短編

□ラブ・ブレイカー
2ページ/2ページ


「藤田、お前何でうちの住所知ってんだよ」
『水戸さん!助けて!』
「質問に答えろ」
『言ったら開けてくれます?』
「却下。切る」
『あー!待って!社長が言ってたんっすよ、水戸さんがちょっと良いとこに引っ越したって』
あんのバカ社長が。勝手に喋ってんじゃねえよ。思わず口から吐き出しそうになった悪態を、仕方なく心の中で盛大に言ってやった。
「あっそ。じゃあな」
『あ、待って!』
「何だよ。うるせえな」
『だから助けてくださいって!開けて!』
「やだ。仕事のことなら明日聞く」
『オレ社長から頼まれてんすよ、水戸さんがどんなとこに住んでんのか見て来いって。女が居るかもしれねーって』
何それ、すげえめんどくせえ。あの社長やっぱりバカなんだ。もう意味がよく分からなくて唖然とする。
「居ねえよ」
『水戸さんはオレが解雇されてもいーんすか?』
「大丈夫だ、藤田。そんな横暴な会社てめえから辞めちまえ。仕事出来るようになってきたし、どこでも見付かるだろ」
じゃあな、と他人事のように言って、実際他人事だし、無視に限ると電源ボタンを押そうとした。するとそれが分かったのか、またインターホンが鳴り始める。そして携帯からは、待って!が大声で連呼された。
ラチがあかねえ。もう苛立ちを通り越してどっと疲れる。何で休みの日にこんなことが起きるのか、さっぱり分からない。
『オレ真面目に相談があるんですって!』
「何?もう早く言えよ」
『開けて……』
お前は新手のストーカーか。ちょっと待て、そう言って三井さんを見た。彼はベッドから起き上がり、着替え始めていた。
「ちょっと職場の後輩が来てんだけど」
「職場の後輩?」
「……藤田」
「藤田ってアレか、コンパの首謀者か」
まだ根に持ってんの?勘弁して。
「良いんじゃねーの?上がってもらえば?」
俺はまた深々と溜息を吐いた。寝室を出てリビングを抜けて玄関の前に立つ。もう一度あからさまに溜息を吐いて、玄関を開けた。
「水戸さん!アニキ!」
「誰がアニキだ。用件を言え」
「すげー!マジでいいとこ住んでんですね」
「人の話聞いてるか?」
「お邪魔しまーす」
藤田は靴を脱いで颯爽と歩き出した。勝手に廊下を抜けてリビングのドアを開ける。もうどうでもいいと、俺も後ろを歩いてリビングに入った。
「どうも」
あ、機嫌悪い。着替えてリビングに出て来ていた三井さんの顔は、明らかに不機嫌丸出しだった。藤田におざなりに声を掛けている。
「あれ?女の子じゃない」
呆気に取られたのか藤田は、俺と三井さんを交互に見ていた。
「残念ながら先輩だよ」
「え?そうなんすか、なんだ」
俺がこう言うと、あの人はまた不機嫌になる。それが分かっていたから余計に嫌だった。じゃあ何て説明すればいいんだよ、逆に教えて欲しい。
「お前コーヒーで良いか?一杯飲んだら帰れよ」
だからとっとと用件を言って帰れ、そう思いながら藤田を睨むように見遣る。でも大概、それが通用する相手ではなかった。
「水戸さん、オレこの人どっかで見たこと……」
「あ?」
キッチンに立ちカップを二つ出して、インスタントコーヒーの粉を入れた所で、藤田は大声を上げた。三井さんを見て、指を指して叫ぶ。
「サンダースの三井コーチ!」
「え、お前知ってんの?」
「知ってますよ!つーかこの人凄いんすよ!サンダースずっと二部だったのに、三井コーチが付いてから一部に上がったんすよ!うわぁまじですげー!ちょーかっけー!」
またバカ丸出し。こいつが俺の後輩なのかと思うと時々ぞっとすることがあるけれど、散々褒められたあちらの方はどうやら満更でもないようだった。顔がまともになっている。
「お前バスケ好きなの?」
三井さんが聞いた。さすがこっちはバスケ馬鹿。
「ちょー好きっす。高校からですけど弱小だったんすけど今でも時々遊びでやってるし、ホームの試合は観に行くようにしてるっす」
「お前藤田っつったっけ?いい奴だな」
「藤田っす!嬉しいっす三井コーチ!」
あ、バカ二人。もうどうでもいいや。何で二人ともこんなに単純なの?俺全然分かんねえんだけど。
「水戸さん!」
「え、何?」
急に俺を見て叫ぶように言われたから若干引いた。出来たコーヒーを渡すと、にこやかに笑って会釈される。三井さんにも渡すと、彼は椅子に座って飲み出した。すると藤田も、座っていいっすか?と俺が答える前に座り出した。聞いた意味あんの?
「何で教えてくれなかったんですか?三井コーチと一緒に住んでるって」
「お前に教える意味が分かんねえよ」
「まさか水戸さんもバスケやってたんすか?」
「俺はやってない。周りに二人もバスケ馬鹿が居るのにもういいだろ」
腹一杯になるわ、呆れるように言うと、藤田がまた食い付いてくる。
「え、もう一人?だれだれ?」
「言いたくねえ」
ここで花道の名前出してみろ。合わせろだの何だの、確実に面倒なことになる。と思っていたのに、それを見事にぶち破るのがこの人なのだった。
「桜木だよ」
ですよね、言いますよね先輩は。なんだかんだ後輩が可愛いんだよ、この先輩は。それで後輩が活躍してるのが嬉しいの、バスケ馬鹿だから。
「桜木花道」
「まじすか?元NBA!」
あーあ、もうやだ。まじでやだ。
「水戸さん!会わせて!」
「やだ」
「何で!サイン欲しい!」
「お前なんぞに花道のサインやったら価値がなくなるだろ、やめろ」
「水戸さん知らないんですか、高校の時に怪我して復帰してからの急成長。怪我した伝説の山王戦、ビデオで何回も見ましたよ、オレ。あ、三井コーチ湘北!見ました!伝説のスリーポイント連続!ちょー感動したっす!え、あれ?同じチーム?え、え、まじすげー!」
「分かったからお前は早く用件を言え!」
そう言うと藤田は、思い出したように項垂れた。何でこいつはこんなに感情の起伏が激しいのか、いっそ尊敬すらする。
「みつきちゃんが……」
「は?」
「みつきちゃんが別れたいって……」
ああもうすげえどうでもいい。その為に中断して、その為に飯も食ってなくて、その為にコーヒー入れて。わざわざ休みの日に、こいつはこんな用件で社長に聞いた住所まで来るのか。バカ過ぎて逆に最後まで聞いてやらなきゃいけない気がしてくる。
「それで何?」
「コンパで水戸さんが段々かっこよく見えたらしくて、ああいう人がいいからオレはやだって言われたんっす。でもオレ、アニキがかっこいいのは当たり前なんで、どうしたらあんな風になれるのか聞きたくて」
「は?」
え、ちょ、その話やめて。
「あの流れるみたいなやり取りとか女の子に対する気遣いとか指の触り方とか!」
「ちょ、ちょ、お前まじで黙れ」
見てみろ、お前が敬愛する三井コーチが段々不機嫌になってるだろ。俺休みの日までこの人のご機嫌取りとか真面目に疲れるんですけど。出汁取るだけで勘弁して欲しいんですけど。しかも一回謝ったことで。
「さとみちゃんもまた会いたいらしくて」
「あの、ほんともう黙って」
「どうするんすか?水戸さん百戦錬磨っすか?どうやってえっちなことしてるんすか?教えて!」
「あーあーあー!俺頭痛くなってきた、風邪かも。早く帰れ大事な後輩に移したくねえから」
「え、じゃあオレ看病……」
「寝れば治る。つーかお前が帰れば治る」
「じゃあ明日教えてください絶対」
「教える、教えるから早く帰れ頼むから!」
藤田の前に座る三井コーチは、それはそれは何とも言い難い表情で、これから先のことが予想出来た。すげえめんどくせえ、俺が思うことはただ一つ、これしかない。その種を盛大に撒き散らした藤田はコーヒーを飲み干して、ごちそうさまでした、と言って帰って行く。一応見送りに行くと、明日よろしくお願いします、と念押しされた。適当に返事を返したけれど、それでも納得したのか軽やかに玄関を開けた。あいつは一体、何がしたかったんだろう。
俺はというと、この後リビングに戻るのが億劫になっていた。このままパチ屋でも行くか、と一瞬考えたけれど財布は寝室だった。選択肢はなく、戻るしか出来ないことが更に重い。リビングのドアを開けると、妙なオーラを纏った三井さんの背中が見えた。
「おい」
「はい」
この人は、再会してからというもの、聞きたいことがあれば遠慮なく聞くようになった。それは変わったと思う。
「さとみちゃんって誰だ」
「コンパの子じゃないの?名前まで知らねえよ」
「指の触り方って何だよ教えろ」
「覚えてねえよ」
「てんめー!覚えてねーとか知らねーとか事情聴取されてる犯人か!」
椅子を思い切り引いたからか、結構大きく擦れる音がする。機嫌が悪くなったり良くなったり悪くなったり、忙しい人だと思った。正直面倒だった。俺は一度謝ったし、そのことでまたやり合うのも面倒だった。ついさっきまではそう思っていた。思っていた筈なのに。
「あんたにしか興味ないから覚えてない。これで良い?」
全て通り越して纏めたら、もう笑えてきた。躍起になる目の前の人が可笑しくて、ひと段落ついたらベランダで煙草を吸おうと決めた。きっと温いコーヒーを持って着いて来るに違いない。
「味噌汁作りましたよ、先輩」
「卵焼きは?」
「言われると思ったんで」
「腹減ってるとこに厄介なこと持ち込みやがって」
「はいはい、ごめんね。俺は早く触りてえよ、お預けだし」
煙草を咥えてベランダに向かうと、カップを持った三井さんが着いて来る。そう来ると思ったから笑うと、何笑ってんだよ、と未だに多少不機嫌そうだった。それでも多分、本当に不機嫌じゃないことを、俺はよく知っている。
ベランダに出ると、空はやはり青々としていて、風が頬を撫で付ける。それは生温いくらいだった。この妙な甘さが漂うそれがやはり苦手で、俺は煙草に火を点けた。また夏が来る。あと三ヶ月後か、その程度で。三井さんは隣で、既に温くなったコーヒーを飲んでいる。揺れる煙が、空で散った。
「お前ってさぁ」
「何?」
「オレのことちゃんと好きなんだな」
「今更何言ってんの?アホくさ」
「それだよそれ、その態度を改めろ」
すみませんね、そう言うと三井さんはようやく笑う。
今日はもう、誰も来ませんように。





終わり


前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ