短編

□ブーケに唾を吐け
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しばらくして、湘北から帰ることにしたのだが、水戸は大楠に、今日野暮用で遅くなることを告げた。花道の帰国を水戸のアパートで祝うつもりだったからだ。アパートには勝手に入って使って良いと大楠に鍵を渡し、ごめんな、と謝った。大楠は、気にすんな、と笑う。何かを勘付いたのかもしれない、と水戸は思った。三井と終わった時も、一番水戸を心配したのは大楠だったからだ。今日あの場に三井が居た。大楠が何かを感じ取っても何ら不思議はない。
六時まで近くの茶店で待ち、その時間を回ると外に出て三井に電話をした。番号は消していなかった。
「もしもし」
「俺。終わった?」
「今出たとこ。お前は?」
「近くに居るよ。そっち行くわ」
そう言って電話を切った。水戸は高校に車を停めたままにしておいたので、歩く。自然と歩幅が大きくなる。夕方でも気温は下がらず、未だに暑い。日も暮れていない。あち、水戸は小さく呟いたが、未だに聞こえる蝉の声に掻き消された気がした。また歩幅が大きくなり、段々と小走りになる。
「水戸!」
「ごめん、お待たせ」
三井も水戸に近付いた。こっち、水戸はそう言い、三井に車の場所まで誘導する。
「お前車買ったの?生意気ー!」
「あんた免許は?」
「あるけどペーパー」
「まあ、やめといた方がいいよ何となく。すぐ事故りそう」
「うるせ!お前の減らず口は相変わらずだな」
「はは、ごめんね。乗って」
乗って、この言葉を言ったのもいつ振りだろうか。乗せるのが原付ではなくバイクに変わり、それが今は車になる。時間は否応無く過ぎていっているのだ。それは、水戸と三井にとっても同じだった。
水戸は運転席に座り、三井は助手席に座る。シートベルトを締め、エンジンを掛ける。走り出して、そこで気付くのだ。俺は何でこの人を車に乗せてんの?花道が帰って来てんのに何で野暮用なんて嘘吐いてこの人と居んだよ。
「話って何?」
だから聞いた。用があるならさっさと済ませるべきだ。
「お前、あの時何で何にも言ってこなかったの?」
「あの時って?」
「オレが送ったメールだよ」
随分とあっさり聞くようになったんだな、そう思った。
「もう終わったことだろ?今更何言ってんの」
「そうだけど、何かすっきりしねーんだよ」
そうだ、終わったことだ。それなのに何で、何でいちいち思い出して、小走りして、終わったことと終わった人に対して何で。水戸は手近な広い路肩に車を停車した。サイドブレーキを強めに引き、シートベルトを外す。三井を見た。顔付きは大学生の頃とあまり変わらず、二十五歳の割には幼い方かもしれない。特に動揺も見せずに水戸を見返している。水戸の背中が粟立った。体に得体の知れないものが走る。疼く。その存在を水戸は、ずっと前から知っていた。
「悪いけど、俺は絶妙なタイミングで終われたと思うよ」
「どういう意味だよ」
「じゃあ聞くけど、続けてどうすんの?意味あんの?俺は高校生じゃねえし、あんたは大学生でもない。例えばまだ続いてたらあんたこの先どうするつもりだったんだよ」
三井は俯いた。目線を左に動かし、笑う。
「お前はいっつもキツいんだな。言う言葉がキツい、相変わらず」
「本当のことだろ」
水戸は三井を見た。三井も水戸を見た。しばらく見つめ合うが、それは見つめ合うというより睨み合うという方が近い。相変わらず背中の粟立ちは治らず、疼きは酷くなる。この衝動のような熱さを感じたのは、あれもまた十五の時だった。あの時も暑くて暑くて、夕方になっても暑くて、毎日蝉が鳴いていた。
三井の手が近付いた。胸ぐらを掴み、水戸を引っ張る。反射的に近付き、何年か振りに唇同士が触れた。
「まだ好きなんだよ」
「意味ねえよ」
その言葉に、三井は離れた。
「分かった、もういい。誘って悪かった」
三井もシートベルトを外し、助手席のドアが開く。すぐに閉まる音がして、水戸はその音がどこか遠くから聞こえた気がした。ウインカーの規則的な音が、かちかちかちかち、とずっと耳に残る。だってそうだろ、意味ないだろ、あんたこの先自分の人生棒にふりたくないだろ、バスケがあって普通に結婚して祝福されて子供が出来て、また祝福される。それがあんたが思い描く最高の人生なんじゃないの?そこにこの関係は必要ない。
その時携帯が鳴り、多分花道だろうと画面も確認せずにそれに出た。
「はい」
「私だけど」
「ああ」
その人は、以前声を掛けられて流れで付き合うことになった女だった。何度か会った。それなりに楽しかった。キスもセックスもした。でもそれだけだった。
「今日会える?」
それだけしかなかった。
「悪いけど会えない」
「私のこと好きじゃないの?」
好きじゃないの?ってお前好きって何か違うだろ、なぜか水戸はそう思った。その程度で好きだとか言えるの?と。それなりに楽しいだとかキスだとかセックスだとか、それが好きなら今まで俺が思っていたあれは何だった?もう全く別物だろ。あの人はまだ俺を好きだと言った。意味ねえよそう思ってるよ今でも。じゃあさっきの衝動だとか疼きだとか、あれの正体を知ってるくせに知らないふりをしたのは誰だ。分かってただろずっと前から。
「好きじゃない」
こんなもん全然違う。
「ごめん、今すぐ別れて。じゃあ」
通話を切り、すぐにまた電話を掛けた。出ろ、早く出ろ!
「何だよ」
「三井さん今どこ?」
「どこでもいいだろ」
「よくねえよ、どこ?」
「……さっきの通りそのまま真っ直ぐ行ったとこ」
「いいか、そこ動くなよ!」
通話を切り、シートベルトを付けて右にウインカーを出した。ゆっくり走り、左側に居るだろう三井を見逃さないように水戸は目を凝らす。それはすぐに見付かった。また左側ウインカーを出し、路肩に車を停車する。サイドブレーキを引きシートベルトを外して、車から降りた水戸は三井に近付く。
「何なんだよ。まだ何かあんの?」
「絶妙なタイミングだったって今でも思ってるよ」
「何?とどめ刺すつもりかよ、やめろよマジで」
「いや、真面目な話俺と続けてどうすんの?」
三井は黙った。
「俺は別に、結婚する気もないし子供も要らねえから別にどうでも良いんだけど、あんたは違うだろ?」
まだ黙っている。水戸はもう分かっていた。誰と付き合った所でキスをした所でセックスをした所で、あの日々以上の充足感を得ることなどないのだと。面影を探した所で、それは三井ではないのだと。この人を前にすると生まれてくるあの衝動、それは十五の時から変わらない。俺はずっと、
「俺はあんたが欲しいよ、今でも」
あの夏の終わりからずっと変わらない。
「これから一緒にいる気なら覚悟決めろ。あんたは誰とも結婚しない。俺と居るって決めろ。でもそれが出来ないなら、もう二度と会わないし連絡もしない」
気温は下がらない。夏の暑さは続く。ただ、蝉は鳴いていなかった。それでも水戸の耳には、耳鳴りのように蝉の鳴き声が聞こえている。鳴き止まない、ずっと。
追い詰めて追い込んで、俺はまたこの人を手に入れようとする。汚い言い回しで、例えどんなやり方だろうとも。
今でも好きだよ。自分じゃどうしようもないくらい。




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