短編

□所詮綺麗事でも
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▼やり直してすぐのお話


「今度いつ会える?」
自然と口から出ていたのはこれだった。あれから飯だけ一緒に食って、自宅に送ってくれた所だった。車は路肩に停車している。学生時代は原付からバイクに変わり、社会人になれば車。それはとてもおかしな気分だった。おかしいと言うより違和感と言う方が正しい気がする。オレは助手席に乗っていて、水戸は運転席に居る。それは、時間が経っていることの証明に思えた。
じゃあまた、そう言った水戸に、オレは聞いた。いつ会えるのかと。片隅に、また、があるんだなと思いながら。
水戸は少しだけ驚いた顔をしていた。まさか、オレからこんな台詞が出て来るとは思わなかったからかもしれない。それを言ってしまえば、オレだってまさかこいつからあんな言葉を聞けるとは思っていなかったのだ。
水戸は何かを考えるように少しだけ目線を上げ、親指で自分の顎をなぞる。
「いつでも良いよ。電話くれれば」
「仕事中だったらどうすんだよ」
「終わったら掛け直す」
何か似たようなことを、卒業式の朝言っていたような気がする。水戸も思い出したのか、俯いて笑った。
「じゃあ明日電話する」
「良いよ」
「何時くらい?」
「そうだなぁ……」
今度は腕を組んだ。仕事のことを考えているのかもしれない。水戸はあのまま、整備士を続けているらしい。だからだろうか、学生の頃とは体の線も顔付きも違う。一言で言うと、大人になった。そういう雰囲気だった。あの頃より刺々しさもなくなり、喋り方も幾分か柔らかい。言葉の端々がキツイのは変わらないけれど。
「八時くらいかな」
「分かった」
オレはというと、明日は桜木を自分のチームに連れて行くくらいしか予定はない。あいつが、日本のチームを見てみたいと言ったからだ。
「何か変わったな」
「何が?」
「お前も桜木も」
「そっか?」
「だってお前、あいつ英語喋るんだぜ?オレ衝撃的だった」
今日会った時冗談で、英語喋ってみろ、と言ってみたのだ。すると奴は、ふんバカめ、と笑いながらペラペラと、それはそれは流暢に話したのだ。思い出したのか、水戸は声を上げて笑った。水戸も何度か、アメリカに行ったらしい。凄かったよ、と飯を食った時そう言った。
「さてと、そろそろ行っていい?」
「ああ、わり」
今日本当は、水戸は桜木の帰国祝いの飲み会に行く予定だった。既に水戸のアパートでやっているらしく、後で帰ると言ってあるようだった。それを分かっていながら、離れ難くて引き止めていた。
水戸はいつも余裕があるように見える。対してオレは、こいつを前にするとどうしようもなくなる。今もこうして、行くな、と思っている。オレだけかよ、と思う。
「何か勘違いしてるだろ?」
「は?」
「これ以上一緒に居ると、本格的にあっちの約束破りそうになるから帰るってこと」
そう言って近付いて、水戸は触れるだけのキスをした。
「分かったら降りな。こんなとこでカーセックスとかしたくないし、俺」
「アホか!」
じゃあな、と言うと、オレは車から降りた。するとすぐに助手席の窓が開き、明日ね、と水戸の声が聞こえる。車はそれからすぐに走り出し、居なくなる。再開してからあっという間の数時間、そしてあっという間にやり直すことになる。
その時のオレは、浮かれているのかぼんやりしているのか、はたまた何も分かっていないのか、それこそよく分かっていなかった。とにかく水戸を手放したくなくて、それだけだったんだ。その為だけにあんな台詞を言ったような気がする。
水戸の言う覚悟に比べれば、なんて安っぽいんだろう。
翌日、オレが電話を掛ける前に水戸から連絡があった。まだ七時にもなっていなかった。
「どうした?」
あまりに早かったから、思わず聞いた。
「仕事終わった」
「はやっ」
「昨日午前中出たからね、今日はもういいよ」
「オレまだ実家なんだけど」
「遠くないし迎えに行くよ。二十分くらいかな」
「分かった」
予想より大分早かった。部屋で故障した選手の練習メニューを考えていたけれど、そのノートはすぐに閉じる。要は浮かれていたのだ。水戸は、オレがなぜコーチの職を選んだのか聞いた。現役でやれたんじゃないの?と。本当は、やれたと思う。でも多分、長くは続かない気がしたのだ。元々、人に教えることは好きだった。後輩に教えることは勿論、今どこにパスを出せば良いだとか、ここに動けば良いだとか、バスケに関して頭を動かすことは得意だった。大学時代の監督からも、コーチに向いているとよく言われたものだった。今現在、チームでのコミュニケーションは取れていると思う。年齢も同じくらいだし、オレもまだプレイも出来るからやりやすい。
今日桜木を紹介した時は、それはそれは沸いた。仮にもNBAでプレイしていた選手が登場し、しかも後輩だと言った時は沸いた所の騒ぎではなかった。でも桜木は元があれだから、そーかねそーかね、とあのままなのだ。呆れもしたし、誇りにも思った。羨ましいとは思わなくて、オレはコーチになったんだと実感する。
コーチの道を選ぶ。そう決めた当時、水戸は居なかった。それでも結局また一緒に居る。不思議なもんだ、と思う。
着ていたジャージを脱ぎ、デニムを履く。部屋着のTシャツを脱いで、クローゼットから新しい物を出して着る。それで終了。時間を見ると、あれから十五分ほど経っていた。部屋を出て階段を降り、キッチンで料理をしていた母親に飯は要らないと言って、玄関に行く。ビルケンシュトックのサンダルを履いて、表に出た。
外は暑くて、日は照ってはいないけれど未だに明るい。水戸が昨日車を停めた辺りでしばらくぼんやりする。こうして待っていると、暑さからあの夏を思い出す。あの時オレは、とにかく必死だった。どうすれば、どうやればあいつを手に入れることが出来るのか、バスケとあいつと、ひたすら必死だったと思う。この先何があっても、あれほど猪突猛進な夏は二度とないんじゃないか、そう思うほどだ。
空を仰いでいると、車の音がした。水戸だった。停車して、運転席の窓が開く。
「乗って」
言われてから少し、水戸を見た。まだ慣れない。髪を下ろしているからか、大人になったとはいえやはり少しだけ幼くて、違う人間みたいだと。
「何?どうした?」
「いや、別に」
助手席のドアを開けて乗り込むと、昨日とは違う匂いが鼻を掠める。
「何の匂い?油?」
「あー、直前まで車構ってたから。顔と手は洗ったんだけど」
そんなに匂うかな、水戸は言うと、ハンドルから右手を外して腕を嗅いだ。あーあもうどうすっかなぁ、そう思った。触りてーな、と。結局オレは、高校生の時から何も変わっていない。
「染み付いてんのかも。自分じゃ分かんねえ」
「なあ、」
「何?」
「お前ん家行こうぜ」
「あ、だめ」
「何で?」
「花道が居候してんの」
「はあ?!何で?!」
自分でもびっくりするくらい声が大きかった。あいつ今日、そんなこと一言も言ってなかったんだけど!
「住むとこ見付かってねえって言うからさ、じゃあ見付かるまで俺ん家住めよっていう流れで」
ははは、と笑う水戸を見て項垂れた。いや別に良いよ、良いけど!
「じゃあどうすんの?」
ってオレ言って気付いたけどやる気満々じゃねーか。
「そうなぁ、とりあえず飯だな。もう俺腹減って死にそう」
「はあ……」
いつも思うけど何でこいつこんなに余裕なんだ?
「はいはい、シートベルト付けて」
オレは無言でシートベルトを付けた。かち、という音がすると同時に、車が出発する。水戸はと言えば、よく行く定食屋がどうの、そこのアジフライがどうの、とにかく飯の話をしていた。オレはそれに相槌を打ちながら、また少しだけぼんやりする。今こいつが隣に居て、日常会話を交わしている。それが酷く不思議だったのだ。少なくとも昨日まではそれがないのが当たり前で、居ないことが普通だった。思い出してはやめて、会いたいと思いながら考えることを止める。そうして今までやってきた。やり過ごそうとしてきた。それが今は何?
余裕なんかないのが当たり前だろ。少なくともオレは。
しばらく走って、目的の定食屋まで到着する。水戸が降りたのでオレも降りた。引き戸を開けると、古びた音がする。がらがら、と砂が噛んだような錆びたようなその音を聞いて、好きそうな店だな、そう思った。アジフライがどうのこうの言っていたので、アジフライ定食にした。水戸も同じで、更に焼きそばも注文した。大食いは変わらずで、それをみるみるうちに平らげるのも変わらずだった。そうだった、水戸はこういう奴だった。
あっさりと食い終わり、会計をして外に出る。気温は少しだけ下がっていて、それでも風は生温い。水戸は特に話すことなく、車へ行く。付いてオレも助手席に乗ると、また何も言わずに走り出した。またしばらく走ると、小さな道に入る。
「どこ行くんだよ」
「んー?ラブホ。この辺車で入ってそのまま部屋行けるとこあんの」
「お前詳しいな」
「まさか三井さん、行ったことないとかないよね?」
「あるよ!お前バカにすんな!」
水戸は声を出して笑った。それからポケットから煙草を取り出して口に咥え、ライターで火を点ける。その仕草も何度も見た。見てきた。でもここに居る水戸はもう学生じゃなくて、二十三だ。仕事もしていて、勤労学生でも何でもない。よく見ると、手も顔も十五の頃とは違うし、高校生でも何でもない。
オレはあれから、水戸と終わってから、誰とも付き合わなかった。言い寄ってくる女は居た。それでも全くその気にならなくて、どれだけ水戸に侵食されていたか思い知ったのだ。男として終わった、と愕然としながら、ひたすら指導員の勉強をして、バスケをして、それだけを考えた。神奈川に戻って、どこかで会えるんじゃないかと期待した。結局その浅はかな夢みたいな妄想は、現実を前に呆気なく砕け散る。連絡を取りたければ誰かに携帯の番号は聞けた。でもしなかった。出来なかった。ただ、怖かっただけだった。
目の前に鮮やかなネオンがチラついた。見るだけで胸焼けしそうな色が広がって目がちかちかする。もう笑うしかない。二人で来るのは初めてだった。する時はいつも部屋だったからだ。誰かに見付かっても困るだろ?水戸がよく言っていた。その当時は同じように思った。でも今は違う。
もう何か、誰に見られてもいい。こいつとだったらもう、何でもいい。
早く触りたい。馬鹿みたいに、そう思った。




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