短編

□過去に告ぐ
2ページ/2ページ


まだ暗くもなっていないうちから露天風呂とか豪華過ぎる。温泉に浸かりながら、気分が良過ぎて思わず大声でブルーハーツを歌った。すると窓の向こう側から、既に一杯も二杯もやっている水戸の、下手くそ!という突っ込みが聞こえた。うるせーよ黙れ。木造りの浴槽に頭を預け、大きく息を吐く。
オレと水戸は、基本全部の生活費が折半だった。家賃も光熱費も食費も。細かい所までは計算しないけれど、大まかに。その上オレは、水戸が幾ら給料を貰っているかも知らないし、水戸もオレの給料が幾らかなんて知らない。更には恋人同士が参加する行事ごとなんかは勿論参加しなければ、互いの交友関係にも口出しはしない。でも水戸は人をもてなすことが好きなようで、ついこの間大学からの友人の菅田が来た時も一緒に飲んでいた。菅田は違うチームでバスケを続けている。結局オレ達二人は、バスケを続ける道を選んだ。二人でバスケの話ばかりしていても水戸は全く嫌がらないし、人当たりもよく他人に愛想の良い水戸は、付き合いが上手かった。水戸もよく、桜木や他の連中を呼んでいる。
こうやって普段の生活を振り返ってみても、他の奴からすれば友人に毛が生えたくらいの付き合いにしか思えないだろう。学生時代は、それがよく分からなかった。何の為に、何が良くて、何がしたいのか、この関係に名前が見付からないし付けられないから、擦れ違いも増えた。でも今は違う。名前を付けようとすること自体が間違ってる。そう思うようになった。別にもう、何でも構わない。
オレは水戸が居ればそれで良かった。
露天風呂から上がると、ちょうど夕暮れが見えた。木々の緑が、夕暮れの赤とオレンジに混ざっていく。様々な感情が混在しているような色は、時々酷く物寂しくさせる。それが今はなぜか心地良かった。水戸も今、これを見ていたら良い、何となくそう思った。
浴衣に着替えて部屋に入ると、水戸も、俺もメシまでに入るわ、と言って外に出た。意外にもなかなか戻って来なくて、まさかゆっくり浸かってんのかな、と考えた。しばらくすると浴衣に着替えた水戸が戻って来て、驚くことを言う。
「悪くなかった」
「は?!」
「そこまで驚くことかよ」
じゃあ一緒に入っても良かったな、とは思ったけれど、とりあえず水戸が温泉を悪くないと言ったことは収穫だ。ビール飲みてえ、と話していた所で、ノックの音がした。ドアを開けると、食事の時間だと言われる。ビールも一緒に頼むと、すぐに食事とビールが運ばれた。これもまた豪華な、初めて見ましたというような料理ばかり運ばれて来る。日本酒と合わせてひたすら食べた。その日、水戸は少しだけ酔っていたと思う。これまた珍しくよく喋ったからだ。いつもは食事中、そこまで喋らない。というより黙々と食べている。オレが話すと、「ああ」とか「うん」とかその程度だ。良く言えば物静か。悪く言えば愛想が悪い。でも多分それは、オレ限定だと思う。
「今日はやけに喋るな」
「そうだっけ」
「そうだよ」
「気分がいいからかな」
「じゃあいつもは気分が悪いんだな」
「はは、じゃなくて。温泉って悪くねえんだなって」
今日知りました、と俯いて言った水戸は、日本酒に口を付ける。珍しく少しだけ赤くて、今はすっかり綺麗に片付かれたテーブルに頬杖を付いた。
「お前ってさぁ」
「うん」
「オレには愛想悪いよな?」
「そうか?」
「そうだよ」
うーん、と明後日の方向を向いて、何かを考えている。
「甘えてんじゃない?」
「分かりにくい甘え方だな」
「じゃあもっと分かりやすくするか」
「ほー。例えば?」
「思い付かねえよ」
「ダメじゃん」
はは、と笑うと水戸も笑った。
あの時もしも再会しなかったら。もしもオレが好きだと言わなかったら。もしも水戸が追い掛けてこなかったら。今この瞬間はなかった。もっと言えば、あの時一度終わらなかったら、覚悟なんて重大な言葉の本当の意味を知らないまま、日常が過ぎ去った。たらればの話は苦手だ。後悔先に立たず、この言葉がオレは、意外にも気に入っているからだ。でも今、この瞬間には思う。あの時もしも、それを考えるとぞっとする。
「よし。今オレを口説いてみろ」
「何その話の振り方」
「分かりやすく甘えるんならやってみろや」
水戸はまた考え出したのか、親指で顎をなぞる。何かを考える時の、水戸の癖だと思う。
「今思えば、会わない間も好きだったよ」
「……」
「ずっと好きだった」
思わず息を飲んだ。言葉も出て来なくて、何も言えないまま時間が過ぎる。それが何秒だったか、はたまた何分か経っていたのか、時間の感覚が分からなくなるほどだった。その内水戸が近付いて、頬を撫でた。そのまま抱き締められたから、オレも水戸の背中に腕を回した。言い訳なんて幾らでも出来る。酔ってるから。箱根に来てちょっとテンションがおかしかったから。そんな適当な言葉、幾らでも作ることが出来る。でもきっと、今のは本心だと思う。そう思うのは何故か。水戸の手が優しいからだ。撫で方も抱き締め方も、その内するだろうキスの仕方も、考えられないほど優しい。そうに決まってる。
言っとくけどオレは、今思わなくてもあの五年間ずっと思ってた。ずっと好きだった。やることが多過ぎて忘れた振りをしながら、眠る前はほぼ毎日思い出してた。五年間毎日。どんだけ未練がましいんだって自分に辟易した。でも今口を開くと泣きそうになるから唇を噛み締めるだけで何も言えない。だから、過去のオレに告ぐ。
あの時一度終わったことは、必要なことだったと。





終わり。
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ