短編

□舌先から染まる
1ページ/1ページ


熱かった。水戸は風呂上がりに冷蔵庫を開け、脱力したように息を吐いて冷えたビールを取り出した。
三井は必ず風呂を溜める。春夏秋冬問わず必ず。彼が風呂を溜めると無駄に温度が高い。しかも今は七月で夏真っ只中。それなのに無駄に熱い風呂にする。無駄だ。完全に無駄。オール電化の無駄遣い。水戸は常々思う。最近水戸は、少しだけでも湯船に浸かるようにしていた。三井にこっ酷く言われているからだ。一分でいいから風呂に浸かれ、と。彼はプロバスケチームのコーチだからか、体のことは一般業務に就く人間よりは多少詳しかった。勿論それは水戸も含め。寧ろ、そうでなくてはならない。素直に言うことを聞くのも癪に触ったが、シャワーだけ浴びて浴室から出ると説教が始まるからそれもまた面倒だった。湯船に浸かるか説教か、どちらも嫌だけれどどちらがまだマシかを考えれば、圧倒的に湯船に浸かるのを選択した方が賢明な気がした。なぜなら彼の説教は長いのだ。浸かれって言ってるだろ、から始まり、だから冷え性なんだよ、が中盤に来て終いには、毎日言うかんな、と無駄に高い身長をフルに使って水戸を見下ろして終わる。毎日言われたら完全にストレスだ。きっと彼は、脅しではなく本気でやる。三井という人間は時々水戸の想像を遥かに超えたことをするのだ。しかも平然と。
日頃の恨みを晴らしてやがる、水戸はこういう時、常々思う。普段は水戸が注意することが多かった。投げっぱなし出しっぱなしは勿論、キッチンの使い方が汚い、三井が掃除すると角に埃が必ず残っている等々。これを散々言うのだった。そういう時三井は必ず、こんの小姑!とキレる。キレる若者、決してこれは言わないが、水戸は毎回そう思う。先週辺りにはそれが引き金となり、とうとう喧嘩をした。三井はしょっちゅう、フローリングにぽいぽいと洋服を投げっぱなしにしている。何度言っても聞かないから、いっそのこと黙って洗濯した方がいいとさえ水戸は思った。だからその日も、行き倒れているかに見えたTシャツを、構わず洗濯機に突っ込んで躊躇なく洗剤と柔軟剤を入れ、スタートボタンを押した。洗濯が終わった頃、休みだった三井は起床した。おはよ、と言って眠そうなぼんやりした顔でベランダにやって来た。水戸は洗濯物をちょうど干し終えた所で、ベランダの柵に縋り一服していた。夏の空は高い。雲も綿菓子のように空気を孕んで大きく見えた。今日も暑くなりそうだと、煙を吐きながら考えていた水戸も、おはよう、と返した。二人揃った休日はあまりない。今日はどうすんのかね、と斜め後ろで揺れる洗濯物を見遣り、水戸は思った。
そこまでは良かった。三井は急に、低く声を出した。おい、と。その声に水戸は、三井を見る。ぼやけた寝起きの表情が一変していた。水戸は、すげえ面白い顔してる、と思わず吹き出した。三井はその「すげえ面白い顔」を見せた後、震える声で言ったのだった。オレのTシャツどうやって洗濯した、と。どうやってって洗濯は洗濯機がするだろまさか洗濯板で洗ったとでも思ってんの?水戸はそう聞いた。すると次は、裏返してネットに入れただろうな?と聞くのだった。何でそんなめんどくせえことしなきゃなんねえの?と嘲笑を交えて言った所、彼は激怒した。これ12600円(税込)するTシャツなんだよ刺繍がよれよれじゃねーかふざっけんなてめえ!と激昂したのだ。そこで水戸は時が止まる。え、Tシャツって一枚12600円するもんなの?どんな生地使ってんだよ絹か?綿だろ?綿で12600円ってどんな高級綿だよつーか刺繍って何?竜か何か?いやいやちげえだろ俺のTシャツ二枚組で3000円くらいだったんだけど。というような言葉の羅列を三井に向かって吐き出した。その金額に思わず笑い、消耗品にこんな金出すアホがどこに居るのかと思っていたらここに居たと考えるだけでおかしくて、きっと三井からしたら馬鹿にされているように見えたのだろう。実際馬鹿にしていた。彼はその後言い放ったのだ。
「お前の破れかけたヘインズのTシャツと一緒にすんな!」
と。その言葉には、さすがに水戸も怒りが込み上げ、朝からしかもベランダで互いに声を荒げる。
「じゃあてめえで洗濯しろ!」
「もうぜってーお前のとは分けて洗濯するかんな!てめえのはしねえかんな!頼んでもしてやんねえかんな!」
「最初っから頼まねえよ」
と、はたから見たら溜息を吐いて脱力したくなるほど馬鹿馬鹿しい喧嘩をした挙句、その日は別々に過ごした。水戸は久々に新装開店ののぼりが何本も立ち並ぶ場所へ行き、久々に行ったのが功を奏したのか八万も勝った。そこで一人で食事をして帰れば良かったのだが、結局三井の顔が浮かんで美味い物でも食いたいと自宅に戻る。すると彼も、ばつの悪そうな顔をしながら、夕食を待っていた。互いにその件について言葉を交わすことはなかったが、少しだけ美味しい物を食べて元に戻った。
こういう喧嘩を時々やりながらも水戸は、三井と一緒に居た。離れようと考えたことも別々に生活したいと思ったことも、一度もなかった。どれだけ喧嘩をしても一切苦にならない、それが不思議で仕方がないと幾度となく思う。冷えた缶ビールを思い切り煽りながら、水戸はあの時のよれた刺繍のTシャツ12600円(税込)の行方を考えていた。あれから一度も見ていない。
あっちいな、水戸は独り言ちた。ビールを飲もうがエアコンが無駄に効いていようが、体が冷える気配はまるでなかった。
「おい水戸」
缶ビールを傾けていた所で、三井が水戸に声を掛けた。凄味をきかせるように顔を顰めている彼に、水戸はまた嫌な予感が走る。
「何、どうした?」
一応聞いた。聞いてから缶に口を付けてビールを飲み込む。
「やらせろ」
言われた直後、ビールを軽く吹き出した。またこの人は想像を越えたことを平気で言う。水戸は肩に掛けていたタオルで口を拭い、一度咳き込んだ。
「何急に」
今度は優しく聞いてみた。だけれど多分、どの方法で聞いてみた所で、三井は遥か先に居ると水戸は思う。
「お前も男なら分かるだろ、無性にムラムラする日があんだよ。だからやらせろ」
「AVでも見なよ。俺別にそういうの気にしねえから」
「無理無理。お前がいいの。責任取れ」
「あんたって時々無駄に熱烈だよね」
はは、と笑っても三井は一切笑わなかった。別に水戸は嫌ではなかった。誘われたらいつでも良かったし、三井を抱くことも不思議と飽きなかった。ただ、受け入れる側の方が幾らも負担だろうに、それでも三井も飽きずにしたいと思うことも水戸は少しばかり疑問だった。かといって、自分が受け入れる側に回ろうとは微塵にも思わないけれど。
ただ、ここまで相手が乗り気だと、多少虐めたくなるのが水戸の性だった。
「俺は今日はいいよ、やりたいなら一人でやりな」
とりあえず飲み掛けのビールだけでも飲んでしまおうと、喉が鳴るほど飲み込む。ピリピリとした刺激が酷く心地良かった。
「はあ?!ふざけんなよ。言っとくけどお前に拒否権はねえかんな」
その台詞にまた水戸は飲んでいたビールを吹き出した。もったいないまじで。そう思いながら同じようにタオルで口を拭う。
えーっと、俺に拒否権はないって?ほんと頭おかしいこの人。
「お前がムラムラした日はオレがそんな気分じゃなくても付き合ってやっからよ、今日はオレに付き合っとけ」
「いやいや、あんた俺が誘った日って大概乗り気じゃん。逆に乗り気じゃない日ってあんの?」
「あるに決まってんだろ!気ぃ使ってやってんの、これが歳上の包容力ってやつだ。覚えとけ」
「あっ、そーですか。なんかすんませんでした、覚えときます」
「よし、分かればいい。とにかく早くしろ」
「はは!もうほんと笑える。やる気になんねえよ、おかしくて」
水戸は珍しく腹を抱えて笑った。そして思った。落語より何より、この人の素が一番面白い、と。すると三井は舌打ちをして水戸に近付き、ビールを手から乱暴に奪うとキッチンに置く。それから徐に口付けた。彼のキスの仕方は、いつも奪うようなやり方だった。無理矢理唇を抉じ開け、舌を捻じ込んで来る。それは酷く不器用だった。何度しても上手くならない、水戸はいつもそう思う。でもそれを、水戸は嫌いではなかった。切羽詰まったように、水戸を欲しがる三井のキスを、水戸は気に入っていた。
しばらくそれをした後、三井は唇を離した。見上げた三井の顔は、既に熱を孕んでいる。この目も水戸は好きだった。俺に溺れてる、そう思うからだった。
「下手だね」
「何が?」
「キス。何回しても上手くなんねえの、あんた。知ってる?」
そう言うと三井は、顔を赤らめた。面白いなぁ、水戸は素直にそう思った。そして、急に欲しくなる。三井を欲しいと、今なぜか強く思った。
「舌出して」
「え?」
「やってやるから、ほら。早く出しな」
水戸は三井の頭を引き寄せ、ゆっくりと出された舌を、自分の舌でつつくように撫でた。何度か撫で、軽く噛んでから口付けると、三井の体が揺れた。本当にしたかったのだと、それは簡単に分かるほど彼の体は反応した。ベッドに移動することも面倒で、キッチンの壁に追い詰める。すぐ隣にある冷蔵庫の唸る音が、酷く耳についた。目の前では、三井の息が上がっている。力が入らないのか、追い詰められた体は壁を伝ってずるずると落ちていく。
何度も繰り返し舌を弄るようにキスをしていると、三井の手が水戸の手首を取った。言われなくても触ってやるって、そう思うとまた笑えた。水戸は三井のTシャツの中に手を入れ、肌を探った。水戸は彼の肌の感触が好きだった。吸い付くような柔らかさも弾力もないけれど、健康的な肌色も感触も匂いも、それは水戸の性欲を煽る材料にしかならなかった。
水戸は未だにキスを止めなかった。ずっと吸い付いていたかった。
「好きなの?」
「ん?」
「キス」
「違うと思う」
あんたが好きなだけ。水戸は呟くように言って、また口付けた。同じようなことを確か、三井にも言われたことがあった。結局一緒なんだと思うと、どうしようもねえな、と笑うしかなかった。水戸は躊躇なく三井のジャージに手を入れた。そこは既に勃ち上がっていて、水戸は無遠慮に扱いた。何で自分と同じ性器を平気で寧ろ喜んで触るのか、それを考えたこともあった。嫌というほど何度もあった。水戸はキスをしながら、片手で三井自身を扱き、もう片方の指を後ろに入れた。簡単に入るそこは、自分のせいだと思い知る。お前がいいの責任取れ、三井の言葉を思い出し、言われなくても、と彼が喜ぶ箇所を引っ掻いた。三井は鳴いた。喘いだ。あっという間に吐き出して、それでも水戸は弄ることを止めなかった。
キスをするのも触るのも、ただ好きだからだ。
三井から、ちょっと待った、と息も絶え絶え言われ肩を押される。力の入り切らない指さえも、水戸を煽る材料にしかならなかった。そういやここキッチンだ、そうは思ったけれどどうでも良かった。三井が欲しくて仕方なくて、何も言わず挿入した。彼は一層喘いだ。さっきまで肩を押していた指は、もう水戸の体を抱き締めていた。三井の背中をキッチンの壁に押し付けながら、水戸は突いた。彼が喜ぶ箇所ばかり突いた。鳴き声にも似た三井の声をずっと聞いていたくて、ひたすら突いた。水戸もイキそうだった。だけれど終わりたくなくて我慢して、堪えながら突いた。
「何か、すっげえいい」
「お前今日はしたくない日じゃなかったっけ?」
「違ったみたい」
ぎゅっと抱き締め、三井の肌の匂いを嗅いだ。動きを止めて、その匂いを吸い込んだ。肩に吸い付いて痕を残すと、三井も同じように水戸の肩に吸い付いた。
「水戸」
「んー?何?」
「好き、好きだよ」
肩の辺りで言われ、その振動が体全体に伝わった。抱き締めていた腕を外し、三井の顔に触れ、水戸はまた口付けた。何度も何度も、その舌と唇を味わった。
泣きたくなるってこういうことだ。
唾液や舌や繋がったそこから、何かに染まって一つになれば良いのに、水戸は現実には起こり得ないことを願いながら祈りながら、飽くことなくその体を抱いた。





終わり。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ