も」
そう言った彼は窓の外を眺めた。その表情と声は、どこか憂いたような、かと言って何も知らないような、よく掴めなかった。でも何かを思う顔だ、そう思った。何だろう、と考えてもすぐに答えは出なくて、喉に何かが引っ掛かったままだった。それをオレは、知っているような知らないような、しばらく考えても答えは出なくて、結局他の話題に移った。


.
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ