短編

□過剰愛症候群
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日曜日、チーム遠征から神奈川に帰って来た。今週は福岡で、先週は新潟だった。ホームの試合はなかった。チームの勝敗は三勝一敗。まずまずだった。これからの課題も見えてきて、やるべきことも山ほど見付かる。今在籍している場所は、基本的にはチームワークが良かった。オレはどこに居ても多分、湘北の影を追っているように思う。時々忙しさに忙殺されると、高校時代を思い出すのだ。後から気付かされる。あれほどバランスが取れて面白いチームはなかったのではないか、と。ダメだオレ、そう思った。忙し過ぎてあの時を思い出してる、そう思った。考えてみれば、二週間近く休みという休みがない。だからだ。
約二週間、水戸には会っていなかった。連絡はそこそこ。オレはまともにしている方だけれど、あいつは暇がないとしてこない。が、ここで仮にも好きな相手に、とは思わないことにしている。なぜなら水戸はそういう奴だからだ。こんなもんだと、オレも気にしないことにしていた。あいつは、人に好きだ好きだ言った所で基本的には変わらない。そういう奴だった。昔から変わらない。
電話しよ。ポケットから携帯を取り出し、名前を出した。現在午後三時。多分アパートに居るだろう。何度か着信音が鳴り、はい、と声がした。
「あー、オレオレ」
「詐欺?」
「ちげーよ。今アパート?」
「うん。仕事してる」
「え?持ち帰ってんの?」
「簡単な報告書みたいなやつ。昨日やって帰りゃ良かったんだけどめんどくさくてさ。三井さんは?帰って来たの?」
「ああ、うん。今」
「こっち来るだろ?勝手に入ってきていいよ」
何だこいつ、息が一瞬止まるかと思った。暇にならないと連絡もしてこない奴が、こういうことを言うのか。正に飴と鞭戦法。言葉が詰まってなかなか出てこなかったけれど、分かった、とだけは言えた。それで電話を切った。
駅に向かい、最寄駅までの切符を買う。ここからは電車で二駅ほどだから近い。すぐに電車が来て、それに乗り込む。日曜だからか空いていて、適当に座った。揺れる電車は、酷く眠気を誘う。疲れてる、思わず溜息を吐いた。その緩慢な睡魔は、余計なことばかり考えさせた。今日解散した後、チームの選手から合コンの誘いがあったのだ。また考え出すのは、あいつの飴と鞭戦法のせいだ、そう思った。もちろん断った。一連の流れを思い出して、また溜息のように長く息を吐いた。
三井さん、合コン行きません?
え、いやー……、行かねー。
やっぱイケメンだし、当然彼女居ますよねー。
彼女っていうか、彼女……、うーん、まあそんな感じ。
訳ありっぽいっすね。まさか不倫?
ちげーよ!
まあまあ、別れたら即紹介しますんで!じゃ、お疲れっした!
言うだけ言って、そいつは爽やかに去って行った。彼女、と聞かれて一瞬水戸のことを考えたけれど、もしあいつが女だったらあんな恐ろしい彼女嫌だと心底思ってぞっとした。このことは水戸に言うつもりはない。理由は、怒られるだとか殴られるだとか(さすがに殴らねーな)、そういうのじゃない。へえ、で終わりそうだからだ。間違いなく、いちへえで終わる確信がある。大体へえって何だ!しかも、行く、なんて言ってみろ。可愛い子居るといいね、とか何とか言いそうだ。言いそうというより、言う。奴は言うんだ、そういう憎たらしいことを平然と。それでオレがキレて喧嘩。間違いない。疲れているし、それはそれは盛大な喧嘩になるだろう。めんどくせえな、から始まり、終いには喋らなくなって、最後の最後は、勝手にしろ、はい終了!三井ビジョンで鮮明に出来上がるくらい、もう確定している。
やだねーやだやだ。福岡土産の明太子と地酒を持って、何妄想でイラついてんだか。(ちなみに地酒は三井の寿じゃない。庭のうぐいすだ。さすがに恥ずかしすぎてやめた)
最寄駅に到着して、歩いた。ここから徒歩で約十分。水戸は以前の市営アパートから引っ越していて、今は前よりずっと狭い1DKのアパートだった。狭いとはいえ、一人で住むには十分だと思う。オレは未だに実家暮らしで、よく水戸のアパートには泊まっている。この歳になれば、さすがに両親は何も言わない。が、誰か良い人は居ないの?と母親にはしょっちゅう聞かれる。居ねーよ、と毎回返すけれど、その言葉を言う度に水戸が言った、あんたは誰とも結婚しない、それを思い出すのだ。そしてその度、誰にかも分からない罪悪感が襲う。疲れてる、またそう思った。だからこんなくだらないことを考えるのだ。そして、たかが合コンに誘われたくらいで妙な妄想をする。間違いなく疲れている。
それでも、早く会いてーな、と思うのだ。罪悪感が襲う度、会いたくて堪らなくなる。
早足で歩いた。空気の雰囲気が、柔らかいような硬いような、秋と冬の境目みたいな曖昧な匂いがする。アパートの錆びた鉄階段を上った。カンカン、と特有の音がする。この音を聞くと、水戸のアパートに来たことを実感するのだった。二階の角部屋、そこの前に立ち、勝手に入って良いと言われたから鍵を差し込んだ。やり直してからすぐ、水戸は合鍵をオレに渡した。どんな進歩だ、と驚愕したことを覚えている。鍵穴を捻り、ドアを開ける。玄関を開けてすぐに、キッチンがある。その奥に冷蔵庫や電子レンジ。向かい側にはトイレと風呂。小さな仕切り戸があって、その向こうが個室だ。水戸はそこに居るだろう。
「水戸ー、入るぞー」
「三井さんお疲れー」
やはり個室から声がして、スニーカーを脱いで部屋に上がった。オレはパーカーにチノパン、肩にはスポーツバッグを掛け、手には土産袋。ちょっと間抜けな恰好だった。個室に足を進めると、同じようにパーカーを着た水戸が座ったパソコンをしていて、完全に部屋着スタイルだった。……だった?
「え、水戸?」
「おかえり」
「え、え、水戸?!」
何か知らん人がメガネ掛けてる。誰こいつ。
「何なんだよ、どうした?」
心底呆れたように言われたけれど、何なんだよってこっちが言いたい。メガネだ、そのメガネ。水戸がメガネを掛けている。太過ぎない黒のフレームのメガネを掛けていて、それを掛けた水戸は最早別人だった。何でメガネ?何でメガネ掛けてんの?メガネプレイ?誘ってんの?全然意味分かんねー。つーかすげー頭良さそう。くっそー。何なんだよ何なんだよ!
「何でいちいち男前なんだよ腹立つな!」
「来て早々意味分かんねえことでキレんなよ」
「何でメガネなんだって話だよ!」
「最近目ぇ悪くなってさ、仕事でパソコンする時はメガネ掛けてんの」
へえ、一旦落ち着いてそう言うと、オレは水戸に近付いた。何?と怪訝そうに眉を顰め、問う。別に何でも、と返すと水戸はまたパソコンに向かった。男前だ。この男前が居るから、合コンを普通に断った。妙な話だ、そう思った。ちょっとおかしい、とすら思った。オレはこいつに惚れてる。完膚なきまでに惚れてる。そこがまず、おかしい、のだ。相手は例え男前だろうと、男なのである。
まじで疲れてる、だから前々から分かって知っていることを今更考える。そして、おかしいなんて情けないことを考えている。何度も言うけれど完全に疲れてる、そうとしか考えられない。
だって水戸は、オレが合コンに行くと行った所で、所詮へえ程度、そんなもんだ。
「どうだった?遠征」
カタカタ、と文書を打ち、目はパソコンに向けたままで聞かれた。
「三勝一敗」
「すげえじゃん」
「土産」
紙袋を水戸の横に置くと、今度はそちらに目をやる。中を覗き込み、嬉しそうに笑った。
「酒と明太子だ」
「うん」
「ありがと、楽しみ」
ぎゅっとした。胸が痛くなった。掴まれた感じだ。正しく鷲掴み。飴と鞭戦法。顰めっ面の後で満面の笑み。あーあーあー、しかもメガネだし。ギャップというやつだ、これ。
「水戸ー?」
「んー?」
「今日チームの奴にさー」
言うの?メガネ水戸に?どうせ、へえしか言わないのに?
「合コン誘われて」
水戸がこっちを見た。メガネを掛けているから別人みたいな水戸が、オレを見る。
「へえ」
出た、出たよへえ!いちへえ!くそ憎たらしい!へえって何!腹立つ!
この時点で、オレは臨界点に突破していて、次に出て来るだろう言葉、可愛い子居ると良いね、これがあっという頭の中で湧き上がっていた。もう既に言われたくらいの感覚で、喧嘩上等の勢いだ。疲れてる、もうまじで疲れてる。だからこんなことを考える。
「行くの?」
「行くって言ったら?」
水戸は俯いて溜息を吐いた。約二週間振りに会ったと思ったらこれだ。オレが悪い。分かっている。俯いた水戸を見られなくて、目を背ける。その時、左頬から鈍い音が耳に入った。きん、と一瞬耳鳴りのような雑音が走る。
「平手で良かったね」
そこに触れると、痺れのような痛みが襲っていて、殴られたと気付いた。殴らねーだろ、とつい三十分前に思っていた。それがこれだ。
「俺、あんたの狡賢いとこ嫌いじゃないんだけど、さっきのは駄目だな」
次は首に手が掛かる。ぎょっとして水戸を見ると、久し振りに見る顔がそこにあった。怒りだ。でもメガネを掛けているから別人みたいだった。それが余計に恐怖を誘う。
「俺が何言うと思った?可愛い子居ると良いね、とかそんなとこだろ?」
正解。でも声が出ない。
「残念、ハズレ」
ああメガネ、そう言ってから水戸はメガネを外す。その仕草にぞっとした。恐怖か快感か、それもよく分からなくなる。テーブルの上に置いて、難なくオレを倒した。静寂に包まれた室内で、パソコンの唸る音が妙に大きく聞こえて、そこにばかり集中する。首に掛かる手の力が強くなり、指が食い込む。息が出来なくて、声を出そうにも出せない。首が苦しいのに、耳の中に否応なく侵入してくる音が呼吸に集中させなくする。急に首の圧迫がなくなった。勢い良く入ってくる酸素に噎せて、倒れたまま喉を押さえて横を向きながら咳き込んだ。水戸は黙ったままで、その顔を見るとガラス玉みたいな冷めた目がオレを見下ろしている。初めて殴られた日を思い出した。人を容赦無く殴る、あの冷たい顔だ。オレは恐怖があるはずなのになぜか落ち着いていて、息を吸い込んで吐き出す。
「嘘だよ、行かねーって。ちゃんと断っ……」
断った、と言おうと思った。でも、言う前に唇に噛み付かれてそれは口の中に収まってしまう。
「うるせえな」
水戸はそう言うと、真っ昼間の明るい部屋なのもお構いなく、乱暴に始めた。性急に求められるのは嫌いじゃなかった。それはずっと前からだ。きっとオレはこれがして欲しくて、嘘を吐いた。だから首を絞められたのに落ち着いていた。堕ちていきながら思考が止まる。水戸が求める行為に没頭する。怖い筈なのに声が上がる。その快感に溺れる。
頭が真っ白になる直前に思う。オレが罪悪感を抱いていたのは、両親に対してだったのだと気付いた。オレはきっと、あの人達が求める幸せな人間にはなれない。それに対する罪悪感だ。そんなことより何より、今この行為に浸る方がよほど有意義だと思う辺り、オレはもう終わってる。




ベッドに横たわりぼんやりしながら、オレは水戸を見ていた。着替えてまたメガネを掛けて、パソコンに向かっている。それから時々、土産に買って来た地酒を飲む。
「三井さん、これ美味いよ」
「それはそれは」
良かったですね。
「飲む?」
「要らねー。寝る」
疲れていた。猛烈に疲れていた。しかもその体に容赦無く打ち付けられて、とにかく体が怠くて堪らない。そんなことは知ってか知らずか、あっそ、と水戸は特に興味がなさそうに言った。(多分分かってる。あいつはそういう奴だ)
「飯出来たら起こして」
「何食いたい?」
「お前が作るなら何でもいい」
「光栄だねー」
「水戸ー」
何?と言って、パソコンに向かっていた目がオレを見た。水戸とは別人のような男前は、さっきとはまるで違う顔だった。
「オレって結構愛されてんの?」
「今更?知らなかった?」
うつらうつらしながら、その台詞を聞いてオレは息を吐くように笑った。怒られて殴られて、更に首まで絞められて、しかも来てみたら水戸はメガネで、疲れている体に想定外なことばかりが襲って、終いには眠くて堪らなくて、水戸のベッドでうとうとする。
結構な被害者だ、そう思うのに、頭と体は満足している。
変な話、水戸が打つパソコンの音を聞きながら、オレは瞼を閉じた。






終わり

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