短編

□切っ先の恋人に告げる
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笑いながら言うと、水戸の目が一層歪んだ。灰皿に煙草を押し付けるのが、視界の下の方に入り込む。ざわざわする。唾を飲み込んで、ごくりと鳴る音を聞く。頭に響くそれは、体中に伝染するように走る。
帰る、もう一度言おうとした。オレは見事に地雷を踏んでいるからだ。でも言えなかった。首に圧力が掛かってそのまま倒されたからだった。気管が狭まる。呼吸をしようにも上手くいかなくて、唸るような声を出すだけで精一杯だった。頭を床に打ち付けたからか、目の前が揺れる。水戸の顔が狂気に満ちてくる。背筋が騒ついた。砂が背後を駆けずり回っているような感覚だった。
「あんたって底抜けのマゾか頭がおかしいか、どっちかだろ?」
頭がおかしいのはてめえも一緒だ。言いたいのに言えなくて、目で訴えた。首の圧迫が酷くなる。血管がどくどくと脈を打って、それが全身に伝わる。
「俺が何言ったらこうなるのか分かってやってるとしか思えねえんだけど」
「こ、の……」
「殴られるのとヤられるのどっちがいい?」
頬に生温かい感触が伝った。水戸の舌だった。はあ、と吐き出すような息が漏れたのは、どこもかしこも疼き出したからだ。水戸の膝が中心に触れて、体が跳ねる。首を絞められたまま口付けられて、苦しくて抵抗した。その手を離そうと水戸の手を掴んだ。びくともしない上に口の中を掻き回されて足掻いた。
ようやく手と唇が外されて、喉が鳴る。ひゅっという音が突き抜けたと同時に噎せ返った。咳き込んでいる途中でも、膝で容赦無く擦られる。上擦った声が出て、思わず起き上がった。
「このクソガキ!」
「そのクソガキにイカれてんのはどこのどいつだ」
殴る代わりに水戸の頭を引き寄せて口付けた。その唇を思い切り噛んだ。水戸の頭が動いたのを感じて引き離すと、そこからは血が滲んでいる。
「ざまあみろ」
「あんたのそういうとこ、すげえ嫌い」
嘘吐け。好きだって言われてるとしか思えねーよ。
今度は頭を押さえられて、床に叩き付けられた。いてーんだよバカ!と語気を荒げて言い放つと、水戸は酷く満足そうに笑った。
行き先は天国か地獄か。もうどっちでもいいや。神のみぞ知る。




「何であんたと成立してんのか時々分かんなくなる」
「オレもだよ」
「起きてたの?」
「お前の煙草の匂いは目が覚める」
「そりゃ失礼」
今が何時なのかは分からないけれど、外が明るいことは確かだった。頭上の窓だけを覗くように見ると無駄に晴れていて、昨日の雨が嘘のようだ。顔を上げることはしないまま、水戸がベッドに肘をついて横になりながら煙草を吸っているのを見た。傍に古びたパイプ椅子を置いて、その上に灰皿を置いていた。
ぼんやりしながら、水戸の髪が乱れているのを今更のように知った。こんな姿を見るのもいつ振りだろうか。思い出せない。少なくとも一ヶ月は前だと思う。
「今日学校は?」
「自主休講」
あっそ、と言いながら申し訳程度に壁に掛かっている時計を見ると、午後二時を回った所だった。明日の今頃は、多分もう電車の中だ。
「今日も泊まる」
「どうぞ」
「あのさぁ」
「何?」
「あの人、それなりにお前のこと気にしてたっぽいよ」
そう言うと水戸は、煙草を灰皿に押し付けてからオレを見る。ベッドに肘をついたまま。
「達人だ」
「は?何の?」
「あんたは俺を怒らせる達人」
吹き出すように笑うと、水戸も薄く笑った。もう一本いい?と聞かれたので、どうぞ、と言う。オレを達人だと言いながら、今の水戸は怒っていないようだった。
「達人ついでに言うわ」
「今度は何?」
「お前とあの人、結構似てんだよ。知らねーだろ」
「知りたくもねえよ」
勘弁して。水戸は心底嫌だと溜息を吐いた。でも本当だ。雰囲気も煙草を吸う仕草も、そこに血の繋がりがあるのだと証明出来る気がする。それに多分、好きでも嫌いでもない、あれは嘘だと思う。もっとも、それは聞くつもりもないけれど。
「分かった。同族嫌悪だな」
「三井さんからそんな言葉出てくるとは思わなかった。ちゃんと勉強してんだね」
「してるっつーの。バカにすんな」
「次はいつ帰ってくんの?」
「え、分かんねー」
「あっそ」
水戸が吐き出した白い煙は、ゆらゆらと緩慢に揺れる。俯せのままその行方を追うと、窓の方に向かって行く。いずれ消えて、その匂いだけが残る。次いつ会えるか分からないなら、この匂いだけでも体に染み付けば良いのに。暴力なのか何なのか分からないセックスをしておきながら、それをする度に強くなる気持ちはどこに向かっているのだろう。
何で成立してるのかなんて、オレにも全然分かんねーよ。
「なあ?」
「今度は何ですか?もう怒らせんなよ、まじで」
「分かりやすい趣味って何?」
「知らねえよ。この話終わり」
水戸は煙草を消して起き上がった。ベッドから出て、寝室から居なくなる。多分シャワーを浴びてから飯か、そんな流れだと思う。もうちょっと寝よ。目の先に映る残った煙草の煙を眺めながら、似た二人の横顔を思い出し、一人笑う。





終わり。
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