短編

□いつか見た夢の末路
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冬の海は震えるほど寒かった。今は日中で陽も照っていたけれど、こんな寒い中ここに来ているのは、オレ達以外誰も居ない。
久々に合った休みに、これもまた久々に水戸のバイクの後ろに乗って、特に行き先も決めず神奈川の各地を走った。途中、行ったことのない美味そうな店をオレが見付けると、上着をぐいぐいと引っ張って、停めろ、と示す。そこは、店というより海の側に停車している移動販売の車だった。ホットドッグにハンバーガーにその他諸々、コーヒーも自家焙煎を売りにしてます、というのぼりと、地元の食材使ってます、という、纏めるとよく見掛ける雰囲気であるのぼりに惹かれ、オレはバイクを停めろと施した。水戸は特に物申すこともせず、素直にバイクを停めた。腹減った、そう言うと、そうだね、と返って来る。海のすぐ側だからか波の音が絶え間なく聞こえていて、同じリズムで繰り返されている。風も吹き付けて来て、思わず肩を竦めた。移動販売車のすぐ側には、浜に降りられる階段があった。浜で食っても良いかもな、なんて、その時は簡単に考えていたのだった。海から直接吹く風が、桁違いに寒いことも知らずに。
近付くと販売車の中には、髭面で冬なのに日焼けした、いかにも湘南大好きです、といった風貌のおっさんが愛想良く振る舞っている。いらっしゃい何にする?と笑顔で聞かれ、水戸は、親父さんのオススメは何?と、こちらも愛想良く返していた。オススメはねー、と間延びした口調で、順々に説明していく。どれもオススメなんじゃねーか、とオレは心の中で突っ込みを入れると、水戸がホットドッグ二つ、ハンバーガー二つ、ポテト二つ、コーヒー二つを頼んだ。そんなに食えんのか?と疑問に感じつつ、まあ食えなければ水戸の胃袋に収まるだろうと思った。出来上がるまで待っていると、水戸が支払いを済ませる。脇から、いくら?と聞くと、いいよ、と返ってきた。こないだのお詫び、と言うのだった。こないだ、というのは多分、水戸が風邪を引いて出掛けるのが流れた時のことを言っているのだと思う。こいつはこういう風に、さらっと何気なくやる。色んなことを。
量が多かったから店のロゴが付いた紙袋に入れてくれ、それを水戸に渡した。ありがとうございます、水戸は小さく会釈して言うと、降りる?と親指で浜を指した。ああ、と返して既に歩き出している水戸に続いた。バイクはそこに置いておくようだ。階段を降りると、風は一層強くなった。さっむ、と言うと、帰る?と聞かれる。かぶりを振って、階段を降りる。一番下まで降りて、そこで腰を下ろした。そこでオレは、水戸が持っている紙袋の中を覗いた。美味そう、そう言うと、水戸は笑った。まず取り出したのはホットドッグとコーヒーだった。互いにそれを持つと水戸はまた律儀に、いただきます、と言ってから齧り付く。続けて、美味いね、と喋る口元にケチャップが付いていた。あまりにガキっぽくて笑うと、何に笑われているのか分かっていないようで、何度か瞬きをする。ケチャップが付いていることを言うと、ああ、と言って口を手の甲で拭った。こいつは時々、こういう子供っぽい所がある。けれど年齢以上に大人びた部分も持っていて、やはりそこは変わらないと思った。
ふと思う。こいつは、今まで付き合ってきた彼女達とも、こういう風にしていたのだろうか、と。嫉妬?いやいや違う。漠然とした興味だ。横浜の彼女の話を姉から聞いた時には嫉妬したけれど、今昔のことを嫉妬してどうする。興味だ。今まではとんでもない話が飛び出て来るんじゃないかと怖かったけれど、今は何となく違う。今の状況と然程変わらない気もするような、変わる気もするような。
「なあ?」
「ん?」
水戸はホットドッグを食べ終えたのか、紙を丸める。はやっ、と思ったのも束の間、今度はコーヒーを一口飲んでからハンバーガーを取り出した。がさがさと紙を開ける音がした直後、今度はハンバーガーに齧り付く。オレは寒さのあまり、手がなかなか動かないというのに。水戸はあまり、寒暖の差に興味を持たない。暑い寒いをあまり言わない。もっとも、オレが言い過ぎと言われればその通りだけど。
「何だよ、何か言いかけてなかった?」
「ああ、お前ってさ、オレと会ってなかった間、付き合ってる奴何人くらい居たの?」
「は?んなこと聞いて面白えの?」
「お前もオレに聞いたろうが。つーか、面白いか面白くないかはオレが決める」
「あっそ」
水戸は、はあ、と息を吐いた。吐かれた息は白く、揺れてすぐに消える。
「えーっと、三人?」
だったと思う、と水戸は最後、呟くように言った。意外と少ない。もっと居るかと思っていた。
「何だよその顔」
「いや、もっと大勢かと……」
「そんな女ったらしじゃねえよ。何その変なイメージ」
「じゃあ横浜歩いてたってのはどれだ」
「横浜?何それ」
「姉ちゃんが見たって言ってた。ショックだったらしいぜ」
最後の方は嘲笑して吐き出すように言うと、水戸は普通に笑った。
「横浜……、覚えてねえなぁ」
「お前も結構酷いね」
「じゃなくて、二人目の子が結構衝撃的でさ、他はあんまり覚えてない」
お!俄然興味が湧いた。何だそれ、衝撃的って何?多分今のオレは、水戸のダチ感覚で聞いていると思う。
「何だよ面白くなってきたじゃねーか、聞かせろ」
「スタートから何か、元彼の身代わりしてくれって言われて。俺もまあ、座敷童子はしょっちゅうウロついてるし、身代わりくらいやろうかなってさ」
「座敷童子?何それ」
「背後霊的な」
「霊的な話なのか?」
「いや、違うけど」
まあいいや、そう言って水戸が続けたから、オレも相槌を打った。そこでようやく、ホットドッグを食べ始める。美味い、水戸が美味いと言った理由が分かった。
「最後の方はもう、洋平が居なくなったら死ぬとか、そういうことをね、言われるんですよ。あれにはほんと恐れ入ったね」
その台詞に思わず吹き出すと、水戸は、大丈夫?と言いながらも笑っている。
「いやいや、死なねーだろ普通に」
「だろ?そう思うんだよ。思うんだけどあの時は何か、この子放っといたらやべえかなって。こういう狡さを使うのって女の子の特権なんだろうけど、ちょっと可愛く見えんだよね、不思議なことに」
「変わってんな、お前。オレならドン引きするわ」
「あんたはそうだろうね」
水戸は笑って、ハンバーガーを齧った。それからコーヒーを飲む。その目はどこか、海を見ているのか何か別の存在を見ているのか、未だに掴み所がない奴だと思う。
「どうやって別れたんだよ」
「忘れた」
「嘘だな」
「調子に乗られてもね、困るし」
「何それ、教えろ」
「やだ」
そう言うと、息を吐くように水戸は笑った。直後、沈黙が流れた。波の音が急に耳を通過する。何度も、何度も。繰り返されるその音は、いつ聞いても変わらない。続く音はうるさいのに、どこか静かでもあった。他に集中すれば簡単に消える音なのに、ふと気付くと側に必ず存在している。前を臨めば、茫漠と広がる青は、終わりがない。
そういえば、この海を眺めたのは久々だった。浜の場所は毎回違うけれど、続く海は同じだ。あの時見た海の景色が頭の中でただ繰り返される。水戸と一度終わった時、朝焼けを見た時、オレは一人で決めた。決断することを決めた。
「一人で来たことあんだよね、オレ」
「え?」
「大学三年の夏期休暇の時、朝焼け見に来た」
「へえ」
水戸はハンバーガーも食べ終わったようで、また紙を丸める。引き換えオレは、未だにホットドッグの途中だ。今度はコーヒーに口を付け、ポケットを探り出す。煙草に火を点ける、そう思った。案の定一本口に咥え、ライターで火を点けた。少しだけ俯いて吸い込んで、吐き出す。この仕草だけは、ずっと変わらない。
「三井さん」
「ん?」
「これからもよろしく」
「オレが居なくなったら死ぬって?」
「アホか」
三度目に来た海は真冬のクソ寒い時期に階段から座って眺めるそれだった。寒くて指が凍えて、息を吐けば白い。ホットドッグは既に冷えている。多分コーヒーも同様に。けれど、隣に座る水戸は、顔色一つ変えていなかった。すげえなあ、と他人事のように思いながら、「これからもよろしく」という言葉を頭の中で反芻する。
どっかの知らない女が言った「洋平が居ないと死ぬから」あれより、「よろしく」の一言がずっと重い。
水戸の横顔を見ながら、オレは思う。




終わり。

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