短編

□くだらないの中に
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引っ越しってこんなに物入りだっけ?
三月半ばの快晴、気温も高からず低からず、絶好の引っ越し日和の本日日曜日、水戸は業者が運んで来るダンボールを見ながら、半ば呆然と思った。しかし、この荷物を預けた本人は今は不在で、この有様は何なのか聞きようもない。引っ越し前日、どうしてもチームの選手がシュートフォームを見て欲しいと言ったから午前中だけ仕事に行くと連絡があったのだった。午後からそっちに行く、と。それは別に構わなかった。人手はあったし、彼の荷物は元々業者に頼むつもりであったからだ。ただ、ここまでダンボールが運ばれて来るとは思わなかったのだ。
水戸の背後で、「洋平ー、これどこだー?」と間延びした声が聞こえ、前では業者が行ったり来たりと荷物を運んで来る。後ろではまた「洋平ー」と聞こえて来たので、今行く、と返した。
あいつ絶対勘違いしてやがる。水戸は心底思う。
正直な所、最初から不安だった。引っ越し先を決める時も、無駄に新築もしくはここ二、三年の物件を狙い、家賃が云々と言えども「大丈夫だって」を繰り返すだけで、その大丈夫の根拠は全く透明にはならず、見に行ったが最後「ここだ!」なのだった。水戸はその時、もう何でもいいや、と諦めた。この人には何を言っても無駄だ、と。それから家具のことでもそうだ。水戸は今使っている物を使えばいいと言った。確かにベッドは買う必要があったのだが、それ以外は必要ないと。そこはオレ様三井様の出番で、「お前は何を言ってんだ」と。「バカか」と。バカはお前だ、水戸はそう思った。勿論言った。「お前バカじゃねえの?」と。ヤベ、と一瞬思った。お前って言っちゃった、と。が、本人はそこではなく水戸の再利用方針が気に入らないようで、「テーブルとソファとベッドはオレが買う。お前は絶対文句言うな」とよく意味の分からない威厳を見せたのだった。
彼はずっと実家で暮らしている。だから意外と貯め込んでいるらしい。意外だ、水戸はそれだけは素直に誉めた。その代わり、引っ越し費用は全て水戸が支払った。元々引っ越しを言い出したのは自分だし、この部屋で最終的に腹を据えたのも自分だ。という経緯があり、水戸は家具は一切見ることなく引っ越し当日に至る。だから業者が来ることも分かっていた。もっとも、他の荷物がここまで多いとは思っていなかったのだが。
水戸の荷物は少なかった。家電一式と少ない衣類が入ったカラーボックスと食器、その程度だった。自分の車のトランクと高宮が酒の配達用に使う軽トラに積めば十分事足りた。軽トラに高宮と忠が乗り、水戸の車には花道と大楠が乗った。こりゃ早く終わんじゃねえ?と車内でも話が弾んで高を括っていた。早く終わらせてビールで乾杯だ、だとか、高宮が引っ越し祝いに持って来た日本酒で一杯やろうや、だとか、軽トラから荷物を降ろして部屋に運びながらも、後の宴会のことばかり考えていた。
駐車場が一台しかない上、宴会のこともあるからか、高宮だけが軽トラを自宅に置きに一度帰宅するようだった。幸い遠くもないので、もう一度来るにしても電車で近いものだ。そんな話をしながら水戸自身も、デリバリーをどこにしようか、と、珍しく浮かれていた。
部屋は二階の丁度角部屋が空いていて、そこに決めた。ベランダも広く景色も眺めも良かった。また角部屋、とは思ったが、そこからはもちろん海は見えなくて妙な感覚だった。以前のアパートの時も見えなかった。それなのに今はなぜこんなことを考えるのだろうか。水戸にもよく分からなかった。
と、今は物思いに耽っている場合ではない。終わんねえ、ぜってー終わんねえ。とりあえず今は家具の設置と自分のことだけでも終わらせようと、黙々と作業をする。業者の人間に置き場所を指示して、ものの三十分程度で運び終わった室内には、三井の物で溢れていた。サインと支払いをすると、爽やかな笑顔で颯爽と帰っていく男性達は多分、あのきらきらした笑顔を振り撒きながら、次の仕事をするのだろう。
置かれていったテーブルも椅子もソファもローテーブルもベッドマットも、肩がずり落ちるほど新品の匂いで充満していて、異常なほど居心地が悪い。やっぱり合わねえ。同じことを何度考えただろうか。数え切れないことは確かだった。
「お前がこんなとこに住むとかマジ笑えるんですけど」
大楠が軽く吹き出して言った。
「俺もそう思うよ。つーかモデルハウスだろこれ、アホか。こんなもんばっか選びやがって」
溜息を吐いて言うと、大楠は訝しむように水戸を見た。
「洋平、お前一緒に選んでねーの?」
「選んでねえよ。前の使うっつったら自分で買うから文句言うなって啖呵きられて放っといたらこれだよ」
そう言うと、えー?だの、はー?だの、三人から割に大きな声を出され、水戸は非難の意味が分からなかった。俺なんかおかしいか?とすら思った。
「お前おかしい!ぜってーおかしい!」
大楠が言う。
「家具くらい一緒に選べよ」
忠が言う。
「ミッチー怒ってんじゃねーの?」
これは花道。
「洋平、パンかおにぎり食いてーんだけど」
言わずもがな。
「あ、パンあるぜ?買っといたんだよ」
「パンなんかどうでもいいんだっつーの!」
大楠が怒鳴るように言った。そこで高宮が睨み付ける。
「良くねーよ。洋平、パン」
水戸は大楠のことはとりあえず置いて、コンビニの袋からサンドイッチとコーヒーを取り出して高宮に渡した。それをおもむろに開けて口に入れた高宮は少し満足したのか、コーヒーを飲んで一息吐いた。それを目で追いながら、また大楠が話し出す。
「お前同棲だろ?普通家具選びとか一番楽しむ所じゃねーの?」
「同居だよ、同居。つーか一緒に行ったって楽しめねえから勝手に選んでんの。分かるか?」
「なあ、お前ちょっとは仲介したオレのことも考えようや、な?せめて二年は頼むよマジで」
「さあ、どうかな。俺とあの人基本合わねえから」
「……おい」
軽く青ざめた大楠を見兼ね、次は花道が、待て待て、と声を出した。
「大丈夫だろ。ミッチーあれですげーんだよ」
「……何が?」
既に解約の予感しかない大楠は、花道に更に追い討ちを掛けられることを予想しながらも聞いた。
「うちの監督も、あいつは若いのに良いセンスしてるって誉めてたぞ?現役じゃねーのが勿体無いって」
「それバスケのコーチの話だろうが!オレは生活の話してんの!生活!恐れてるのは解約!」
「おっ!韻踏んでんじゃねーか」
「じゃあとりあえずミッチーの荷物開けてみようや」
「じゃあの意味が分かんねーよ!止めとけよ!」
「洋平、もうビール飲みてーなー」
各々が好き勝手に話し出したので、水戸はコンセントを入れておいた冷蔵庫から高宮が持って来たビールを出し、順番に配り始める。意外と冷えていて、水戸も既に手を付けた。もう運転する訳じゃなし、飲まないとやってられない。あのダンボールの山を見ただけでもぞっとする。飲みながら、備え付けのキャビネットに食器を並べ始めた。とりあえず、手を動かさなければお話にならない。あの山達は本人にやらせればいいのだから。
食器を並べると、ガラス同士の擦れる音がする。軍団を始め来客が多いからか、一人暮らしにしては食器は多い方だと思う。水戸が唯一多いと思える荷物だった。後ろの方では、片付けているのか飲んでいるのかよく分からない声が聞こえていた。これを並べてから、衣類用のカラーボックスをそのままクローゼットに入れる。それから配電をきちんとやり直してテレビのチャンネル合わせ。あとは洗面所のことをやれば終わりだ。頭の中でやることの順序を追った。有り難いことにキャビネット類は全て備え付けだから、要らない収納ケースも処分出来た。その代わり、よく分からないダンボールが増える。
俺とあの人基本合わねえから。水戸は大楠に言った言葉を心の中で反芻した。合わないけれど、続くとは思っている。そうでなければ一緒に暮らすなど水戸は言わなかった。ただ、誰にどう説明するつもりもなかったし、した所で理解されるとも思わなかった。今だって、こんな真新しい場所で真新しい家具に終いにはダンボールの山に囲まれて決して居心地が良いとは言えなかった。むしろ悪かった。出来れば元の安アパートに帰りたいとすら思うほどだ。でもそれでも、まあ良いか、と思う自分が居た。
変な話。溜息を吐いた所でインターホンが鳴る。
「お、モデルルームの創設者がおいでなすった」
「え、お前鍵渡してねーの?」
「暇がなかったんだよ」
きっとまた、大楠は嫌な予感がしているだろう、背後の気配を何となく水戸は感じ取った。
玄関に続く廊下は長くなく、リビングのドアを開ければすぐだった。当たり前に見慣れないここが、今日から生活する場所になるのだと思うと、それは酷く不思議な感覚のように水戸は思う。しかもそれは、他人と一緒にだ。玄関のドアを開けると、そこには見慣れた人が立っていて、別段変わった様子もない。
「よう」
「あんたさぁ、部屋がモデルルームみたいになってんだけど」
ありえねえ、水戸が言うと、三井は歯を見せて笑う。
「良いだろ。高かったんだよ」
皮肉など通じる筈もなく、三井は自慢気に言いながら、スニーカーを脱いだ。もうどうでもいいや、と水戸は思った。無意味、と。
「メシは?食った?」
「まだ。お前らもそうかと思って買ってきた。引っ越しと言えば!」
「……蕎麦」
「正解」
はは、と諦めたように水戸は笑い、先に廊下を歩いた。後を追うように三井も歩く。リビングに入ると、三井は感嘆の声を上げた。連中も、よう、だの、お疲れー、だの様々な声を掛ける。その声に三井は、蕎麦を買って来たことを告げ、昼食を先に済ますことにした。
が、こうなるともう駄目だ。午前中はそれでも真面目に手伝っていた。しかし一度休憩をするとそれは酒盛りに変わり、結局作業するのは当事者二人だけになる。水戸は予想していたのだが、三井は知らない筈だ。けれど、文句も言わず彼は黙々と作業した。ダンボールの山が少しづつ少なくなっていくのを水戸は見ながら、珍しく文句言わねえな、と少しだけ感心した。
夕方になり、粗方終わった所で連中は帰ることにしたらしい。大まかに片付け始め、花道は水戸に帰ることを告げた。
「今日は悪かったな。せっかく休みなのに」
「ほとんどなんもしてねーけどな」
笑う花道に釣られ、水戸も薄く笑った。不意に、小学生の頃二人で初めて並んで歩いた道を思い出した。あの頃二人の身長は変わらなかった。帰る道も変わらなかった。それが今は全く違う。そして歩いて来た道も、きっとこれから進む道も。
「あんまケンカすんなよ?」
「分かってるけど、あの人俺を怒らせる達人なんだよ」
「それでも一緒に居るんだもんなぁ。そういうことなんだろ」
「どうかな」
もう一度花道は笑った。彼の笑顔はいつも水戸を安堵させる。それから残り三人を引き連れてリビングのドアを開けた。
「またな」
三井も見送り、声を掛けた。
「じゃあミッチー、また試合でな」
「頼むからあんまケンカすんなよ」
「まあぼちぼちやれや」
「酒飲めよ。うめーから」
水戸も三井も四人に手を上げると、それを合図に玄関のドアを開けた。それが閉まる音がして、水戸が施錠すると、室内は酷く静かになる。ここに来てようやく、二人はあまり会話をしていなかったことを知った。リビングに戻ると、やはりそこは静かで広々としていて、水戸はやはり居心地の悪さを感じた。隣に目をやると、そこには三井が立っている。それを見た瞬間、自分と彼以外居なくなった瞬間、何かが収まった気がした。
ああそうか。水戸は思う。こういうことなんだな、とそう思った。
「あんたのまだダンボール片付いてないんだけど」
「これはそのままクローゼット入れときゃいいやつ。今必要ねーから」
あ、撤回。全然こういうことじゃなかった。
「じゃあ何で持ってくんの?実家置いときゃ良かったろ?帰ることになったらどうすんだよ」
思わず溜息を吐いた。要らんもん増やしやがって。心底そう思った。三井を睨むと、怒るでも笑うでもなく、おかしな顔をする。
「お前、もうそういうこと言うなよ?」
「は?」
「お前が言う覚悟ってこういうことなんじゃねーの?」
腹減った、三井はそう言うと、冷蔵庫を開けてビールを出して飲んだ。そして、なんもねーな、と独りごちている。
学生時代から一緒に居て、三井が卒業してからもそれは続いていた。一度終わってまた再開して結局また一緒に居る。それは決して平坦な道程などではなく、水戸は三井を鬱陶しいと億劫だと、そう思うことも少なくなかった。むしろ多かった。
「ピザでも頼む?」
「そうすっか」
要はそういうことなんだ。水戸は携帯からピザ屋に電話しながら、この簡単な答えをようやく知るのだった。



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