短編

□過去に告ぐ
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あの時もしも再会出来なかったら。時々それを考えることがある。本来オレは、たらればの話は苦手だ。あの時ああしていれば、あの瞬間がなかったら、言わなかったら言ってれば、それが嫌だから、やりたいこともやるし言いたいことも言うようになった。再会出来なかったら、これは多分、唯一考えるたらればの話。




「おい、箱根行くぞ」
「あ?何しに」
風呂上がりにビールを飲みながら、水戸はローテーブルの前に座り、パソコンを開いていた。くそっメガネ掛けてやがる。ということは今水戸がしている作業は持ち帰った仕事だろう。ここでもメガネ面は時々見るけれど、未だにオレは慣れない。一つ咳払いをすると、水戸は的外れにも、風邪?と聞いた。かぶりを振って、箱根の話に戻る。
「何しにって箱根と言えば温泉だろ、旅館に一泊だよ」
「パス」
「何で!」
「温泉に興味ねえし、あんたと行ったってろくなことになんねえ」
「どういう意味だ、こら」
「また襲われても困る」
また、というのはここに引っ越した当日の話だろう。嫌がる水戸をほぼ強制的に一緒に入らせ、まあそういう流れになった。自分だって最後の方乗り気だったくせに。まあそうは言うまい。大人になれ三井寿。
「とにかく俺はパス。そんなに行きたいなら誰か他の奴誘えよ。オフなんだし花道とか、この間うちに来た菅田さんでもいいだろ」
何が悲しくて桜木か菅田誘わなきゃなんねーんだよ、とうっかり口から出そうになったのを、唾液と一緒に飲み込んだ。大人大人、オレはサンダースのコーチ三井寿。
「お前は箱根の真実を知らねえ」
「へえ、あんた行ったことあんの?」
「いや?ねえよ」
「ぶはは!真実知らねえの自分もじゃん」
「お前よりは知ってんだよ!」
「行ったことないのに?」
何が真実だよ、そう言って笑う水戸は、メガネを掛けていたからか別人のようだった。正直、ちょっと可愛い。でもこれは良い流れだ。オレのペース。そこですかさず、仕事中に調べてプリントアウトした箱根の資料を出した。景色から旅館の外観から料理まで。はなから温泉の資料は論外だ。オレが知っていればいいから、取り出さなかった。実は既に旅館も決めている上に、部屋のタイプも目星を付けている。個室露天風呂が付いた部屋で、仮予約までしている。オレの行動の素早さは、表彰もんだと思う。
「これ見てみろ。すげーだろ、これが真実なんだよ」
「へえ、料理美味そうだね。これどうしたの?」
「仕事中にプリントアウトした」
「……あんた、何しに行ってんの」
水戸はあからさまに呆れたように息を吐いた。オレはというと、やっぱりメガネ良いなぁ、と結構どうでもいいことを考えている。また無駄に咳払いを一つして、とにかく、と言った。目の前の水戸は、心底どうでも良さそうにビールに口を付ける。
「箱根はすげーんだよ、まずオーラがちげえ」
そう言うと水戸は今度、そのビールを軽く吹いた。
「きったねーな!」
「あんたがオーラとか出してくるからだろ?」
あーあ、水戸はそう言って、口に付いたビールを手の甲で拭う。そして立ち上がりキッチンまで行くと、何かを持って戻ってくる。布巾だったらしい。飛ばした水滴をそれで拭いた。そこでもまたオレは、こういうとこマメだよなオレなら適当にティッシュで終わらすわ、と考える。基本的に真面目な水戸と、基本的にいい加減なオレは、何がどう転んだのか今も尚一緒に居る。
あの時もしも再会出来なかったら、そんなことを考えるくらい。
「いいよ」
「は?」
「行くよ箱根。いつ?」
よっしゃ!下の方で小さくガッツポーズするように拳を握った。
「そっちに合わせるわ。オレ今はオフだし。山場は越えたし」
いつでもいいよ、と続けると、水戸は考えているのか親指で顎をなぞる。
「今週の土日でもいい?来週からは休み取れそうにねえし、いつまでもオーラがどーのこーの言われてもめんどくせえ」
後半部分は若干イラっとしたけれど、早いなら早くてもいい。仮予約もしてあるし、それは言わないでおいたけれど、お前もやる気あんじゃねーか、と鼻で笑って言っておいた。水戸はオレに一瞥をくれてから、黙って仕事に戻った。
そして週末、見事に予約も出来た箱根の某旅館に一泊二日の旅当日。水戸はまあ、普段通りの軽装で普段通りの荷物の少なさだった。こいつはこんなもんだ、と考えながら、マンションから出て駐車場に向かう。外に出ると、五月半ばの気温は心地良かった。空を仰ぐと見事な晴天で、完全にオレの勝ちだと実感する。ぼんやり上を見上げていると、早く乗れ、と普段の口調で水戸が言う。あいつには情緒ってもんがねえ、その言葉に舌打ちし、いつも通り助手席に乗った。車内でもいつも通りだった。時々喋って、時々水戸は煙草に火を点けた。唯一変わったことと言えば、運転中も水戸は、メガネを掛けるようになった。それをオレは今知った。水戸を盗み見ながら、途中寄ったコンビニで買ったコーヒーに手を付けた。
それから凡そ一時間半、段々と景色が変わってくる。緑がとにかく多くて、数々旅館が並んでいる。
「何てとこだっけ?」
水戸が聞いて来たので、オレは携帯を取り出し旅館を確認する。名前と住所を告げると、了解、とぼそりと声を出した。また少しの間走ると、旅館に到着する。これだ、この外観。おお、と感嘆の声を上げると、大袈裟だなぁ、水戸はそう言ってメガネを外してケースに戻した。車のエンジンを切って荷物を持ち、外に出る。画面上で見る風景と実物は、やはり全然違った。その場で辺りを見渡してしばらく眺めていると、早くしろよ、とまた情緒を一切無視した声が聞こえる。
あんのやろう、そうは思ったけれど、ここで喧嘩しても無意味だと、既に歩き出している水戸の後ろを追い掛けた。旅館内は、それはそれは見事なものだった。何しろこういう場所に来たのは初めてだから、ただただ感心する。土日で客が多いにもかかわらず、受け付けのスタッフの態度の良さに加え、部屋まで荷物を運んでくれると言うのだ。水戸は遠慮した。いいっすよ男だし、と言ったのだけれど、綺麗に着付けられた着物を着た女性スタッフは、にこやかに会釈して荷物を持つことを決して譲らない。すげーもんだ、そう思いながら歩いていると、今日泊まる部屋まで案内される。こちらになります、そう言われて、鍵を開けられた。またこれ凄い部屋が出て来た。オレはノリに乗って、結構いい部屋を予約した。前シーズンは自分で言うのも何だが、かなり良い成績を残した。これくらいしても罰は当たらないだろう。
水戸は部屋に関しては一切何も言わず、女性スタッフに、ありがとうございました、もう大丈夫です。と二人分の荷物を受け取っている。それに対し女性は、ごゆっくりどうぞ、夕食は六時にお持ちします、そう言って一礼してから部屋から去った。
「またすげえ部屋だね。あんたが好きそうっつーか、ベタっつーか」
そう言って水戸は、ベッドに座って笑った。ツインの部屋を予約したけれど、一人で寝るのには広すぎるベッドが二つ、それから整った和室に風情のあるテーブル、その向こう側にはだだっ広いベランダと、室内露天風呂。豪華過ぎると言えば過ぎるかもしれない。
「いいだろたまには」
「別にいいけどね、何でも」
水戸はそう言うと立ち上がり、煙草を咥えてベランダに向かった。和室のテーブルに置いてある灰皿を手に取り、窓を開ける。水戸はそこから外に出ると、腕を伸ばして唸った。それからライターの音がして、向こう側で煙が揺れたのが見えた。後に続いてオレも外に出ると、広々としたベランダから水音がする。もう露天風呂が溜まっているようだった。
「おい、露天風呂もう入れんじゃん」
「あんた入りなよ」
「まじですげーな、年一だなこの行事」
「年一とか勘弁してよ」
お前ほんと嫌いだね、呆れるようにオレが言うと水戸は、逆上せんの、と薄く笑う。目の前に見える木々の葉が揺れた。風が吹いたのが分かる。でもそれは寒くもなく、かといって生温くもない。天気も良くて、普段とは違う場所で、オレはかなりテンションが上がっている。でも水戸は別段変わりなくいつも通りだった。ベランダの柵に腕を乗せ体を預け、少しだけ気怠そうに煙草を吸う。フィルターに口を付けて吸い込む瞬間、いつも水戸は少しだけ目を伏せる。その表情は、昔から妙な色香を漂わせる。
「何で箱根に来たかったの?」
「んー、特に意味はねーけど前シーズン成績良かったし、そういやお前とあんま出掛けてねーしなぁって何となく」
「そこで何で嫌いな温泉をチョイスすんのかが分かんねえけどな」
そう言うと俯いて、灰皿に煙草を押し付けた。表情を伺ってみるけれど、嫌いと言いながらも機嫌は良さそうだった。意外と付き合いが良いんだよな、と思う。
「まあ、もうすぐあんたの誕生日だし別にいいけど。だからほんと、年一とかやめて」
豪華過ぎて破産する、水戸はオレを擦り抜けて、ベランダの窓を開けた。その後ろ姿を追いながら、まさかの奢りか!とぎょっとする。
「露天風呂入りなよ。俺先飲んでる」
部屋に入る直前、水戸は振り返ってそう言った。



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