短編

□劣情の意味も知らずに
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金曜の夜、久々に水戸の家に行かなかった。次の日が朝から部活で、あいつも夜バイトが入ったからだった。だから土曜の夕方、部活が終わったら行っても良いかと聞いた。すると、昼からバイトで七時くらいには帰るから家で待ってろ、と言われる。鍵はスペアをポストに入れておくから、と。そこでオレは、ほー、と息を吐くように言う。オレも信用されてきたもんだ、と思った。それは言わなかった。何だよ、と聞かれたので、別に何でも、と笑うと、気持ちわりーなと返される。こういう時の水戸の顔は、大概眉を顰めている。結構好きな顔だから見たかった。電話で話していたので見ることが出来ない。会って話せば良かったと悔いた。
土曜日、部活が終わったのは夕方四時頃だった。まだ時間がある。自主練しようと、もう一度ボールを持った。ドリブルを何度か、それからシュート。続けているうちに時間を忘れる。そろそろ疲れてきた。体育館の時計を見ると、五時を回った所だった。行くか、とボールを片付けてモップを掛ける。部室へ行って着替え、外に出た。秋も深まってきた今、夕方は冷える。学ランのポケットに手を入れ、歩き出した。学校に植えてある木から落ちてくる木の葉を踏むと、ぱりぱりと音がした。乾いたそれはオレを童心に戻すようで、わざと踏んで歩く。水戸が見たらきっと、子供みたいに笑う気がする。あいつは時々、子供みたいな顔で笑う。年相応で中学卒業したばかりの粋がったガキ、そんな顔で笑う。そして笑った後は、少しだけ遠くを見る。その顔はまた違う。急に大人びた表情を見せる。子供と大人の境目、そんな感じがする。表情も声も、オレを捉えて離さない。早く会いたくなって仕方なくて自然と早くなる歩調と併せて、枯葉の砕ける音も早まる。時間の進むスピードみたいだ、と何気に思う。夏の終わりから一緒に居て、段々寒くなって来て、もうすぐ冬になる。とにかく一日一日が早い。その早さに追い付けなくなる。まだ明日にならないで欲しい、と必死に足掻きながら、それでも足を進めることを止めない。
早く会いてえなあ。考えるのは結局そこだった。
水戸のアパートに着いたのは五時半を回った所だった。階段の脇に備え付けられている鉄で出来たポストに目をやった。それは少し錆びていて古めかしい匂いがする。水戸、と書かれているそこを開けると、鍵が一つ置いてある。ほんとに良いんだな、そう思いながら手に取った鍵を握った。その形が掌に食い込んで、何か妙な感覚だった。あの水戸が鍵渡すとかどうよ、と心中穏やかではいられないのだ。勝手にくつろいでて良いよ、とは言われた。言われたものの、主が居ない家で、しかも相手は水戸で、後から何か物凄いことが待ち構えてやしないだろうか、と妙に勘ぐってしまう。
頭の中で色々な感情が渦巻きながら、階段を上がって三階まで上がる。コンクリートで作られたそこは、あまり音が響かない。けれどここはいつ来てもあまり人が居ないからか、スニーカーと階段の擦れる雑音が大きく反響している気がする。街灯も少なく、少しだけ寂しい。水戸はいつも、ここに帰って来ているんだ、と今更ながら思う。三階の角部屋、ここからは海が見える。以前、良いな、と言った時、よく分かんねーや、と返された。あの話の続きは、どうしても聞けなかった。地雷だ、そう思ったからだった。
一応インターホンを押してみる。しばらく待つも、当たり前に出て来ない。だよなあ、小さく言ってから、もう使うしかないと決めて、掌に握られていた鍵を使った。開いちゃったよマジで、開けた途端酷く罪悪感が残った。とんでもなく悪いことをしている気分だった。何かもう、泥棒にでもなった気分で、ゆっくりとドアを開ける。そろそろと足を踏み入れると、当たり前に暗い。誰も居ない。玄関脇にあるスイッチに手をやった。これが確か廊下のスイッチの筈だ。ぱち、という軽い音がする。廊下が明るくなる。廊下と呼べるほど長くないほんの三、四メートルの距離が無駄に長い気がした。
「水戸ー?居ねーんだよなー?」
少し大きめの声を出して、アホだ、そう思った。七時くらいに帰るって言ってたろ、と思ったのだ。スニーカーを脱いだ時に下を見ると、水戸がいつも学校で履いている革靴がある。それ以外に靴はない。完全に居ない。そう思うと体が疼いた。
廊下を歩き出すと、さっきまであった罪悪感が全て消える。あいつは普段、一人でどんな生活をしているのか、無性に気になった。リビングに続くドアを開けて灯りを点けると、いつも通り殺風景な部屋が飛び込む。テーブル脇にスポーツバッグを置いて、辺りを見渡す。ほんとに物がねえなあ、そう思いながら、ベッドが置いてある隣の部屋へ行く。ベッド以外何も置いていなくて、壁に収納があるだけだった。左側の壁際には衣装掛けが備え付けてあり、制服がハンガーに掛けられている。ほー、とまた息を吐いた。こうして改めて水戸の部屋を見るのは初めてだった。
こうなると、見付けるのはアレしかない。アレだ、アレ。男なら持っているアレ。あいつはどこに隠してやがる。最初の罪悪感はどこへやら、収納を開けるのは躊躇われたので、とりあえずベッドの下を覗き込んだ。ない。手を突っ込んで動かしてみるけれど、ない。見事にない。あいつ隠したんじゃねーだろうな。こうなると見付けなければ気が済まなくなる。腕を組み、思案する。収納を開けるべきか開けざるべきか、普通に考えたら開けるべきじゃない。時計を見るとまだ六時前だった。水戸はまだ帰らないだろう。
うおーどうする!
頭を抱えてリビングに戻ると、テーブルの上にぽつんと置いてある一本のビデオテープを発見する。
おい!すげー簡単に見付かったんだけど!!
中身を確認する前からなぜか確信めいた物が頭の中を過ぎる。タイトルを見ると、
「美人OLの秘密の情事。〜あたしを縛って、そして虐めて〜」
もはやどこを突っ込んで良いのか分からない。というより、水戸と年上美人OLが似合い過ぎて、突っ込み所が見付からない。しかも縛って虐めるとか真面目に好きそうだ。まだやられたことはないけど。
「あーあーだよなあ!あいつ何かそんな趣味っぽい!」
ひとしきり笑った所で返答はない。そこで当たり前に生まれる疑問が一つ。これを見て一人でしたのだろうか、この美人OLを見て。ビデオテープを持ったまま、オレは立ち尽くした。考えた。見たい、そう思った。美人OLの秘密の情事が見たいんじゃない、そこじゃない。水戸が一人でしているのが見たい。猛烈に見たい。素直に見せろと言えば良いのか、殴られるのを覚悟で。それとも、縛って良いから見せろ、と言えば良いのか。あいつの趣味を逆手に取って。どちらにしてもアホだ。
「でも見てえなあ……。絶対見てえ」
「見ていいよ」
「え、マジで?!」
ん?何で返事?
「ただいま」
背後から声が聞こえて振り返ると、そこには怖いほどにこやかな表情の水戸が立っていた。
「ぎゃああああ!!」
「顔見て叫ばれるとか傷付くんだけど」
「な、な、何で?!何で居んの?!まだ六時じゃん!」
「何でって言われても俺ん家だし」
「いや七時くらいに帰るって言ってたろ!びびるわ!」
「早く上がっていいって言われたから急いで帰ったんですけどね、これでも」
そう言われて水戸を見ると、呆れながらも笑っていた。それは年相応の子供っぽさが残る、オレの好きな顔の一つだった。
「……急いで?」
「そう。急いで。あんたに会いたかったから」
オレは項垂れた。そしてそのまま崩れ落ちた。見たい、やっぱり猛烈に見たい。もう絶対見たい。ていうか見せろ!
「水戸」
「何?」
「これはお前のだな?」
座り込んだ状態で、持っていたビデオテープのタイトルを水戸に見せるように渡した。すると水戸もオレの前に座り、それを見る。
「俺んじゃない。今朝大楠が来て置いてったやつ」
「そうなの?」
「見たいなら先にどうぞ。大楠には言っとくから」
「ちげえよ、オレは別に美人OLの秘密の情事はどうでも良いんだよ」
「どうでもいいんだ」
嘘だよ、ちょっと見てえよ。
「これはお前の趣味か?」
「まあ嫌いじゃないね。あいつは俺の趣味よく分かってると思うよ」
もう腹は括った。殴るでも軽蔑でも掛かって来い。
「よし。お前今からこれ見ろ。オレが許す」
「は?何言ってんの?つーか許可とか必要なの?」
「それで一人でやってるとこ見せろ」
「……やっぱ変態だわ、この人」
「軽蔑したな?バカにしたな?分かってるよ好きにしろ!でもオレが見たかったのはそれだ!」
「いやいや、目の前にあんたが居るのにわざわざAV見る意味が分かんねえ」
水戸はそう言って近付いて来る。その距離およそ五センチ、四センチ、三センチ、もう考えるのも面倒だ。ゼロ、思った通りキスをされる。押し倒されて、いつもは見下ろす側のオレが見下ろされる。その目は獰猛で鋭くて、見せられる度に背筋がぞくぞくする。今からされる行為を考えると、心臓が跳ねるのが分かった。ついさっき、あんたに会いたかった、と可愛く笑っていた。正直可愛くて堪らなかった。それが今は何?喰らい付くような瞳でオレを見る。もう快感しかない。
子供と大人の境目なんて可愛らしいもんじゃない。子供と大人が同居した恐ろしい奴なんだ、こいつは。
「あんたが善がってるの見せてくれたら、いくらでも一人でやってやるよ」
水戸の指が着ていたジャージを脱がせる。性急ではなくゆっくりと、オレの体を撫でながら脱がす。それだけで息が上がる。もうどこを触れられても良くなった体は、何をされても抵抗しなくなる。オレが善がったらしてくれんの?そんな簡単なら最初から言えよ、心底そう思った。
また水戸がキスをした。舌を入れて掻き回した。水戸のキスはオレをどうしようもなくさせる。頭が痺れて真っ白になって、何も考えられなくさせる。同時に撫でられて、唇が離れたと思ったら舐められて容赦なく噛まれて、それが痛くて思わず、いて、と声を出す。水戸の噛み方は生易しくないのだ。噛るように噛む。痛がるオレを見て満足そうに笑う水戸を見ると、虐めるのほんとに好きなんだな、とぼんやりした頭の中で考える。その内縛られたりするんだろうか、でも別に何でもいいと思いそうだ。オレは変態らしいから。
着ていた物は全て剥ぎ取られていて舐めて噛まれて弄られて、至る所を攻め立てられて、声が上がる。男の嬌声のどこに興奮するのか分からないけれど、水戸はそれが良いらしい。後ろに指を入れて掻き回しながら、水戸は約束通り自分で自分のを扱いた。短く吐かれる息、眉間に皺を寄せて、時々唇を舐める。
「お前エロすぎ、もう無理。オレが無理、イキそう」
「じゃあ言ってみな?」
「何?入れろって?」
「そう、今度は俺の趣味に付き合ってよ。何かこう、切羽詰まったみたいな物欲しそうな感じで。じゃなきゃダメ」
「お前も大概だな」
はは、と声を出して笑う水戸を見て、こういうの何て言うんだっけ、と考えた。独占欲だとか性欲だとかそういう卑しくて汚い感情を引っくるめて、何だっけ?
「水戸が好き」
なかなか思い出せなくて、声に出ていたのはそれだった。
「好きだよ」
「……ずっりーなぁ、あんた」
どうやらお気に召したらしく、指を引き抜かれたと思ったらいきなり挿入された。唐突に質量と熱が与えられて、声も上がらないほど背筋に何かが這い上がる。気持ち良い場所を突かれて抉られて、苦しいほどの快感が突き抜けた。見上げた先には水戸が居て、俯いて動いている。固めていた髪が乱れて揺れる。こんな色っぽい姿、他の誰にも見せたくない。
顔が見えない。見たい。
「水戸、顔見たい」
「え?」
オレを見た水戸は、一瞬だけあどけなく見えた。あ、年相応、そう思った。それからすぐに変わる。喰らい付くように見つめられる。顔が近付いた。キスをした。それからまた動いた。オレは水戸の首に腕を回し、そのキスを堪能する。
ああ、そうだ。誰にも見せたくないし渡したくない独占欲、こいつを前にするとどうでもよくなる性欲とか欲望とか、卑しくて恥ずかしくて誰にも言えない。
劣情だ。オレは劣情の意味を初めて知った。





終わり

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