短編

□接触禁止事件
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※2月2日のmemoを読まれてからの方が楽しめます。


疲れた。終電間近の電車に揺られながら、軽く息を吐いた。明日また電車に乗り、職場に置きっ放しの車を取りに行くかどうするか考えたけれど、もうどうでも良くなってきた。土曜の休みは久々だし、変な労力を使うこともない。
あれから何度かあの人に電話を掛けた。一切無視か気付いていないか、どっちにしても面倒なことになってきた。藤田が嘘を吐いた飲み会の詳細はコンパだった。そこにあの人と出くわすという、ある意味お決まりのパターンで幕を閉じる。二次会も盛り上がっていたから、もう俺が居ても居なくても関係ないと踏んで、ぽちに万札を渡して先に帰った。藤田が訳の分からない歌を熱唱している間に。そして今現在、俺は電車に揺られているのだった。
最寄り駅で降りて、もう一度あの人に電話を掛けてみる。やはり出ない。もう寝たか?あっちも飲み会だし酒にも強くないから。そんなことを考えながら、約十分歩く。冬の夜の空気は張り詰めたように硬く冷たい。無機質なこの匂いは嫌いじゃなかった。アルコールには強い方だけれど、それなりにぼんやりする。それを醒ますにはちょうど良かった。アパートに着いて鉄階段を上った。どこからか嗅ぎ慣れた油の匂いがした気がして、自分からだと気付いた。普段は感じないのに、今日はなぜか分かった。飲むと余計に神経が過敏になるからかもしれない。風呂入って寝よ、そんなことを頭の中で考えながら歩くと、部屋から灯りが漏れていた。来てる。鍵を開けると、やはり見慣れたスニーカーがあった。電話はやはり無視だったらしい。怒ってる、それが分かったからもう一度溜息を吐いた。めんどくせえなぁ、脱力しながら思う。風呂に入って寝る、これは完全に先延ばしだ。
鍵を閉めて、俺もスニーカーを脱いだ。手を洗ってからリビングに行くと、テーブルに肘を掛け、テレビも付けずに座っている。横目で睨んで来たので、定位置に座った。
「来てたの」
答えない。睨んだままだ。
「今日はごめんね」
「やけに素直じゃねーか」
「今回は全面的に俺が悪いんで」
「言い訳があったら聞く」
言い訳?と少しだけ考えた。苦手な部類だなぁ、と思う。
「後輩が職場の奴らと飲むっつーから行ったらコンパだった」
そのままを伝えると、三井さんの表情が一変した。
「てんめー!何だその百パー嘘な言い訳は!」
「は?」
え?何が?頭の中に疑問符ばかり浮かんだ。自分が言った言葉を反芻してみたけれど、どこをどう間違えたのか分からない。
「いやいや、嘘じゃねえよ」
「後輩って誰だ」
「藤田」
「聞いたことあんな。じゃあそいつに電話しろ!確認作業!お前ほうれんそうって知ってるか?報告連絡相談だよ!」
先輩さっぱり意味が分かりません。酔ってる、間違いなくこの人酔ってる。
「電話してもいいけど、多分出ねえよ?あいつらまだカラオケだと思う」
そう言うと沈黙した。こういう相手はとりあえず宥めるに限る。適当に話を合わせておけば終わる。
「おい!」
「はい」
「お前どうせ女の子に優しくしたんだろ」
「優しくは分かんねえけど、邪険には扱わないでしょ」
「オレは!お前の!そういう!」
ああもうまじでうるせえなぁめんどくせえなぁ。思わず耳を塞ぐと、それが余計に神経を逆撫でたのかまた訳の分からないことを喋り出した。大学時代に大楠の為にコンパを開いた時の話だった。あの時俺が女の子に優しかっただとか触られただとか、その辺のもう俺が覚えていないことをべらべらと。この酔っ払いめ。タチが悪い。
「あのさぁ、俺ちゃんとあの子に言ったよな?聞いてたろ」
あまりにもうるさくて早く終わらせたかった。風呂入って寝る、それをひたすら念頭に置いた。
「それともこの先輩が好きな人ですって言えば良かった?違うだろ」
風呂入って寝る風呂入って寝る、念仏のように頭の中で反芻して、そこに辿り着くまでの道程を計算する。
「今日はごめん」
はい終了。そう言ってから、酔っ払いの頭を撫でようと手を伸ばした。けれどそれを、思い切り振り払われる。そう来たか。
「触んな」
その行動にはさすがに苛ついて、思わず睨んだ。すると怯んだのか、三井さんの体が座ったまま後退る。
「謝ったよな?」
「あ、謝ってるように見えねーんだよ」
吃ってる、俺は息を吐くように笑った。怖がってる、それが電気が走るみたいに伝わってまた笑えてきた。追い掛けるように膝で近付くと、また逃げる。フローリングと衣服の擦れる音がした。
「お前オレが前にコンパの話したら、な、殴ったろ!なのに何でお前はそんな平然としてんだよ」
「じゃあどうすりゃいいの」
「オレも殴らせろ」
「ご自由にどうぞ」
やれるもんならやってみな、揶揄するように言うと後退っていた動きが止まり、手が飛んできた。それをあっさりと掴んで受け止め、力を込める。三井さんは別に華奢じゃない。スポーツもやっているし、力が弱いわけでもない。それに引き換え、今日居た女の子の手は柔らかかった。急に手を握られて、ああはいはい、と納得しながら、指の柔らかさに久々に触れた。一瞬だけ撫でると、もっと柔らかいのが伝わってきた。名前も知らないその子は、爪を綺麗に伸ばして整えて色を付けて飾って、匂いもどこか甘くて、それを見て感じながら、俺も昔はこの柔らかさと匂いが好きだったと知る。
三井さんの指を手を握ったまま動かして撫でた。女の子と違う指先はしっかり硬くて、爪だって綺麗に飾っていない。匂いだって、ただ人の皮膚の匂いがするだけだ。また動かして撫でると、その手と体が震えるように動いた。顔を覗き込むように見れば、また睨まれていると思ったのか、口を噤んで睨み返してきた。何でこの人が良いんだろう、そんな疑問、飽きるほど自問自答している。
「やめた」
「な、何が?」
「風呂入って寝るって決めてたんだけどやめた」
この人の目も指も体全部が、
「あんたが俺を煽るのが悪い」
俺を突き動かすたった一人だと、今も尚思い知る。そのまま済し崩しにベッドに連れて行って唇を舐めた。今はもう、触んな、とは言われなくて舌を入れた。簡単に応えるから、この人の怒りだとか嫉妬だとか、それはもう消えたのかと思うとそれはそれでつまらなかった。急に虐めたくなって、触れる場所も掻き回す箇所も、あの人が喜ぶ部分は掠める程度にしかしなかった。そうすると体を捩りながら、違う、と懇願した。背中が騒ついて、入れていた指を外して挿入した。今度はそこばかり突いた。声も上がらないほど仰け反る姿を見ながら、いつも思う。この人は快感に従順だ、と呆れるほど思う。これで痛いのも好きだとかもはや変態の域だ。頭がおかしいに決まってる。
少し前に聞いたことがあった。痛いの好きだね、と。でもこの人は、違う、と言った。お前が好き、と言ったのだった。思い出したらまた背中が騒ついて疼いて、動かすのを早くしたらイキそうになる。俺も頭がおかしい。いかれてる。でもずっと前からそんなこと知っていた。
「可愛い」
「……は?何言ってんのお前」
「はは、何言ってんだろ」
「全然嬉しくねーんだけど」
「だろうね」
今日会った女の子の指は柔らかかった。きっと体も同じように柔らかいと思う。触り方も抱き方も、未だに全部覚えている。でも俺は、この人の皮膚の匂いがずっと良い。
いかれた頭をそのままに、目の前の人を抱き締めた。




終わり。

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